2020/12/11 | mayuminのブログ

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ご近所さん、リタイアした老夫婦と
立ち話をした時
ふとしたことから
お二人は元教員だったということを知った。
きっと堅い職業をしていた方だろうとは思ってたけど。

そして私が卒業した中学で教鞭を取っていた時期もあった、と聞いて
そこからは、その学校の話しに。

私にとっては、あの学校は嫌な思い出で終わった
さすがに何十年も経って、
そんな感情すら昇華出来ていた気になっていたけど
ご近所さんと話しているうちに
当時の担任の顔まで浮かんできて
堰を切ったかのように
当時のことをガーッと話してしまった。

まだ恨んでるのか?自分?と
戸惑いながら。

高校受験前の最後の試験の時
香港風邪に罹った私
高熱と下痢でふらふらしながらも
試験を受けた。
偏差値に関係する大事な試験だったから。

高熱はともかく
試験中に何度もお腹が痛くなって
トイレに駆け込むくらいだったから
当然全科目、時間がその分足りなくなり
答案を全て埋めることすら叶わなかった。
担任には香港風邪の申告はしていたから
特別に試験中、トイレに行くことは許可されていた。
とにかく、担任は私の体調最悪はわかっていた。

試験結果は惨敗。
そのおかげで偏差値が下がってしまった。
私の志望校、ギリギリ。

担任は志望校を決める三者面談で言った。
「ひとつランクを下げよう」
いや、たった一度の失敗で…
それも下痢を伴う風邪だったから
席をはずして時間が足りなくなったけど
熱でボーっとしても解いた問題は
ほぼ正解だったわけで
だから、実力がないわけではないはず。
偏差値…下がったけれども
私の志望校ギリギリラインの中。

入試で良い点数を取れたら合格できるかもしれない
「受けさせてください。
それで駄目だったらあきらめますから」
懇願する私の横にいた母は
一緒に口添えしてくれるかと思いきや
「何とか娘を納得させますから
先生の仰る通りに。」
母は味方じゃないんだ…
その日は結論出さずに帰宅。

両親と兄と話し合いをした。
兄は私の味方をしてくれたけれども
父は…昔ながらの頑固爺だから
「女の子に学歴なんかいらない。
高校出たら就職して嫁に行くんだから
進学校に行く必要がない」

結局私は担任の指示通りの選択しかなかった。
決断するまでも何度か担任にかけあったけど
ヤツはある時言った
「俺の成績にかかわるんだ、
合格率がな。もし、お前が落ちたら
クラスの合格率が下がる
そうすると俺の評価も下がる」

お前の成績なんか知ったことじゃないわ💢
心の中は怒りでいっぱいだった。
生徒の人生より自分の評価を優先
最悪な教師が担任だったのか。
もともといけすかないヤツだったけど
内申が悪くなると困るから
なんとか逆らわすに過ごした二年間
無駄だったな。

ショックだったけど
まだ、どこかで私は担任の言葉を信じていた。
良い悪いは別にして
この教師は合格率を100%にしたいヤツ
だから他の生徒にも同じように
安全圏内でランク落とすよう指示しているんだ。

でも、いざ願書を出す段階で
担任は不公平なことをしていたことが判明した。

クラスの中で一番成績が悪い子が
受かるわけもないレベルの学校を受験すると。
彼女は、天然だから悪びれもせずに
クラスメイトのいる前でそれを言った。
「私のパパが先生に高いお酒を何度もプレゼントしてぇ。こないだはお寿司屋さんに行って
そのあとバーで呑んだんだって。
仲良くなったから受験してもよくなったの〜」
パパはPTAの会長だし〜とも言ってたっけ。

その場にいた私を含めた何人かは
言葉を失って呆然としていた。
男子の誰かが「それって、えこひいきじゃないのか?不正なんじゃないか!」
女子の誰かが言った
「田中さん、掛け算も九九もわからないし
漢字もダメだよね、
受かるわけないじゃん。
受験番号と名前さえ書けたら入れるランクの
私立高校専願にしないと…」
ほんと、それが彼女のためでもある。
その子は別に悪い子じゃない
ただ頭がよくないだけ。
だから、皆意地悪で言ったんじゃなかった。
テストは毎回ビリで0点ばかりの子だから
あの高校を受験しても結果は…と心配した。

私はその時、ハッキリと担任に憎悪感を抱いた。
あの子が落ちて合格率が下がるのは
想定内なんだな。
それ以外の人は犠牲になるのか。

そして実際その通りになった。
田中さんだけが不合格
あとは全員合格、クソ担任のクラスの
合格率は99%

私の入試の点数は高かった。
入学後、高校の担任から言われた
「進学校でもトップで合格したろうに。なぜランクを落としたんだい?」

担任のクソ野郎の成績のためです…
とは言えないから
黙って苦笑いした。悔しかった。
いや、もうどーでも良くなってた。

そこから三年間の高校生活は
私にとっては苦痛でしかなかった。
人間不信、教師アレルギー…
クラスメイトも含めて
全てに対して心を閉ざした。
ああ、親に対しても…
思春期でもあったし。兄としか話さなかった。

腐っていく私に友人のお父さんが言った
違う高校の教師でもある、そのおじさんが
娘から聞いたよ…と言って
「どんな事があっても、三年間
ずっと成績はトップクラスでいなさい。
そうしたら、その高校からでも
進学できるから。
腐って成績を落としちゃダメだ
自分の人生を諦めちゃいけない」

友人のお父さんのその言葉だけを胸に
私は勉強を始めた。
誰とも距離を置いて
ひとりで。
バイトも三年間ずっとして
学費貯金をした。どうせ親は受験料すら
払ってくれないのはわかっていた。
そして進学する切符を手に入れる寸前に
私の運命は、また試練が…。
まあ、それは別の話。

中学のあのろくでなし担任
そして私の両親に対して私は
結構長い事、恨みを持っていた。
こんな親の元に生まれた人生を呪ったし。
でも、さすがに、それは風化して
担任の事なんか記憶から消えていた。
時間薬で乗り越えたんだ…と。

でも、今日ご近所さんと話していたら
自分でも驚くくらいに
あの頃の気持ちがよみがえり
とまらなくなって爆発トークをしてしまった。

気の毒に…とか言いながら
おばさんは「私の頃も同じよ、
女の子は嫁に行くから学校出なくていいから
って、中学出て集団就職した人多かったものー」

いや、さすがに私の世代は集団就職とかは…
いませんでしたけど…。

おじさんの方が聞いた
「その担任の先生…ひどいな。
私はそんな事したことないし
教師はすべきじゃないと思うよ、
先生の名前は?知っているかもしれない…」

「……忘れてしまいました。
顔は思い出せるけど名前は…」

おじさんは笑って
「そうか、その方がいいさ。
そんな過去の人は忘れてしまいなさい。
その方が利口なんだからさ」

そうですよねー
なんだかバカな昔話してしまって
申し訳ありません!
さようなら〜と帰宅した。
名前も忘れたあのろくでなし教師は
たしか数年前に亡くなった。
さみしい最期だったみたいだよ、と
幼なじみから聞いた。