寒さが深まるにつれて、薄紅色の花を咲かせる樹木がある。
インジョリックサーク全域に生息し、並木道や公園によく植えられている。満開の時期になれば薄紅色の雪が降りしきっているかのような光景が見られる。すでに開花した蕾もあり、セイヴァの敷地内に点在する公園の木々もすっかり薄紅色に色付いていた。
講義室からケージに向かう途中にある廊下は、南側が全面ガラス張りになっている。直射日光に浴びても熱や紫外線は遮断されるようにコーティングされていた。
その廊下から薄紅色に色付く街を見ることができるのは、ここに勤める者の特権でもあった。
「一年前の記録をついに塗り替えたな、乱流の発生率を三割下げるだけでも苦労していたのに、半減させた努力は本当にすごい」
ノアが記録書を見ながら興奮した面持ちで言った。
「まあね」
廊下から外を眺めるヴレイは他人事のように鼻で笑った。
元の生活は緩慢であるが、後輩に指導するのは何かと頭を悩ませた。しかも仕事はそれだけではない、訓練は毎日欠かすことができないし、一人で受けている学校教育の講義は午後になると集中力が散漫する。そして苦手分野でもある機械整備の基礎技能は未だに合格点に達せないでいた。
なんと言っても妖力の乱流を抑える訓練が最も辛く、自分との孤独な戦いだった。将来、妖力を手放すとしても、今はまだ背負った『力』を封印するわけにはいかなかった。
飛行船が横切った後に残る筋状の雲が水で滲ませたように薄れていく。どこへ向かって飛んでいるかは分からないが、虚空を分断した飛行船を見てヴレイはふと彼等のことを思い出した。
今見上げている空が彼等のいる世界と繋がっていると思うと、突然懐かしさが込み上がった。旅が終わり、何事も無かったかのようにここに立っているが、日々の喧騒に身を任せていると時々彼らとの旅路をふと懐かしんでしまう。
あれ以来ザイドのことを思い出さない日はなかった。
忙しいことを言い訳に、結局向こうには帰れずじまいなのが心苦しかった。それでも、やるべき事も守るべきものも、ここにしかないことは分かっていた。
結局ラセツが守りたかったのは何だったのだろうか。召喚獣に妖弾を放とうとした時、一瞬だがラセツの記憶がよみがえった。
ラセツは分かっていた。ザリが、己の力と恨みで満ちた人格を子孫に隔世させると。だからラセツは自分を殺した。ザイドとほぼ同期に生まれてくる子孫に力を隔世させるために。
ザイドを救いたかったのか、それとも友人を救いたかったのか。どちらにせよ現世まで絡み続けた運命の糸は解かれ、碧空へと消え去ったのだから。
今更どうこう考えるのは、やめた。
「もう、外ばっかり見てないで行くぞ、ケージで待たせてるイーグルにまたどやされるぞ」
ノアは唇を尖らせた。
この笑顔も守るべきものの一つだ。死の直前に言い残した姉の言葉が、今では身に沁みて感じていた。忙しいことは口実で、本当はここから離れたくないのかもしれないと、ヴレイはノアの手を強く握りながら思った。
廊下を歩き出した時、携帯電話が短く鳴った。
そこには一通のメールが届いていた。
またヴレイの足が止まったので、ノアは呆れた様子で振り返ってみると、驚きながらもどこか嬉しげにメールを読んでいた。
読み終わってヴレイは顔を上げると、ノアの手を引いて歩きながら言った。
頬がゆるんで高鳴る鼓動を沈めることは出来そうになかった。頭上に広がる空は、やっぱり世界中を繋げていた。
「君に紹介したい仲間がいる」
完