5月9日、父が他界しました。




昨年の7月に吐血して入院




8月末に胃がん全摘手術をしました。




手術してすぐ危険な状態にもなりましたが、なんとか退院しました




それから味覚がなくなったり、高熱が出たりで入退院を繰り返していました。




今年のGWにはなんとか父の田舎の神津島に行くことができたのですが




帰ってきた日に体調が悪くなり、日に日にすごいスピードで悪化していきました。




5月6日に会いに行った時にはまだ話ができたのですが




8日に行った時にはもう話ができず目も左右に動かし寝たきりの状態でした。




そして9日の午後病院から連絡があり、脈が弱まっていると・・・




私が病院についた時には息を引き取っていました。




うちは私が中1の時に別居、高2の終わりに離婚しました。




それから父が会いたいということで、私が22歳くらいの時に父に再会。




それからおばあちゃんが亡くなったことを知り神津島までお墓参りに行こうと父に連絡したのですが




繋がらず・・・




友人についてきてもらっていってきました。




それから私が婚約した時に旦那を父に会わせたいと思い電話したら通じてそこから交流が始まりました。




その時、みなさんに旦那を連れて神津島に行ったことを感謝されましたが、父が繋いでくれたものなので私は逆に感謝しています。




結婚式にも出席してもらい、私の母方のみんなとも会えてとても嬉しそうでした。




それから父のおうちに行ったり一緒にお酒飲んだり、お盆は必ず神津島に帰ったり。




父の現在の奥様とも仲良くさせていただき、本当に幸せな毎日でした。




そんな幸せな日々は長くは続かなかった。




たった4年弱。。。




短かったけど濃厚な時間だったかもしれません。




父はかっこいいし、運動神経は抜群だし字も絵も上手で言うことなし。




離れて暮らしててもずっとずっと気になり大好きでした。




ただ、やはり後悔はたーくさんあります。




最後一緒に神津島にいけたことは本当に良かったと思っています。




父も最後の力を振り絞って行ったのだと思います。




やはり、病院が悪かったのかなともおもいます。




K林大学病院が自宅から近いのもあり、救急車で運ばれたのもそこだったので、すべてそこで処置してもらったのですが




最初から医者に対して不信感があり、わかりませんが手術も失敗したのではないかって思ってしまうほどです。




担当の女性ドクターに手術をしてから危険な状態になった時に余命5年といわれ




それから今年3月には余命1年、5月始めには余命1ヶ月。。。




なのに1ヶ月ももたなかった。




医者は命を助け延命するのに全力を尽くしてくれるものだと思ってましたが




この医者はそんなことも一切してくれず。




お金を取れない患者にはそれ相当の扱いしかしてくれず、個室に2日くらい移って




少しはマシな対応にはなりました。




それでも命を助けてくれなかった。




この病院は昔わりばし事件を起こしたところ。




1度不祥事を起こしたら改めるのかと思ってたけど、実際何も変わらない。




セカンドオピニオンにも行ったけど、病院は繋がってるのか知らないけど




何もしてくれず。




日本の病院事情に腹が立ちました。




もっともっと生きたかった父。




切なすぎます。




私が最後に交わした言葉は

「またね」でした。




なので、まだ何にも実感はわきませんが、また父には会える気がしています。




離婚してまた会えたように・・・




お通夜は自宅で行い、たくさんの方々に来ていただきました。




奥様そして、次男に旦那とみんながいてくれて本当に良かった。




長男に関してはただ来ただけ。。。

いとこたちと一緒に帰ってしまうし、しまいには彼のブログはひどいものでした。




告別式は行わず火葬のみでしたが、神津島からもたくさん来ていただき、




母方のいとこに旦那のご両親にお兄さん。




本当にみなさんに感謝です。




私の母も泣いていました。




いつかお線香をあげに行きたいと言っていました。




とにかくもっともっと父といろんな話をしたかった。




もっともっと父に甘えれば良かった。




離婚はホントに良くないね。




まだまだ父に会いたくなり夜になると号泣してしまう毎日ですが、




天国で安らかに私達を見守ってくれていると思います。




本当にありがとう。




私たちを産んでくれて本当にありがとう。




孫見せてあげたかった。




また絶対会おうね!!




そして来世があるなら、また父の子どもで生まれたいな。




また続きは書きますね。