白亜の大手の楼門に架けられた橋。アーチ道の奥に両開きの鉄柵の扉がロインの前に立ちはだかった。
両隣には守衛が一人ずつ立っていてこちらを険しく見据えている。本人であることを確認した後、鉄柵は人一人分が通れる程度に開かれた。
庭の奥には外壁と同じ、白亜の屋敷が見えてくる。中央の尖塔を中心に大小の塔が寄り集まって建てられた壮麗な館だ。
色鮮やかな季節の花々が客人を出迎えると、「ロインッ」と庭の奥から少女の声が飛んできた。
声を上げたのはロインと同い年ぐらいの少女だった。
真昼の日差しの中から少女を見つけたロインは頬をくすぐられたように緩んでいた。
「待ってたわロイン、中に入ってお父様も待っているわよ」
ロインが今日会いに来た男レイスは、子供の頃にベフェナ国へ留学し帝王学を学んでいた。
現在シルバーム国に王族は存在しないが、レイスの家系は王族の血を引く末裔だった。他国で帝王学を学ぶのは代々から言い伝えられている決まりのようなものだ。
成人してジルバームへ帰国してからも、レイスは娘のアンを連れて時折ベフェナ城を訪ねに来てくれる。
赤ん坊の頃からアンと同じ時を刻んできたロインにとって、彼等は身内同然だった。
「ダグ情報にシルバームの執政官に即位したのはルベンスだと書いてあった、過度な軍閥政治を敷いている彼の噂は各国にも流布し始めている、鉱物の物価は高騰するし、石好きの父上は立腹していたよ」
紅茶をすすったロインは不安を隠しきれない顔で、続きを話した。
「新王軍の圧力に連合軍がこのまま耐えられるか心配で、どうしてあんな独裁者が新王に、確かに権力はあるでも力だけだ、やっぱり君達、王族の末裔が王制を復活させるべきだと思う、僕が父上にご助力をお借りすれば」
「それは無理でしょう」
「どうして」
「利発な王子ならお解かりになるでしょう、ベフェナがシルバームに干渉したことになります、そうなればルベンスがベフェナをほっとくとは思えない、彼も王族の末裔です。私達より力のある者を信用します」
「でも、このままにしていたらこの国がどうなるか、それにアンもレイスさんもいるのに見ているだけなんて」
ロインは握った拳をひざの上で強く握った。
助けられないことは分かっていたが、悔しさが込み上がってくる。治安圧制部隊を派兵するには軍法評議会の許可がなくては他国へ部隊を導入することはできない、なにより無許可の導入を父上が許すわけがなかった。
「ロイン王子の義憤は痛いほど伝わってきますが、ここはまだ抑えてください。ただでさえベフェナは軍備拡大政策の反対派です、王子がもしシルバームの内戦に巻き込まれるようなことがあれば、同じ反対派から圧力がきます、そうなれば新王の思うツボです」
アンは細い肩を落とし、眉間にしわを寄せるロインを心配そうに見つめた。
「冷静さを忘れた僕を許してください」
ロインの小さな肩に手を置いたレイスは憮然に呟いた。
「王子の熱意には励まされます、連合軍の皆さんにも聞かせてあげたいぐらいです」
唇を噛みしめたロインはうつむいて小さな頭を振った。
自分のやっている事は子供のでしゃばりでしかない事ぐらい分かっていたが、一言でいい、レイスの口から一緒にがんばろうという言葉がほしかった。
* * *
一人の少女がラブラリン国の首都ミラードルを離れ、西端の港町に着いたのはまだお昼前のことだった。
港町は買い物客で賑わっていた。狭苦しい広場に所狭しと並んだ露店市場をすぎると、広いポート乗り場に出た。
ラブラリン国とベフェナ国を繋ぐ境界湾沿いの町は海外との貿易港として栄えていた。
船長達のこだわりを感じさせる様々な漁船が何十隻と停泊し、また別の乗り場には連絡線と貨物線が並ぶ。
黄金色の短い髪をなびかせる少女は既に決めてある船乗り場へと向かった。
乗船チケットを買うと、ゲート先で大きく手を振る少年を見つけて「えっ」と声を上げてしまった。
その少年は腰まで落ちる赤毛を首の後ろで結い、大きく開いた瞳は水飴のように艶めいていた。十四歳ほどの体躯はまだ細身で、頭一つ分低い身長が幼さを感じさせた。
「ロインじゃない、また一人できたのね」
「久しぶり、ルピナ。少し見ない間に大人っぽくなったね」
「当たり前じゃない、少なくとも君より年上ですから」
二人が再会した数時間後、ヴレイもその港町に訪れていた。
港に来たのは湾を横断してベフェナ国内を通った方が、その隣にあるシルバーム国へ行くには最短距離だった。何より長い陸路をこれ以上馬車で移動したくなかったのが本音だ。
数日前、セイヴァ本部から詳細な任務内容がメールで届いていた。それはインジョリック化しているシルバーム国の現状を偵察せよというものだった。
初めての独断任務にヴレイの冒険心が小波から大波へと高ぶっていた。
ヴレイは一番運賃の安い船を見つけたが、他の客船とは明らかに設計の異なった姿に、唖然としてしまった。
船底は波の抵抗を考えて緩やかな曲線を帯びてはいるが、甲板の型がおかしい。
船尾が横に広がり、船橋にはデッキのようなものが設置されている。まるでそこから何かを観覧するようになっているみたいだ。
とりあえずヴレイは乗船し、出港まで屋外カフェで待つことにした。
大海へと繋がる湾の水平線をどこまでも眺めながら、照り付ける太陽の下で眩しそうに目を細めた。
* * *
海面を裂いて進む船の甲板には塩気のある風が吹きぬけ、それはもう爽快だった。
「なにもここまで来ることなかったのに」
「いいじゃないかたまには、僕は船を使わなくても召喚鳥がいるからここまでひとっ飛びなんだから」
「それって密入国じゃない」
「失礼だな、僕だってちゃんと港の国境ゲートで旅券見せてるもん」
「それなら私にだって乗せてくれれば、わざわざ船賃はらうことないじゃない」
「でも帰りは船に乗りたかったんだもん、それにルピナお得意の波乗りも見たかったし」
手すりによかかって無邪気に笑うロインに、ルピナは「そうね」と情けなく笑い返した。
「それより、旅の許可がよく下りたね、フレイヤ王に止められなかったの」
「止められたわよ、でも将来のためだからって強引に許してもらったの、それに私一級剣士の称号取ったから、約束通り父様は仕方なく折れたのよ」
「ルピナが羨ましいよ、心の広いお父上がいて」
「ベフェナ王は厳格なことで有名だからね、なのにこんな所まで一人で来て、ベフェナ王が知ったらさぞお怒りになるんじゃないの」
「大丈夫だよ、父上は召喚獣を呼び出す僕に怒るだけだから、最近そういう時ぐらいしか顔合わせないし」
悄然するロインは船のそばで泳ぐ魚のジャンプに、声を上げておもしろがった。
どう声を掛けて良いか分からなかったルピナは一緒になってはしゃぐことも忘れていた。
「ごめんルピナ、君の気を悪くさせるつもりはなかったんだ、ただ父上は動物嫌いで、いつかは分からせてやるんだって思ってるんだ、ルピナがそんな顔しないでよ」
逆に慰められたような気がしてルピナはロインの背中を思いっきり叩いた。
「その意気よ」
王族の中でも彼女は風変わりで、並みの姫君とは異質な存在だった。そのせいか各国の王侯が集まった席でルピナは浮いていた。目を惹いてしまう優美さは勿論のこと、彼女の異彩な雰囲気がそうさせているのかもしれない。
王子ならともかく、王女で剣を扱える人間は少ない。
服装と言ったら昔から軍服を好み、それも上級官僚の壮麗で高貴な服ばかりを選んで着ていた。今は庶民に溶け込もうと、それなりに落ち着いてはいるが、ズボンの裾をブーツにしまう女性は滅多にいない、基本的に男性寄りの装いだからだ。それでもルピナは颯爽と着こなしてしまう。
首筋で短く切られた髪は黄金色に輝き、潮風に強く吹かれていた。海の様に真っ青な瞳が楽しそうにロインを見下ろした。
春から初夏に移り変わる季節風は湿り気が増して暖かくなるのが特徴だ、そして気流が動きやすくなるこの季節は遥か上空で吹く風音がここまで聞こえてくる。
しばらくして甲高い汽笛が三回響いた後、アナウンスが流れた。
「ただいまから波乗りのエントリーを行います、参加希望の方は二階受付ロビーまでお越しください、締め切りは今から三十分後です、時間厳守ですので申し遅れた方の途中参加は認められません」
「だってさ」
手すりから身を乗り出したロインが楽しそうにルピナを促した。
「じゃあ行ってくるね」
「いってらっしゃい、中央ゲットしろよ」
「運がよければね」
同じ頃、二階のカフェで平穏な船旅を始めていたヴレイにも、アナウンスは聞こえていた。続々と人が集まってくる様子がカフェからも見ることができた。
「波乗りって何だ」
カップを口元に当てたままヴレイは紫紺色の瞳を二、三度瞬きさせていた。