光降る魔法の森。
貴方がここで出会うものは、目が覚めたら手の平からこぼれ落ちてゆく白砂のように儚いものかもしれない。
苦労してどんなに詳細を書き綴ろうと思い出と記憶は減衰していき、月が消えていくように意識は無意識下へと姿を隠す。

 



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裕唯はいつもと同じ私室、安い賃貸の白天井を仰ぎ見て朝が来たことを認めた。
そして、泣きたくなるほどの強い恋慕の気配を感じて首を傾げた。何か、大切な存在が頭から抜け落ちたような虚無感。
そして同時に、かつて自分は仕事に追い込まれ、心を病んだ事があるということを遠い昔のことのように思い出した。
「あれ、仕事……」
傍らのスマートフォンに手を伸ばし、ロック画面を確認した。

───2025/07/22(火)AM5:30
随分と早起きをしたようだ。いつもなら朝起きるのに苦労するのに。
今日も暑くなるのかなぁ、なんて欠伸をしながら天気予報を開き、どうやら雨は降らないらしいというところだけ把握して身支度を始めた。
いつもなら重苦しい気持ちでスーツに着替えるのだが、不思議と気分は晴れ晴れとしていた。三連休の効果だろうか。
少し散歩をして駅前の喫茶店でモーニングでもしよう……なんていつもとは考えられないほどの思考の余裕に自分でも驚いた。

外に出ると、夏の朝の優しく清々しい日差しが目を焼いた。
公園の中の大きな桜の木は青々と葉を茂らせ、時折風で木漏れ日を優しく揺らした。
そんな光降る光景に何となく既視感を憶え、暫くの間眺めていた。

───『裕唯お姉さん』

突然、鈴を転がしたような可愛らしい声が脳裏に響いた。
「!!!」
息が止まるほどの衝撃が走る。心臓は早鐘を打ち、無意識に呼吸が浅くなる。忘れちゃいけないはずの存在の残り香を認識して焦燥感が裕唯を支配する。
───『こっちだよ』
声のする方へと導かれた。足が勝手に動き出す。
小高い小さな丘の上。太陽を背負って立つその存在に裕唯は目を細めた。

「また会えたね」

逆光で表情こそ見えないが、あの時と同じように微笑むその存在を認識して裕唯は駆け出した。



ジジジジジッ……ジジジジジッ……
「───!?!」
アラーム音と動悸で目が覚めた。
全力疾走した後のような息苦しさに深呼吸で整える。

「はあ……はぁ……寝てるだけで疲れた……」
酷く感情を揺さぶられる夢を見た気がするがそれも霧が晴れるように記憶から無くなってしまった。
やけに汗をかいているがこれも熱帯夜の寝苦しさのせいだ。
手探りでスマートフォンを手にし、ロック画面を確認する。

───2025/07/22(火)AM8:30

「やっっば!?!?」

今家を出て駅について何時の電車で……と思考をフル回転させながら身支度を整える。
(大丈夫!ギリギリ間に合う!!!)
夢でも全力疾走して、そして現実でも全力疾走。
(今日は本当についてない!)……なんて内心いじけながら電車が到着しそうなホームに滑り込み、息を整えながら乗車する。
くたくたになっているスーツを整えながらオフィスに入ると、もうすぐ朝礼が始まる所だった。
(はあ...もう死ぬかと思った……)
なんてぐったりしながら前を見ると上司が一人の女の子を連れて入ってきた。その女の子をみて裕唯に電流が走る。

「今日からお世話になります!あんずです。皆さん、ビシバシご指導よろしくお願いしますっ!!」

屈託のない笑顔。少女の面影を残したまま全てを見通すような神秘的な瞳。栗毛色のふわふわと柔らかそうな髪。
心に空いていた大きな穴が満たされるような感覚に裕唯は目眩を起こしていた。
あんずはふと裕唯に目を向けて満面の笑みを向ける。
そして口パクで何かを伝えた。

───(また、あえたね)

 

 

 

 

 

Written by Kiori.

パーティも終わりを迎えた。
あんずは人々を元の世界へと笑顔で送り出し、瑞美鈴と裕唯は集った動物達と後片付けを始めた。

「千秋。」
「……お姉様。」
眠るチハルを撫でる千秋の隣に祈織は腰掛けた。
「貴方には沢山心配をかけたわ。ごめんなさい」
「いえいえそんな!!私こそいつも強引なところがあるというか、いつも猪突猛進というか……!!」
分かりやすく狼狽える千秋を見て、祈織は優しく千秋の頭を撫でた。
「私、貴方と正面から向き合ったこと……無かったかもしれない。」
「何言ってるんですかあ。そこが私の好きなところなんですよぅ。ほら、その方が追いかけたくなるじゃないですか」
冗談めかして言う。しかし、その目線から察するに本音と嘘とが半分ずつ混じり合っているようだった。
「私は貴方のこと、好きよ。一緒に居てくれるだけで心が軽くなるの。家族みたいな存在だわ。」
それを聞いて千秋は目を見開いた。

「お姉様。今初めて私の事好きって言いましたね」
「……あら、そうだったかしら」
「そうですよー!?!」
わあい、と声を上げて千秋は祈織に抱きついた。
膝枕されていたチハルが突然の振動に「ぐえ!?」と声を上げる。
ジト目で見るチハルを他所に千秋は祈織を真っ直ぐに見つめた。
「私、お姉様には幸せでいて欲しいです。そしてその時、私を傍に置いて欲しいなんて望んだりはしません」

でも、と千秋はいつにもなく真面目な声音で言う。
「お姉様が一人で苦しむくらいなら、私を傍に置いて下さい」

真摯な言葉に祈織の胸は熱くなった。まるで飾らないありのままを受け止めて貰ったようで、千秋に与えられた温もりが祈織の慢性的な孤独感を溶かしていく。
「……ありがとう」
熱いものが頬を伝った。

「うぎゃっ!?大変ですわ、柄にもないことを言ってお姉様を泣かせてしまいました!!!」

スミレちゃんんんん!、と近くにいた瑞美鈴に泣きつき、「寄るな!暑苦しい!」と完全拒否される千秋を見ているとなんだかおかしくなってきた。意外と相性がいいかもしれない。
「主。今何か不本意なことを考えましたね」
今度は瑞美鈴がジト目になっている。



ひとしきり笑った後、祈織は周囲を見回して言った。

「そろそろ、帰りましょうか」
それを聞いてあんずは諦めたような、大人びた微笑みを浮かべた。
「うん!それがいいよ」
「私は結構人間の姿気に入ってたんだけどなぁ!まあ千秋ちゃんと一緒ならなんでもいいけど!」
チハルも明るく同意する。

しかし、千秋は不安そうにあんずと裕唯とを見比べた。
そして裕唯も元の世界には帰りたくない様子。
その様子を見て祈織は千秋に微笑んだ。
「大丈夫よ、きっと。ね?スミレ。」
「まあ、一種の賭けですれどね。」
ゲートを開いて人々を森に招き入れた時や瑞美鈴が魔法を使った時、祈織は気づいた。
意識や願いなどは目的と未来が明確であればあるほど現実世界に影響を及ぼすということ。強い意識はその事象を引き寄せる。そうやって出来ているのだ。良くも悪くも。

「また向こうで会えるはずよ、皆で」

祈織は瑞美鈴と向き合って両の手を握った。指を絡ませてそっと祈る。皆が幸せな未来を。

やがて森の崩壊が始まった。それは地震にもって引き起こされるものでも、亀裂を生じさせるものでもなかった。
森全体が光の粒子となって天に返っていくように少しずつ消えていく。

「綺麗ね、スミレ」
「主。集中してください」

ひとり、またひとりと森から消えていった。
光は濃くなり、森はもはや原型を留めていない。
2人の祈りは森の光が天に返って辺りが闇に包まれるまで続いた。

 

Written by Kiori.

「一人でいる時間は、好き。自分と向き合えるから」
そう言って空を見上げる祈織を、スミレは彼女の膝の上で喉を鳴らして見ていた。
「あなたは、どう?私とずっと一緒にいると退屈でしょう」
「……にゃあ」
1つあくびをして誤魔化して、また彼女の膝の上で微睡んだ。
退屈を感じることは無い。こうしている間は自然と祈織の考えが読めるから。今は数刻前に読んだ小説の余韻に浸っている頃だろう。そして最終的に人間とは、という所まで思考を飛ばしている。



いつからか、祈織とは思考を共有しているような感覚があった。
人と猫、それは神秘的な交わりであると祈織も思っていたみたいで───





「どうしたのスミレ、ぼうっとして。」
食事が終わった後。
祈織と瑞美鈴は二人、木陰で寄り添っていた。あの頃となにも変わらない穏やかな時間だった。
「いえ、この森のことを考えていました。この森が主の意識の中であるならば、私は何なのだろう、と」
「私の意識は、貴方に強く影響を与えている。私にとって1番近い存在だったのは、貴方だから。だからこの森の始祖であり管理者はあなただった。」
「ならば、あんずは───」
「あの子は唯一、元の世界に存在しない……という存在。私の無意識下の良心そのものが具現化したというだけの言わば概念。」
遠くで裕唯と一緒に楽しそうにはしゃぐあんずを見て2人は不思議な感覚に陥った。
きっと、このままずっとこの森の中に居る訳にはいかない。でも、そうしたらあんずは───



遠くではチハルと千秋が元気に追いかけっこをし、あんずと裕唯は花冠を作っている。
チハルがまだ人の身体に慣れずに転びそうになったら近くに座っていたあんずが抱き留め、笑い合う。

 


千秋が軽くチハルに注意をして、裕唯があんずとチハルの怪我の心配をしている。
平和そのものだった。祈織と瑞美鈴に芽生えた僅かな憂慮などは彼女たちには知る由もない。 
だが、
ふいにあんずはこちらに視線を送り、やけに大人びた顔で微笑んだ。
そして人が変わったと錯覚するくらいに幼く可愛らしい笑顔で裕唯やチハル、千秋に向き直ってこう言った。

「ねえ、皆!せっかくこんなに楽しいんだから、パーティーしようよ!お客様も呼んで、もっと賑やかに!」

あんずの提案に、広場は一気に活気づいた。
「パーティー! いいね、千秋ちゃんも好きでしょ?」
チハルが飛び跳ねながら言うと、千秋は笑って頷いた。
「楽しそうですわね!どんなパーティーに致します?」

「お客様?!」
瑞美鈴が一人、いつものあんずのとんでもない提案に目を白黒させる。
「あらあら、あの子がまた何か言いだしましたよ、始祖様?」
祈織はくすくすと笑い、瑞美鈴を横目でからかった。
ああもう!と口では言いつつ悪い気はしてない様子の瑞美鈴と共にあんずの近くに集合する。

「パーティーなんて何をするの?」

あんずは指を折りながらアイデアを並べる。
反対する瑞美鈴を説得するのなんて、朝飯前だ。外の世界に行きたいと言ったあの時のように。
「美味しいご飯に、音楽に、ダンス!それから、森の動物たちや他の住人も呼ぼうよ!魔法の森のパーティー、絶対楽しくなるよ!」
裕唯は少し心配そうな顔で、「でも、準備が大変じゃない?」と呟いたが、あんずの笑顔に押され、「まぁ、あんずちゃんが言うなら一緒にやろう」と肩をすくめた。

瑞美鈴が杖を軽く振ると、広場の中央に木のテーブルがいくつも現れ、同じく椅子も並んだ。
あんずは祈織を家に誘うと、一緒に焼き菓子を焼き始めた。
焼き立てのいい香りが森に広がっていく。
千秋とチハルが広場を飾り付け、裕唯が出来上がった料理を並べていく。

森の住人たちも次々とやってきた。狐が笛を吹き、羊が花冠を編んで皆に配った。鳥たちが空から舞い降り、さえずりで即興のメロディを奏でた。

「最後はもちろん……!」
会場がある程度整った時、あんずは祈織と瑞美鈴に向き直ってにっこりと笑った。
「外の世界の人たちにも来てもらうよっ!」
あんずは森の最奥を指差した。かつてあんずと瑞美鈴が分かたれた場所。

 


瑞美鈴から見て闇の気配の温床だったそこはいつしかその気配は払拭され、周囲と変わらず光降る魔法の木々が並ぶだけの小道だった。
「やり方はもう、分かるでしょう?」
あんずはいたずらっぽく笑い、祈織を見る。
「意識を変える……それだけで見える世界は変わり、そして開かれるということね?」
「そういうこと!」
あんずは祈織と瑞美鈴の手を取り胸の前に寄せ、目を閉じた。2人を巻き込んだその手は祈りの形をしていた。
そうして3人は光を帯びて、その光はゆっくりと森の最奥へと収束していく。

「あれ……ここは……?」
やがてひとり、またひとりと迷い込んできた人たちは不思議そうに辺りを見回す。
その様子を見てあんずは「ほらね?」とにっこり笑った。
そしてその人達の元へ駆け出す。

「ここは魔法の森だよ!私はあんず。ついてきて!皆で楽しもう!」

そうして、森はまるで生きているように、音楽と笑い声で満たされた。

あんずは裕唯と手を取り合い、くるくると回りながらダンスを楽しんだ。裕唯は最初こそ照れていたが、あんずの無邪気な笑顔に引き込まれ、狼のしなやかな動きで軽やかに跳ねた。
「私、こんなに楽しいの、初めてかもしれない!」
あんずは目を細め、「裕唯お姉さんが笑ってると、私も幸せ!」と答えた。
二人の周りでは、皆が輪になって歌い、拍手を送った。



───「奇跡のようなこと、ばかりね」
祈織は少し離れた木の根元に腰掛け、呟く。
「その奇跡とは、あんずを中心に巻き起こりますね」
瑞美鈴は祈織の傍に佇んで広場の喧騒を見守った。
祈織は少し笑って、書庫から持ち出したいつもの白紙の本を開いた。
「これはもう、必要ないわね。」
どんなに記録を書き綴っても白紙の本。何故なら全て意識の中の出来事だったから。
意識の中の思考なんて曖昧なのに、記録などをして森での出来事を確固たる現実にしようとしていた。そんなことは無意味なのに。
「私は、ずっと逃げていただけだった。あの子からも、そして自分自身からも……」
祈織は遊び疲れて眠ってしまったチハルを優しい眼差しで撫でる千秋に目を向けた。
「主は考えすぎる節があります。人に送る言葉とは、もっと単純明快で良いのです」
瑞美鈴はそういって腰を下ろし、祈織の肩に頭を預けた。
「ふふ、貴方のそういうところ、好きよ。」
瑞美鈴はその言葉に肩を上下させ、祈織を見た。

「さ、森の始祖様がこんな所ばかりにいてはいけないわ。行きましょう」
祈織は本を木の根元に置き去りにして立ち上がった。
立ち上がって高くなった背丈と、祈織の影が顔にかかって差し伸べられた手に息をつく。
「はあ、全く仕方ない人ですね」
瑞美鈴は祈織の手をとって共に広場へと戻った。


魔法の森は人々の幸せを生み出して、更に輝いていく。
パーティの楽しい時間は人々の記憶の中で永遠に生き続けていくだろう───

 

 

 

 

Written by Kiori.

The writing assistant is Sumire.