今日は父の日。

約30年間  疎遠だった

父親について 書きます。


私が中学2年の頃、両親が離婚した。

それから本当に、長い時間が経った。

まともに会ったのは

私の結婚式に参列したのが最後かな・・。


その父は今

末期ガンで緩和ケア病棟にいます。


5月中旬に いとこの姉から

父の容態があまりよくなく

私達姉妹に会いたいといっていると連絡があった

6月に入っても私は なんの行動も起こさず

「今更・・」という気持ちでいたところへ姉が、

何か伝えておきたい事があるんだと思うから

元気なうちに会った方がいいよ、って。


感情よりも 処理しないといけない現実があった、

亡くなった場合、相続やら色んな事をしないといけない


感情は・・

色々考えた。

別に会わなくても 私は、

何を後悔する事もない

でも、父の気持ちになってみたら・・

やっぱり 子供たちに会いたい

気持ちひとつで簡単に父の望みを叶えてあげられる

心残りを少しでも減らしてあげられる

なにより、かわいがってもらった記憶があったし

私も独りになって、

独りで暮らしていくさみしい気持ちが 

とても良くわかる

穏やかに 最後を迎えるために

私ができる事を できる範囲でしてあげたい

ストンと気持ちが落ちた。


一緒に面会してくれる姉との都合合わせも 

トントン進んで

心の準備をする時間もないまんま

30年振りで 父に会うことができた。



会ってよかった。

元気なうちに 会っておいてよかった。


父は とても喜んでいた

前の日に看護師さんから

私が来る事を聞いており

何回も 

「〇〇〇(←私)が 来る」と言っていたそう。

お世話してくださっている看護師さんが私に

ほんまによぉ来てくれはったねって

涙を ためてくれていた



コロナの影響で

看護師さん立ち会いの元 面会時間5分

病棟の都合もあり、完全予約制

あっという間に時間が来てしまい

最後に 大きく手を振る父の姿が目に焼き付く



私にとって父は

決して良い父ではなかった

父どころか母も 私にとって

味方ではないと 全てを拒否して

心を閉めてしまっていた

そんな父に対する心が緩んで解けたのは

「かわいがってもらった記憶」だった。

抱っこして揺らしてもらったり

優しく名前を呼んでもらったり。


父のガンがわかったのは1年前だった

父はいないものとして 生きてきたから

連絡取ろうなんて考えなかった。

頑なでいた自分に 後悔した

私が1番しんどい時に 頼ることもできたんちゃうかな・・

美味しいもん、食べさせてもらっといたらよかったなぁ〜。

一緒にお酒も飲めたのになぁ〜。



疎遠だった父と会えたのは

父側の親戚の中で唯一、

いとこの姉と繋がりがあったから。

姉と繋がれたのは 

姉のような親友がいてくれたから

こうして姉と連絡が取れ

父と再会でき

後悔をしなくて済んだのは

貴女のおかげです。

ありがとう。

姉も、同じ事 言ってました。


不思議な縁にありがとう!




妹は・・

父には会わないと言い切った

何度か 話してみたけれど

妹には妹の 気もちがあるから

悲しいけど 仕方ない。



「愛された記憶」

私は 自分の子供に 残せてるのかな・・・。



遅すぎたけど

父に対して

穏やかな気持ちになれてほんまによかった。

「父の日」がくる度 よかったナっておもえる。



梅雨入りしてしまった。

例年より早い梅雨入り

ジメジメ蒸し暑いのがいつもより長くなるのかな

苦手やなぁ。

害虫も動き出すし、恐怖の季節がきてしまった。


この部屋に住んで1年が経った。

生まれて初めての一人暮らしは

不安だらけ、今も小さい不安だらけ。

「暮らしに慣れる1年にしよう」

この1年はコロナで雇用が不安定だったので

目標通り慣れられたのかどうなのか

よくわからない、って事は

まだ慣れられていない?のかな。


4月から 食パン屋さんで働き始めた。

4月いっぱいくらいは オープンに向けて

製造のお手伝いをさせてもらっていた

10kg単位の材料計量から形成まで

パン作りは初めての経験で

不器用さ爆裂しまくって アタフタしてしまい

足腰腕が筋肉痛で大変だったけど

たくさんの初めてを知った。

とあるベーカリーのオーナーシェフさんに

手の使い方とか、生地の事

パンの味とか 雑談とか・・

よく買いに行っていた

ベーカリーから来てくださっていたシェフ

私は個人的にとてもテンションが上がって

嬉しい数日間だった。


職場の雰囲気は良い。

スタッフさんも 良い人達ばかりで

みなさん自分の仕事を黙々と一生懸命しておられます

余計な計なおしゃべりなんてしてる暇ない。

お店がオープンして 私は

製造から主に販売の担当になり

お店に立たせてもらってる。

適正を判断されたんだと思う。

娘と同年代の学生バイトさん達をまとめながら

朝早くから焼き上げられたパン達が

ひとつでも多く売れるよう

頑張れていると思う。

売るだけじゃなく

手が空けば 製造のお手伝いもする

作る、売る、今は楽しくできていて

ありがたく 幸せやなぁと思う。


久しぶりに 販売をしてみて

私はやっぱり接客が好きなんやなぁって心から感じた。

対、人、は 難しいこともたくさんあるけど

「プラスの気持ちで声を出す」事、

とても 気分が明るくなるのを実感できる。


だけど、

自分に少し活気が蘇ってくると

自分の嫌な面がチラっと出て見える

前は・・ こんな自覚ほとんどなかった

「あかん、あかん、」って なる自分が

なんか 不思議。

成長したんかな?  笑

人は人、自分は自分。

先ずは 自分を一番に大事にして!

次に まわりを大事に思えるように

私は 長年 これが出来なくて

自分を苦しめていたと思ったので。

辛い自分を 子供達に向けていたのかもしれないと

障がい者のみんなと働いてみて 気づけた

今、赤の他人に出来てることを なぜ私は

我が子にできなかったのか・・

ちょっと辛いテーマ

時間かかったけど 気づけてよかった。



新しい門出がイチイチ多い私です

全然安定しないです  笑  

が、!!

それが「〇〇〇(←私)」やん? て  

言ってくれた友達

人生のシナリオが決まっているのなら

今の私はコレなんだと思う〜☆


上手に「今」に

焦点当てられる様になりたいな。



昨年の夏が終わる頃からハローワークに通い

就労支援事業所での支援の求人を見つけた

やってみたかった 福祉関係の仕事

娘のバイト先と極近ときたらもう、

心惹かれないわけがなかった。

福祉関係の勉強なんてしていない、

気持ちだけで行ってしまって良いのか不安だらけだったけど採用されて嬉しかった。

精神になんらかの病気を持つ若者たちがここに通い

お仕事を通して社会と関わりをもって

将来の自立をお手伝いする

前向きな場だと私は想像したし

そんな場であるという

SNSの発信もチェックしていた。


結論から言うと

ちょっとずつ心が拒否しだして、

うんざりして行きたくなくなった。

支援の仕事が嫌になったんじゃない。


パソコン使って事務処理仕事もした。

理解出来るような教え方じゃなく

サラッと説明されただけで 失敗もした。

理解できるよう教えてもらう事に期待もできなくて

画面の前例みながらなんとか自力で出来るようになって

ちょっとずつ慣れてきていた矢先

突然、もうダメってなった。

支える立場である大人達の人間関係の悪さ、 

場の空気の悪さ

なによりそこにパワハラ モラハラ

DV体質丸出しの人がいた・・

(障がい者のみんなにはしてない)

私、無理やった。

こんな仲の悪い大人達が 

人を支援してるん? 

信じられへん現実が転がりまくっていた。


頑張ろう、まだやれる、

次は今日よりマシかもしれへんから・・

そう思いながら

平均週3の勤務で、少なかったけど

障がい者のみんなにやっと名前を呼んでもらえるようになって

色んな話しをしてくれるようになって

笑顔を向けてくれるようになってきたのに

つまらん大人達の

わけのわからん腹の中が 嫌で嫌で 

ある日突然

気持ちが切れて行きたくなくなってしまった。



私は、スタッフの誰も

代表すら信用信頼できひんかったし

してなかった

できるわけなかった。

割と初期から 自分の居場所作りをせず

自分から関わることもしなかったから

仕事を教えてもらう機会をみつけることが

難しかったけど

少しずつ見たり聞いたりしながら

情報を繋いで繋いで カタチにしていった。

このままではあかんってわかってたけど

「職場としての価値」

そんなもん、私にとってゼロやったから。

それとは逆に

障がい者のみんなが、私に慣れてきてくれていたのと

時々、一瞬でも娘と会えることが嬉しくて

自分の本心を 見ないフリしてた。


色んな職場で働いてきて

色んな人がいたけど

ここは過去三本の指に入る、

第1位2位を争う最悪さ。


なにがそんなにって・・


私に直接害がなくてもDVする人がそこにいる、

そばで それを感じてしまうなんて

今の私の人生に絶対、

あってはならないものやから。


そして、最低やなって思う人がいたから。

愚痴愚痴愚痴・・口を開けば愚痴

誰でも愚痴はあるけど

程度ってものが、ある。

人の悪口を平気で言う、

人に対して恨み もちすぎ

なにかにつけて出しゃばってきて

傲慢慢心過信全部あって

承認欲求高すぎ。

人を利用する

(利用されてしまう寸前だった)

良い事も口にしてはった様に思うけど

計算高さがイチイチ見えて

良い事であっても良く感じられなかった。


私はもう、自分を狂わす人と関わりたくない

自分に優しくいたいし

人にも同じように普通に自然に優しくいたい。

押し付けられるのも、押し付けるのもしたくない。



それも、これも、あれもと次々と

あの大人達 それぞれが

私に仕事を押し付けてきた

見事に 個人バラッパラ。

これも支援の仕事やからってあの人達は言って

正当化してた

仲の悪い人達の伝書鳩みたいな事も

もう、うんざりした


あんな大人達の顔色をうかがいながら

障がい者のみんなは仕事してる

支援って なんなんやろ・・?

あの子達の将来に細くても長く明るい光が

差すように、

あの子達だけじゃなく、

親御さん達もいろんな思いを抱えていらっしゃる、

私も親のはしくれ、

どんなに大きくなっても

大事な我が子の笑顔に触れたい

幸せでいてほしい

思いは同じはずや。

優しさであふれかえっている場なんて

ないとおもうけど

チクチクする空気は 誰にとっても

ただのストレス

外にでればそこに必ず人間関係がある

多少の事は仕方ない、よくわかってる、

でもほんまに・・こんなんでええのん?って

疑問と悲しみと疲れに のまれてしまった。


ある時、

おかしい事を「おかしい」と正面から

訴えてきた親御さんがいた、

正論できた親御さんに対する対応も

聞いていたら

とりあえずの解決だけで

誰も、根本を見ようとはしてなかった。

こんな状態の現場を見て見ぬふりをし続ける

代表の頭の中が、よく分からなかった。


短い間やったけど

支援という仕事をしてみて

プラスになったと思ってる。

難しいところもたくさんあったけど

みんな、自分の持ってる能力で

一生懸命がんばってるお手伝いがしたかった

続けていきたかった。



これを書いていて

当事者が読むかもしれないな?と思った

読めばいい。

おかしい事くらい わかってはるはず。

初出勤していきなり

「病みだらけ闇だらけの職場にきてくれて感謝」って言わはった

こんな事を入ったばかりの人間に言うなんて

聞いた事ないわ。

えー加減すぎる事業所の私は犠牲者になる所やった。



頑張りましたっ!!