突然コックピットに駆けつけて来たノアとイーグルに驚き、スピカは席から立ち上がって二人を出迎えた。
「ヴレイはどこ」
ノアの機嫌は声の低さで明らかだった。
「ディウアースの最終調整でケージへ行かれました」
「ここへ呼んで」
「は、はい」
じりじりと伝わってくる彼女の機嫌の悪さに、生唾を飲み込んだスピカは緊張な面持ちで艦内放送を流した。
「どうしたんだよ急に、艦に来るなんて珍しいな」
眉間にしわを寄せたノアを見て、困惑するヴレイはイーグルに助けを求めるような視線を向けるが、答えてはくれない。
「あの……」と声を出したとの時、突然ノアが口を開いた。
「説明しろ、グランドラインに行くって本当なのか」
「どうしてその事、スピカしゃべったのか」
「ぼ、僕はジールさんにだけ言ったつもりが」
ジールに言えば皆が聞いたのと同じぐらい、口が軽いことで有名じゃないか、とヴレイは言ってやりたかったが愚痴はかみ締めて飲み込んだ。
溜息をついたヴレイは皆が噂していることを説明した。
数時間前、総司令公務室でその任務は言い渡された。
「ペクトの件も終結し軍政も今は落ち着き始めた。そこで君にグランドラインへ偵察に行ってもらう。ここ数十年、軍拡や機械化の進んだ一部のグランドライン内の国々に軍艦用造船パーツが大量に集まっていると言う情報が入ってきた。今グランドラインはインジョリック化が加速しているのと同時に、造艦工学が確立され航空技術が進歩してきている、その事実は講義で習っただろう」
ヴレイは頷きながら「はい」と返事をした。
「そこでグランドラインがインジョリックサークの脅威にならないか内偵をしてもらう。すでに諜報部員が向こうに渡っている、だが調査は個別で行ってもらう、出発は年が明けてからだ、こちらで出発の手続きは済ませる」
スカイ副指令の黒い瞳を直視したままヴレイは質問した。
「何故俺なんですか、第一俺が艦隊を空けてもいいのですか」
すると気丈に沈黙を守っていたラクルナ総司令が口を開いた。
「軍人として諜報部員以外は外の公務を認めていない、だが緊急任務の場合、承諾するかは本人次第だ、それをお前がどうとるかはお前次第だ」
その時初めて父親と認識できたことに驚き、ヴレイは一瞬答えるに躊躇してしまった。
「行きます。スピカには今日中にこの事を伝え引継ぎを始めます」
「では」とスカイ副指令が手に持っていたダグノートをヴレイに渡した。
「向こうに行けば携帯電話の電波はここまで届かない、そこでダグノートにはセイヴァ専用の特別信号をセットさせた。一般のダグ回線を繋げばメールのやり取りはこれでできるが、インジョリックの情報を取り出すことはできない。それと工作費は君が指定してきた銀行に送金する、この期間の給料は内偵が終了するまで手を付けなくて済む」
「グランドライン内で携帯電話を使うことは可能なのか」
「あそこは一つ一つが独立国の集合体のようなものだ、安易に連絡が取れる場所はまだそう多くはない。携帯電話に搭載された信号を使えば携帯電話同士でなら通信はできる、それとダグ回線は主に公共施設に設置されている、電波を拾えば携帯電話からでもグランドラインの情報収集は可能だろう、当然ダグノートでも同じことができる。報告書用のファイルやメールアドレスはこちらから送信しておく、仲間のメールアドレスも登録しておくといい、説明はこのくらいだ、前日に航空チケットを届けさせる」
親切に説明してくれたスカイ副指令はヴレイの肩を叩いた。
ヴレイは二人に深く頭を下げ、公務室から出て行った。
「とりあえずスピカにだけ話して、近くなった皆に報告するつもりだった」
「似たような話なら俺たちもついさっきしていたところだ、造船資材の輸出が増加しているって噂を聞いて、それで調査団が向こうに渡るんじゃないかって、まさかお前が」
イーグルが話している途中にもかかわらず、声を尖らせたノアが割り込んできた。
「どうしてヴレイが行くの、諜報部に任せておけばいいじゃない、それに艦長が船を空けるなんて」
ヴレイの腕を掴んだノアは納得のいかない面持ちで答えを待った。
「ごめん、でも俺グランドラインに行きたいんだ、こんな機会もう二度とないかもしれないから」
沈黙するノアの代わりに、イーグルが叱咤するようにヴレイの肩を軽く叩いた。
「お前が決めたことだ、がんばれよ隊長」
「ああ」と頷いたヴレイの腕を放したノアはブリッジから出て行ってしまった。
「ほら、行ってやれよ」
ヴレイの背中を押したのはイーグルだった。
ライバルだった彼がいつの間にか心許せる友人になっていたことに、嬉しくなった。
* * *
廊下の先で彼女を見付けた。
二、三歩歩み寄ったヴレイは気まずそうに咳払いをしてから、声かけた。
「ごめん、勝手に決めて、今すぐってわけじゃないけど向こうに行ったら暫く会えなくなるけど、分ってくれるか?」
沈黙がしばらく続いた後、うつむいたままのノアは突然ヴレイの胴に腕を回し、人目も気にすることなく強く抱擁した。あまりにも突然だったので、押されたヴレイは壁に背中をぶつけてしまった。
それでも嬉しかったヴレイは彼女の頭を撫でながら、額にキスをした。
「私は気が短いんだ、さっさと帰ってきて」
「ああ、分ってる」
一安心たヴレイはノアの髪の中に顔をうずめて、強く抱きしめた。
彼女の香りに安らぎを感じた。
しばらくの間、この香りと安心感を我慢しなければいけないのはヴレイにとってかなりの苦行だった。
「ヴレイの十八歳の誕生日は皆で祝おうか、送別会も兼ねてね」
「うん、そうだね、でもその後は二人がいい」
ヴレイは言葉を言い終わる前にノアの顎を軽く持ち上げ、彼女と唇を重ねた。
屈託のない彼女の笑みを見付けてから、ヴレイはセイヴァに身を置くことも悪くないと思うようになった。
だがノアの笑みの裏に辛い過去があることを知ってから、今まで見ていた色彩が真逆の色に変化したような錯覚を受けたこともあった。
多面的なノアの横顔を見るようになってから、自然とヴレイは自分の事を自ら話すようになった。
* * *
ジルニクス国の上空は目も覚めるような透き通った快晴だった。
彼方に小さな雲の塊が山脈の傘になるように浮かんでいる景色を、コックピットから眺めることができた。
黒を基本に白と青で統一された戦艦。艦橋の突き出た舷側蹄部はスピリッチャーの射出口になっている。
大気圏に吹く強力な対流を利用し、インジョリックサークで開発された戦艦は成層圏内を一ヶ月から二ヶ月は飛行できる。
空飛ぶ要塞は太陽の光を反射させながら、碧玉のような虚空を浮遊していた。
だが、大陸を割る雄大な大山脈の絶景も、船内の整備コロニーの中からでは見ること以前に、太陽の光すら感じることはできない。
慣れない手つきで配線コードを組み直していると、隣でそれを見ていたイーグルが手を伸ばしてきた。
「違う、これは二百五十八番に接続だって言ってるだろ、配線を間違うとどうなるか分るよな」
指摘されて、そっけない返事をしたヴレイはイーグルの無駄のない鮮やかな手付きに見入ってしまった。
何度見ても芸術作品のように描かれた配線の図面が、ヴレイの頭を幾度となく痛ませた。
同じ工程を何度もやり直され、後半になると集中力を切らすので苛立って作業が雑になっていた。
イーグルは重たい溜息をついて手を止めてしまった。
「先週と何も変わってないじゃないか、俺の教えた所はまだ簡単な方なんだぞ」
「どれも同じに見える」
「もううんざりだ」と付け加えたかったが、生意気な生徒になるだけだと思ったのでそこは言葉を飲み込んだ。それでなくても十分デキの悪い生徒だ。
「機械関係になるとさっぱりだな、基礎電子工学からやり直したほうがいいぞ」
「ジールにも同じこと言われた」
「そうだろうな、ひとまず休憩だ」
イーグルは喉で笑うと、持っていたタオルで額の汗をぬぐった。
ディウアースの拘束用デッキから出た二人は、休憩所として設置された張り出し台まで降りた。
息苦しい機械の中から開放された直後は、そこが格納庫の中でも空気がおいしく感じられた。だが作業服に染み込んだ汗や機械油の異臭には、外界にさらされたことによって更に強く鼻についた。
邪魔そうな前髪を梳き上げたイーグルはその場に腰を下ろした。
「まあ気にするな、配線音痴でも隊長はディウの最高の相棒なんだからさ、人には向き不向きがあるってことだ」
「フォローのつもりか」
「まあそういうことだ」
群青色の瞳をディウアースに向けるイーグル・スカイは、ノアが入隊した半年後に入隊して来た青年だ。
「ところでさっき調整した箇所のデータ修正はちゃんとしとけよ、あれで一定の磁界防御壁を転回させた際に装甲を硬質化させ、物理攻撃にも耐久性が増したから」
機械工学や電子工学を得意とする彼はスピリッチャー隊長を任され、手が空けば多忙な整備班に変わってヴレイの機械整備の教育係にもなっていた。
そのことにヴレイが快く思っていないことはイーグルも察知していた。
「分かった。その頭脳を俺にも分けてほしいです」
冗談を言いながらもヴレイの冷めた態度に、イーグルは負けじとあおったりする。
「大半の戦闘を勘で切り抜ける隊長には負けるさ。ところでノアと付き合ってるんだって、俺とは付き合ってくれないのにさ」
「ど、どこでその事」
「お前の身近な奴らから」
「絶対ジールだ、おしゃべりが」
イーグルからその話を持ち出されたくなかった。
ノアとイーグルが顔見知りだと言うことは一目で分ったが、あまりの親しさに腹が立ったこともあった。
二人が元婚約者同士だったという噂が耳に飛び込んだ時は、言葉が出なかったほどヴレイは驚いた。ノアと付き合うようになった今でもその事実は訊けていなかった。
「これでもショックだったんだぞ、いつかは振り向いてくれるって思ってたし、悔しいがお前らを見てると憎めないんだよな、それでもいいかなって思えてくる」
イーグルから予想にもつかない言葉が出てきて、ヴレイは身を引いてしまいそうなほど驚いた。
「俺がノアの元婚約者だって聞いてイラついてたんだろ」
図星を隠そうとして不自然にうつむいてしまった。
「十五年前、グランドラインで起きたダグコロニー爆発事故の事、話だけなら聞いてるだろ」
ヴレイは頷いて返答した。
「ダグコロニーの組み直しとして派遣された調査団にノアも同行していたんだ、父親と一緒にな。あいつの父親はセイヴァの戦闘機開発部所属のダグ開発の一人者だった、ディウの開発にも携わったらしいぞ」
「そうだったのか、知らなかった」
「あいつは話さねえけど、ノアの父親は優秀な技術開発者で家族と過ごす時間もつくらず研究に没頭していたらしい。派遣先で原因不明の大爆発が起き、ノアの父親も含め多くの研究員が亡くなった、だから正直あいつがセイヴァに入るとは思わなかった」
手すりを掴んで気だるそうにイーグルは立ち上がり、足場から眼下を眺めた。
視線の先にはスピリッチャーの整備に精を出すクルー達がいた。
「当時まだ下っ端の研究員だった俺の父親は爆発事故の調査へ行った。生き残ったノアを保護していた施設にも行ったそうだ、そこへはお前の母親も派遣されたらしい」
「お袋も爆発に」
「いや、彼女は爆発原因の調査で先に渡っていたんだ。その調査で彼女が主幹の実験は二年引き延ばされたとか。ノアはセイヴァの医療施設に移されたが、精神的ショックで鬱病になりかけてたあいつを少しでも良くしようと、親父が引き取ったんだ。それが俺とノアの初対面だった。俺が成人した頃、十九歳のあいつはドミロン大学の全寮制に入学が決まって、慌てて俺はノアにプロポーズした」
「そしたら」
ヴレイは生唾を飲み込んだ。
「見ての通りだ、元々付き合ってなかったし、遠距離になるぐらいなら結婚したかったんだ」
まだ尾を引きずっているようなイーグルは自嘲するように鼻で笑った。
「それから四年後、女の尻を追ってここまで来た訳だ」
「そうだったのか」と呟いたヴレイは気が抜けたように茫然とした。
ノアの男らしい喋り方がイーグルと似ていたことに、その時初めて気が付いた。自分は知らない二人だけの思い出があるともうと、ヴレイは悄然な気持ちに襲われた。
「知りたかったんだろ、俺とノアの昔話。別に隠してたつもりじゃないんだぜ、でもお前とあいつがデキてるって聞いた時は大人げもなくムカついた。さてと」
大きく伸びをしたイーグルはヴレイに手を伸ばし、立ち上がるのを手伝った。
「残りの仕事を片付けるぞ、覚えの悪い誰かさんのせいで夜中になっちまう」
「誰かさんの教え方がいいもんでね」
憎たらしいほど解りやすく教えてくれる講師にムカついて、機械整備は嫌いだとヴレイは改めて思った。
第8話 >>> 第10話へ
また長くなってしまいました
読んでくれた方々ありがとうございます!
これから第二章となります、雰囲気がガラッと変わりますので、またヨロシクおねがいします