ラ・バジティスの祭典初日を迎えようとしている頃。ジルニクス国護衛機関セイヴァ、第一艦隊の艦長候補生スピカは、インジョリックサークとグランドラインの境界海域に浮かぶ老朽要塞を上空から眺めていた。
濃い群青の海上に孤島のように浮かぶ要塞は、堅固にその場を守っているようにも見えた。
「着水完了、船体に異常ないし、スピリッチャーケージ内の安全ロックを解除します」
「スピリッチャー隊はケージに集合してください」と艦内にアナウンスが流れた。
マニュアル本に目を通していたジーベックが納得した様子で頷いた。
「境界警備軍には作戦プランを提示した、後はこのまま作戦通り進行だな」
「順調に行けば今日の十五時までには七番までの作業は完了よ」
真っ直ぐ中央モニターを仰いでいたノアが昂然と返事をした。
クルー達がマニュアルをチェックしながら、順調に作業が進行している事を確認したスピカは席から立ち上がった。
「ジーベックさんはスピリッチャードックでイーグル隊長の補佐と、ここへの中継係に当たって下さい、ハリさんとシェルトリー二佐、ジノールス一尉は緊急時に備えてのバックアップ対策を行ってください」
ヴレイがグランドラインに渡ってから、いつの間にか半年も経過していた。メールのやり取りはあるらしいが、やはり彼には早く帰ってきて欲しいというのがスピカの本心だ。
時々押し寄せる不安な気持ちを、振り解くようにスピカは頬を叩いて活を入れた。艦長の任に就いているからと言って、経験も知識も浅い新人には変わりはない、でもそれを言い訳にはしたくなかった。マニュアル本を読んで技術を学ぶこと以前に、状況から推察される判断力が本部から離れた現場では一番重要視される。スピカにとってそれが最も不安な要素でもあった。
スピカは緊急時のマニュアル本を開いた。作戦課から二名、本作戦に同行したのも緊急時に備えてのことだ。やはり万が一の対応にはまだまだ補助が必要だった。しかも今回は境界海域への遠征で、本部から直接的なバックアップもされない状況にある。スピカにとって初の大仕事となったわけだ。
息抜きをしようとスピカは発令室を出てオープンケージへ足を運んだ。
老朽要塞を眺められるオープンケージには強い風が吹いていた。
グランドラインに一番近い最北端の海域だ。ここまで来るのに戦艦クラスのスピードでも四日はかかる距離だ。さらに五日はかかる先にグランドライン大陸があるのだから、どれだけ遠い世界なのか思い知らされる。
明るい栗色の髪が肩口で揺れる。一瞬で髪が潮臭くなったがそんなこと気にはしなかった。深緑色の瞳が不安げに大海を眺めながら、どこかグランドラインの姿を探していた。
「あら艦長さん、休憩?」
「あ、シェルトリー二佐、お疲れ様です」
「ノアでいいよ」
クスッと笑ってノアは続けた。
「あいつにも同じこと言ったよ」
「そうなんですか。艦長元気そうですね僕安心しました。他大陸でしかも一人で仕事だなんて、僕だったら一週間と持たずに戻って来てしまいますよ」
彼女の笑顔が「そうね」と頷いていた。
「霧のせいで要塞が全然見えないな。それに境界海域は天候が変わりやすい、晴れているのも稀らしいよ」
「そうなんですか」とスピカが返事をした後、話題がなく沈黙だけがおりた。不気味に静まり返る中で、「あの」と緊張した面持ちでスピカが口を開いた。
「ノア二佐はヴレイ隊長がグランドラインに行って不安じゃないんですか、顔色ひとつ変えないし弱音も言わないから、すごいなって思うんです」
霧の中に浮かぶノアの横顔がいつもとは違う表情を見せたので、スピカは余計なことを訊いてしまったと後悔した。
「そういうことは人の前では出さないものよ」
彼女の気丈な笑みにスピカは畏敬な想いでいっぱいになった。
「それよりあの海上要塞の事なんだけど、所有者がロマノ国と判明した。まだ公にはしてないけど艦長の貴方にまず報告する。それと調査を進めてあれが無人と言う根拠はなくなってきた、システムは稼動しているようだし、一説によるとあの海域には古代の遺跡が沈んでいるとかで、ロマノ国の調査隊や政府の人間が乗り込んでいる可能性も考えられる」
「じゃああっちが我々の艦に気付いてる可能性が」
「そうよ。艦にダグ防壁を掛けたから、もしあの要塞が何かを仕掛けてきても防壁を破かない限り大丈夫。だからスピカはもっと肩の力抜いて、何かあった時は優秀なクルーがフォローするから」
「はい、有難う御座います。では本部に報告します」
ノアに一礼するとスピカは駆け足でオープンケージを出て行った。
だが調査を開始してから十二時間が経った頃、異変は起きた。