みかんの缶詰 -4ページ目

旧横須賀鎮守府司令長官官舎の公開とエラスムス立像展

母と二人で、行ってきました。




普段は閉じられている門。








玄関




玄関入って左側の応接室だそうです。


窓際には。上皇后ご夫婦の写真が。

この椅子に座られたそうです。


右側はリビング。

ステンドグラスが綺麗でした。

窓際にはグランドピアノがあり、

ピアニストの生演奏も聴けました。


ダイニング


ダイニングの床


ダイニングのステンドグラス


階段も素敵。廊下も全て赤い絨毯。


和室




桜の季節にまた来たい




お庭には大木も


紅葉も綺麗




お庭からの眺め






館の周りは、グルっと土塁が築かれている様な


階段の下には、防空壕の入り口が


門の横の土塁?


門の前の坂を下ると聖徳寺




さらに下り、聖徳寺坂を渡っていくと、

やぎさんのお家。


線路沿いのフェンスにグミがたくさん


母と別れて、ウエルシティへ

行きたかったエラスムス立像展。

三浦按針の事をもっと知りたいです。

主催者の田口さんにもお会いできて、

最終日に間に合って良かったです。




田口さんに、写真を撮っていただきました。

自分で撮り忘れました。ニコニコ

日米親善ベース歴史ツアー

240人の募集に、1700人が応募したそうです。横須賀市観光協会主催の、日米親善ベース歴史ツアーに当選して、行ってきました。

2019年にも申し込みしましたが、落選し、その後コロナで、開催が中止になり、久々に復活したツアーです。


JR横須賀駅9時半までに集合で、第2グループでした。

8〜10名でガイドさん一人と、分かれてヴェルニー公園まで、解説付きで移動しました。


最初に横須賀駅の説明から。

階段がないのは、物資を運びやすくするためと、

明治天皇がお召し列車でいらっしゃるので、見下ろす場所を作らないためだそうです。

一番線ホームが明治天皇専用だったため、現在は、2番線と3番線しかありません。


幕末に、小栗上野介さんがフランス人のヴェルニーさんと協力して、横須賀製鉄所を作り、その後横須賀造船所になり、海軍の軍艦を作り、海軍の基地となり、敗戦でアメリカの海軍基地(ベース)となりました。


小栗さんは、アメリカを頼ったらしいのですが、南北戦争の真っ最中で、対応できないと断られてしまったそうです。そこへ、在日のフランス公使が、助け舟をだしてくれたそうです。


フランスの技師達は、家族連れで移住してきたそうで、フランス村があったそうです。


明治初期は、産業都市として、観光名所だったらしいですが、戦時中は、軍事機密がもれないように、約2キロにわたり、コンクリートの塀ができて、封鎖されていたそうです。

その壁が、JR横須賀駅の駅前に、少しだけ残っていました。

そして、三笠公園まで続いていたそうです。


その頃は、電車の窓も、横須賀ではブラインドをしめるのが決まりだったらしいです。


その塀の中に入る為に、この門がありました。

道路を作る時に、場所は少し移動されたそうです。

左右に2棟あって、横には、コンクリート塀がつながっていた接着跡が残っています。


横須賀港には、しらせと護衛艦まやが、停泊していました。


しらせは、いつもと反対の向きで、中まで見えます。


アメリカ側の、珍しい船。ホテル船だそうです。

ベース内の宿泊施設が足りなくなると、使われるそうです。


これから向かう、アメリカ側のドライドッグ。

右から、1号、2号、3号と並んでいます。


この後、ヴェルニー公園内のティボディエ邸を見学しました。ヴェルニーさんの部下だそうです。

ティボディエ邸は、ベース内にありましたが、解体され、その部材を使って、公園内に建築されたそうです。

富岡製糸場と同じ、木骨煉瓦壁という作りだそうです。

ヴェルニーさんは、横須賀製鉄所の後も、各地灯台や、富岡製糸場などの近代建築物を手がけているそうです。


ヴェルニー公園でバスに乗り、ベースのゲートで一日入場許可証をもらい、マイナンバーカードと、一人づつチェックして、バスに乗ったまま入場しました。

撮影禁止事項もあり、ゲートも撮影禁止。


最初に、幹部の方から、日本語でご挨拶。

ここからは、インカムを使って、解説していただきました。


中に入ることができました。


旧横須賀海軍艦船部の建物を、そのまま使われています。


入り口の絨毯が素敵。


日米の歴代の司令官の写真や、


ここで作られた、日本の軍艦の写真や、


入り口の絨毯の図柄が、


アメリカ海軍の司令官や幹部のお写真も、


最高司令官のバイデン大統領。


旧横須賀鎮守府会議所の建物だそうです。

3階の右側は、極秘事項を扱っているそうで、元はあった窓は封印されたそうです。


前の広場にあった、日の丸と星条旗と。

ブルーは国連の旗。

朝鮮戦争は休戦中で、いまだ戦闘中という証だそうです。

黒い旗は、戦争で捕虜になっている方や、有事で行方不明になっている方々を、私達は忘れていないという意味だそうです。


日本の建物や庭が残されていて、あまり外国に来た気がしません。


ふたたびバスに乗り、移動してきました。

旧横須賀製鉄所、その後旧海軍工廠庁舎の建物。

現在は憩いの場だそうです。


製鉄所から海軍工廠への変遷の記念碑も残されています。


入り口右側には、五角形の碑が、911の慰霊碑だそうです。木の陰にツインタワーのミニチュアも立っているそうです。


その斜め向かい側に、日本最古の第一号ドライドッグがありました。対岸はヴェルニー公園。


国がお金を出して作っているので、硬くて丈夫な伊豆石を使用しているそうです。

そのためいまだ現役。

浦賀ドッグは、民間で作ったので、安価なレンガ作りだそうです。

次に入港する船の設計図を入手し、船底の形に合わせて、盤木を並べるそうです。


長さが足りなくなって、左側のコンクリート部分は継ぎ足したそうです。


第二号ドッグ。


第三号ドッグ。


年一回募集されている、訓練生の学校の建物。


映画館?この向かい側あたりに、泊船庵の碑がありました。

昔、ここに白仙山という山があり、夢窓疎石という禅宗の僧侶が、泊船庵を建て、1319年から1324年まで、5年間暮らしたそうです。

鎌倉の瑞泉寺を開いた方で、円覚寺とも縁のある方だそうです。

そしてさらに、この辺りで、横須賀市博物館の入り口に展示されている、ナウマンゾウの骨が見つかったそうです。


ベース内には、むきだしの崖も多く、トンネルの入り口がたくさんあります。一部利用されていますが、多くは封鎖されています。

総延長は27kmだそうです。


トゥルーマン湾の小岸壁。


船首に掲げられている、この国旗?

文字が上にあって、どうやら逆さまに掲げられているらしい。

下の画像は、Amazonさんからお借りしました。

昔の軍の国旗だそうで、911以後に古い船に使用許可されたそうです。

インディアンが最も恐れていたもの、ガラガラ蛇を図柄に入れたそうで、「俺を踏むな」と書かれています。


陸ではなく、この船の中に司令本部があるそうです。ブルーシップとか?


ここには写っていませんが、ブルーのクレーンには名前がついていて、英語で、大関、横綱、ゴジラ、怪獣などと書かれていました。

奥のイージス艦の船名は、ベトナム戦争で、部下を二人爆弾からかばって亡くなられた、士官のお名前だそうです。

この岸壁に、空母ロナルドレーガンが停泊することになり、長さが足らず、工事をして伸ばしたそうで、その工事で見つかったのが、下の碑です。

大切に飾られていました。

大正4年6月竣功。関東大震災で、海中に落ちたのかも。

建物も多数崩壊し、その時に建て直しされたものが多いそうです。


物流センター。ベース内全般の物流を担っているそうです。


ふたたびバスに乗り、車窓から第六号ドッグを見て、フードコート(写真右奥)へ。

色々ありましたが、注文の仕方がよくわからず、どれもボリューミーだったので、馴染みのあるサブウェイでサンドウィッチを買い、このコサノパークでいただきました。


日本と注文方法も違い、戸惑いましたが、前の方の真似をして、クレジットカードで無事購入。

日本円も使えるけど、おつりはドルと言われていたので。


サブウェイは、パンも日本のとは違うようで、とても美味しかったです。


コサノパークは、対岸が三笠公園で、ジャズロックフェスティバルが行われていて、賑やかでした。

アメリカ側から見る猿島も、また良し。


食後は、あづまやで、米軍人さんと、交流会。

通訳さんを通して、質問タイム。

私は、「ベースにいる間、どのくらいの頻度で、街へ出られますか?」とお聞きしたら、「エブリデイ」と。

一人の方は、横須賀市内に住居を構えていらっしゃるそうでした。


なんと、ユキフルさんも、同じ質問を考えていたそうで、驚かれました。以心伝心?


その後は、撮影タイム。

ボランティアガイドさんが、シャッターを切ってくださいました。

軍人さんカッコいい。


最後もバスに乗り、ベースを後にしました。


ポートマーケットに寄り、私達はそこで離脱。

自由解散になりました。

バスは、30分後に出発し、横須賀中央により、JR横須賀駅まで戻るそうです。


40年以上前に、公民館で英会話教室をやっていて、そのアメリカ人の先生に連れられ、皆でベース見学したことがありますが、

記憶も薄れて、どこを見たのか?

食事も違う場所でした。


新たな景色と、知識を得られて、とても良かったです。

紅葉の苗場へ

母との、クラブツーリズム日帰りバスツアー第5段。新潟県の苗場へ。


早朝の関越自動車道の5台の玉突き事故で、大渋滞の為、到着時間が2時間くらい遅れて、二居湖の写真タイムは割愛されました。


車内でお弁当をいただき、田代ロープウェイへ。







バス全員で乗れるゴンドラ。





二居(ふたい)ダム。


足元にはシースル窓。


標高1413メートルの山頂駅。


展望台からの眺め。


ロープウェイと反対側の、田代湖側。

左奥が苗場山。

父の望んだ遺影写真の撮影場所。


添乗員さんの説明を聞き、解散。自由時間。


おすすめしないと言われた、らくらくリフトへ。


上りは二人乗りだけど、下りは一人乗り。

田代湖がよく見えます。眺め最高。



白樺林が素敵。


左は急勾配の遊歩道が。

下り坂は、膝にくるので、やめました。


田代高原へ降りてきました。


ドラゴンドラの乗り場へ、散策。


緩やかな上り。


パノラマリフトの乗り場と、カフェレストランが見えます。


ドラゴンドラの乗り場。


思ったより、速いスピードで、動いています。


日本一の長さで、25分乗車。


混んでいなかったので、家族4人だけで乗れて、

リラックスして会話できました。

二居湖が見えてきました。


ダム湖なので、長細い。


ジェットコースターのような、急勾配を下ります。


下っては、また上り、また下るを繰り返します。


川の側に下りていきます。


水が綺麗。





山麓駅に到着。

こちらから逆コースで上るツアーも、ありました。


帰りのバスからの景色。朝は富士山が綺麗でした。



一日、お世話になった神奈中バス。

座席幅が広く、その分通路が狭い。

車内Wi-Fiと、各座席に、コンセントとUSBポートはありがたい。

座席が前に動くリクライニング付き。

ただ、クッション性は悪く、お尻や背中が痛くなる。

物をひっかける場所はたくさんあり、便利でした。


天気も良く、紅葉もベストシーズンで、家族4人で出かけられて、幸せな1日でした。