FMC東京クリニックで、診療情報提供書を書いていただき、産科に持っていきました。

この時12週6日。

エコーで見ると、ギリギリ11週台の大きさ。心拍は1週間前に止まっていたのかもねと。

担当の先生と、どのようにするか相談しました。

妊娠週数は12週に入っているので分娩という形で娩出するか、胎児の大きさ的に12週未満ということにして流産手術をするか。

ただし、流産手術するにはギリギリの大きさ。

私の希望は、胎児絨毛検査で染色体検査をしたいことと、次の妊娠に影響がない方法の2つ。

私の通っていた産科では流産手術は吸引法とのことで、次の妊娠への影響は少ないとのことでした。

ただ、流産手術をしてしまうと、胎児は医療廃棄物扱いになってしまい、きれいには出てこない・・・・。

 

迷いましたが、死産分娩することにしました。

私はしんちゃんに何にもしてあげられなかったし、おなかの中で命を全うしてもいいよとさえ思ってしまった。

だから、せめて、ちゃんと産んであげよう。全前脳胞症で、もしかしたら単眼症かもしれないけど、ちゃんとお顔をみて、お空におくってあげよう。そう思いました。

 

数日後入院して、妊娠13週5日にあたる日、死産分娩で流産をしました。

入院したのは娘を出産した病院、部屋は娘を出産したときに入院していた部屋でした。前回は無事に産まれてくれるかの不安と期待と大きな喜びを感じたその同じ部屋で、今回は死んでしまった子どもを分娩する。なんとも言えない気持ちになりましたが、廻ってみえた師長さんが「これからの処置は大変ですけど、赤ちゃんのためにね、頑張りましょうね。」と言ってくれて。今回、自分でしんちゃんをちゃんと産んで、ちゃんと妊娠を終わらせよう、それはきっと私のためにもなる。そう思いました。

前日にラミナリア子宮口を開いて、当日はプレグランディンの膣剤を数時間毎に入れて陣痛を起こしました。でもまだ胎児が小さいので子宮も準備ができていないとかで、なかなか有効な陣痛が起きず。時間だけが刻々と過ぎて行きました。今回の流産の原因をどうしても知りたくて胎児絨毛組織の染色体検査をお願いしていたのですが、折しもこの日は週末の金曜日。土日には検体の提出ができないとのことで、検体提出のデッドラインは18時と聞きました。このまま陣痛が起きるを待っていたら夜になってしまう。何回めかの診察のとき担当の先生が、今からでも掻爬する?と軽い感じで言いました。緊急で流産手術することは不可能ではない、と。でもその場合は死産ではなくなるけどと。

病室で夫と話し合い、しんちゃんには会えなくなってしまうけど、今後の私たちのために染色体検査だけは受けたい、今から手術を希望しようということになり、その旨を看護師さんに伝えた数分後。なんの前触れもなく破水し、ほとんど痛みもなくしんちゃんが産まれてきました。

私たちがもう手術してもらおうって話してたから、聞いてたんだね。しんちゃんは生まれてきて、私たちに会いたかったんだねと夫と話しました。小さい小さいしんちゃんだったけど、お目目は2つあったし、小さなかわいい指もちゃんとできていました。

「ありがとう」って言いました。

ベビー用のかわいいガーゼを買ってきて、6㎝ほどの小さな産着を作って着せました。小さなお棺に、粉ミルクや卵ボーロ、お手紙を入れました。

しんちゃん、また会えるかな。今度は元気な姿で帰ってきてね。

 

3週後に絨毛検査の結果が出て、しんちゃんは

21トリソミーの女の子でした。

しんたろうでしんちゃんなのに、女の子とはw

でも私たちにとっては、しんちゃんはしんちゃんなので、今もそう呼んでいます。