最近、子どものことで悩まなくなった
という話をします。
こんにちは。
ブロック解除技術を利用して、
潜在意識の書き換えセッションをしている
まゆみんです。
うちには2人子どもがいるのですが、
下の子は不登校なんです。
少し前までの私は、
子どもの不登校をどこかで
「私のせいかもしれない」
と思っていた。
部活を見に行かなかったから?
塾に通わせたから?
何か言い方を間違えたから?
もっと早く気づいていれば
違ったのかな?って。
不登校って、
本人が一番しんどいのはもちろんなんだけど、
親もけっこうしんどい。
しかも、しんどいだけじゃなくて、
「これって私の育て方のせい?」
「もっとできることがあったんじゃない?」
って、じわじわ自分を責める。
私もずっとそうだった。
このまま学校に行けなかったら
どうなるんだろう。
将来、働けなかったらどうしよう。
私のお金をあてにする大人になったら困る。
何度も不安になった。
でも今振り返ると、
息子の将来が不安というより、
本当は
「私が間違っていたのかもしれない」
と思うのが苦しかったんだと思う。
だからずっと、正解を探していた。
どう関わるのが正しいのか。
何を言えばいいのか。
どこまで見守って、
どこから動かすべきなのか。
でも、正解探しをしていると、
全然楽しくないんだよね。
子どもと一緒にいても、
頭の中ではずっと
「この対応で合ってる?」
「これで将来大丈夫?」
「甘やかしてる?」
って考えていて、
全然“今この子を見ている”感じじゃなかった。

そんな私が、最近すごく変わったなと思う。
きっかけはいろいろあるけれど、
大きかったのは、
私の中にあった子どもへの罪悪感が
ブロック解除で取れたこと。
ブロックがなくなったおかげで、
子ども自身を見ているときに
「あれ?この子、ちゃんと自分でやっていけるかも」
って思える場面を
現実から拾い上げられるようになったこと。
最近、子どもがバイトを始めようとしてる。
最初は丸亀製麺に応募して落ちて、
スーパーにも落ちて、
そのあと焼肉屋に受かった。
受かったあと、
住民票を持ってきてと言われたとのこと。
「住民票ってどうやって取るの?」
って言いながら、
駅前の市役所に行こうとしていたんだけど、
途中で
「コンビニで出力できるらしい」
って自分で調べていた。
「コンビニで何が必要なの?」
って聞いたら、
「めんどー!!」
とか言いながら、
マイナンバーカードと暗証番号が必要だって調べてる。
一緒にコンビニには行ったけど、
私はお金を払っただけで、
あとは全部自分で操作して、
住民票を出力していた。
それを見て、
あぁ、この子、
必要に迫られたらちゃんと動けるんだな
バイトが決まる前にも面白いやりとりがあった。
子どもが
「バイト続かなかったらどうしよう」
って言うの。
「続かなかったらどうなるの?」
って聞いたら、
「どこにも勤められない、どうしようってなる」
って。
可愛いなーと思った![]()
でもそれって、裏を返せば、
この子の中にもう
「働きたい」「ちゃんとやりたい」
っていう気持ちがあるってことなんだよね。
だから私は、こう言った。
「ちょっといい?
焼肉屋のx x店には向いてなかったってだけだよ。
他の店舗はいいかもだし、
他の飲食店でうまくいくかもだし、
他の工場もあるし、
無数にあるから。」
そうしたら、
「焼肉屋のバイトでうまくいったら
どうなるの?」
って聞いてきたから、
「店長になるとか、飲食店を経営するとか、
いろいろあるよ」
って話した。
こういう会話をしながら、
私の中で、子どもの見え方がだいぶ変わってきた。
前は、
「この子、大丈夫かな」
「働けるかな」
「このままプー太郎になったら困るな」
みたいな見方をしていた。
でも今は、
この子は“できない子”なんじゃなくて、
人に合わせすぎて
消耗してたんなんだろうなと思ってる。
人に合わせなきゃ。
人の言うことを聞かなきゃ。
ちゃんとしなきゃ。
波風立てちゃいけない。
そうやって頑張りすぎて、
学校に行けなくなっちゃったんじゃないかなって。
だから今必要なのは、
無理やり
「私の思うちゃんとしたルート」
に戻すことじゃなくて、
自分は何が好きか
何ならできるか
何が嫌か
どこなら無理しなくて済むか
そういうのを一つずつ
集めていくことなんだろうな、と思う。
うどんが好きだから丸亀製麺に応募してみる。
寿司が好きだから回転寿司に興味を持つ。
工場はなんか違うなと思う。
スーパーはどうかなと考える。
焼肉屋に受かって、住民票を取りに行く。
全部、小さいことなんだけど、
これって全部、
「自分に合う生き方の材料集め」
なんだと思う。
それを見ていて、
あぁ、子どもって、
自分に必要なものをちゃんと得る力がある
って思うようになった。
もう一人の子どもを見ていても、
同じことを思う。
その子は中学からずっと美術をやっていて、
「自分はどう思うのか」
「何を表現したいのか」
「どうありたいのか」
みたいなことを、
何年も何年も先生から問われ続けてきた。
ずっと“自分の内側”を掘る時間
を過ごしてきた子なんだよね。
だから今、スーパーで接客のバイトをしているのを見ると、
あぁ、今度は
「人に合わせる」
「外の世界と交わる」
ターンなんだなと思う。
そう考えると、
本当に、みんな自分に必要なものを
ちゃんと取りにいってるなって思う。
そして、
結局一番変わったのは、
子どもじゃなくて私だった。
前はずっと、
「この子たちをなんとかしなきゃ」
「ちゃんとした人生に乗せなきゃ」
「正しいレールに戻さなきゃ」
って思っていた。
でも今は、
子どもたちはその子の人生を歩くし、
私は私の人生を生きればいい
って思える。
正解を探しにいく感じがなくなって、
子どもといる時間が前よりずっと楽しい。
それぞれを「心配な子」じゃなくて、
“ゆっくりだけど、自分でちゃんと育っていく子”
として見られるようになった。
それだけで、親子関係ってこんなに軽くなるんだなと思う。
入院しているという話を聞いたとき、
子どもに
「その子に何か言うことあるかな?」
って聞いたことがあった。
そしたら子どもが、
「休んでゆっくりするのがいいと思うよ」
さらにそのママ友に対しては、
「悲しくなっちゃうのはしょうがないけど、
子どもにそれを見せない方がいいと思う。
そうじゃないと
子どもは自分のせいだって思って苦しむから」
って言ったんだよね。
それを聞いて、
「じゃあさ、あなたはママが悲しそうで苦しかった?」
って聞いたら、
「いや、ママは話聞いてくれたり、
ご飯食べに連れてってくれたり、
映画に行ってくれたり、
いろいろ外に連れ出してくれたじゃん」
と返事があって、
あぁ、ちゃんと届いてたんだなって思った。
もっと早く、
どんな自分でも、どんな子どもたちでも、
愛せたらよかったなと思う気持ちはある。
もっと早く信じられたらよかった。
もっと早く「この子たちは大丈夫」と思えたらよかった。
でも、今が最善で最速なんだろうなとも思う。
あの時の私には、あの時の私なりの精一杯があったし、
子どもたちにも、子どもたちなりの流れがあった。
そして今、私はやっと、
子どもをコントロールしようとする母じゃなくて、
子どもの流れを見守れる母になってきた気がする。
だったら次は、
私も私自身の流れを、ちゃんと信じてあげたい。
子どもたちを見ていて思う。
みんな、自分に必要なものをちゃんと取りにいくんだよねって。
だったら私も同じで、
今の私に必要なものを、ちゃんと取りにいっていいんだと思う。
私はこれから、もっと自分に集中して、
自由に楽しんで、枠を越えていきたい。
内側から輝く人になりたい。
それがバレるのが怖い、
妬まれるのが怖い、
そんな気持ちも前はあった。
でも今は、
妬まれてもいいから、自分の光を絞らずに生きたいなと思ってる。
子どもたちを見守れるようになった今、
次は私が、
私自身の人生を見守ってあげる番
なんだと思う。



