「しばしとどめん北斎羽衣」聖地巡礼 | みかんの缶詰

「しばしとどめん北斎羽衣」聖地巡礼

高校の先輩が書かれた

「しばしとどめん北斎羽衣」を読んで、

知りたくなった神社

色々と調べて、モデルになったであろうと思われる?神社や、場所を、

同じ本を読んでくださった友人と、

巡ることになりました。


葛飾北斎さん作の、走水


浦賀 燈明堂あたり?


葛飾北斎伝など読むと、75歳の時、

浦賀の親戚筋?を頼り、平作川のうめだ橋あたりに一時住んでいたらしい。

賛美両論あるが、横須賀市民としては、

信じたい。


堀ノ内駅から、歩き始めて、愛染神社へ。


金堀隧道を抜けてから、左の階段を登り、

住宅街へ。


階段途中の花


Googleマップでは、神社の入り口がわからず、

通りがかりの、挨拶してくれた叔母様に、

道順を教えていただきました。

御神木が見えてきました。


狭い路地と階段を抜けていくと、

案内板がありました。


階段を登ると、良い眺めでした。

大津グランドが見えます。


愛染神社


お社の奥の、御神木が素敵。


鼻先がかけてしまった狐様


お子様を抱えた狐様


御神木はクロガネモチ

鎌倉と三浦半島古木名木50選に選ばれています。


この御神木が物語で重要なんです。

この木を見たかった。



新大津側からくれば、

大津5丁目町内会館の向かい側に、

案内がありました。


この案内の横に、説明板がありました。


「正一位稲荷大明神」とは格が高いみたいです。


愛染神社を後にして、大津グランド、母校の大津高校を横目に見て、坂を登り、湘南大津の丘の住宅街へ。

調整池横の階段を登ると、


急に狭くなる階段が、長〜く続きます。


階段を登りきると、

堀ノ内方面の雲の上に富士山が見えました。


北久里浜方面


久里浜方面


ピークを超えると、湘南山手の住宅街。

そこにそびえる、小山への階段。


階段を登りきると、東京湾と猿島も見えました。

昔は黒船も見えたかも。


奥に鳥居が見えてきました。


裏口ですが。


浦賀から、コモンシティ浦賀を抜けて、

葛飾北斎がかつて暮らしていたという、

うめだ橋方面へ通じる道すがらに位置します。


安房から飛んできたという、御神石。


千葉県、洲崎神社に対の石があるそうで、

その方向を向いているそうです。


マテバシイの林に囲まれています。



こちらが正面口


湘南山手の住宅街を、

葛飾北斎が暮らしていたであろう、

うめだ橋方面へ下る道を少しそれて、

真福寺へ。


綺麗なお庭


奥津城(おくつき)観音様

木の看板は朽ちていました。


マリア観音の看板


左手に赤子を抱き、

右手に爪楊枝のような物を持っていらっしゃいます。実は十字架だったとか。

キリシタンとばれないように、

折られてしまったようです。

後から御住職に教えていただいた話です。

隠れキリシタンの観音様みたいです。

昔は子育て観音と呼ばれ、

今はマリア観音と呼ばれています。


本堂に向かって、左側の石段を登ると、

観音堂があります。

扉は閉まっていて、

お参りして帰ろうとした時、

御住職がお客様三名を連れられて、

石段を登って来られて、

「今開けますよ」と言ってくださいました。


私達は遠慮して、外から拝見させていただきましたが、マリア観音様も良く見えました。

そして、ここにある経緯や、歴史など、

わかりやすく説明していらっしゃるのを、

便乗して聞かせていただきました。


何より、一番見たかった、お堂の格天井。

48枚あるうち、2枚だけ、

葛飾北斎さんの筆かも?と言われているそうで、

どれがそうかなんてわかるわけもなく、

教えていただけて、本当にありがたいです。


鶏と魚の2枚。


この絵ではありませが、尾が黒い鶏と、


ブリみたいな魚の上に、

サンマみたいな魚が交差した絵でした。

北斎画の画像はお借りしました。


御住職にお礼を申し上げて、真福寺を後にして、

裏手の御林へ。


昔から保存されてきた森



切り通しの浦賀道


おはやしと呼ばれる、昔からの道。


今日は古道を全部は歩けないので、

戻って京急久里浜駅まであるきました。

途中のお庭で、友人が見つけた花。

黄色い花が咲いて、赤い実が開いて、中の白い実が黒く熟すと、ミッキーマウスの耳?鼻?みたいに見えるかららしいです。


見たかったものが、全部見れて、

完璧な時間でした。