中学3年生~高校2年生

この3年間、
私が音楽をやらなかった期間。

母がエレクトーン奏者で
私を3歳から音楽教室に通わせた。
毎週ヤマハに通うのが当たり前で
なんとなく続けた11年間。

高校受験をきっかけに
エレクトーンを止めると
アッという間に3年経っていた。

人が一番伸びるであろう大事な時期に
エレクトーンを離れ、
その間にエレクトーンは大きく進化しており
もはや、戻ることなどできない世界に
なっていた。

高校2年生の夏。
母がヤマハに勤めていたこともあり
エレクトーンコンサートへ行く機会があった。
それで目覚めた。

ホコリを被り、
物置きと化したエレクトーンを
3年ぶりに開いて
その日からエレクトーンの虜になった。

それからすぐに先生を探したが見つからず...
高校3年生の春
ヤマハ普及推進プロジェクト主催の
Teensの全国ツアーのオーディションがあった。
エレクトーンプレイヤー富岡ヤスヤ氏プロデュースの
大きなプロジェクト。
なぜか、受かった。

福岡から飛行機で東京へ
レッスンやリハーサルへ通う日々。
全国で名の知れた有名なティーンズや
富岡ヤスヤ氏と同じ空間にいられること。
何もかもが夢みたいな経験だった。

そして、
周囲の反対を押しきって
音楽大学へ進学を決意。

高校が“週6日9時間授業”という
過酷な学校だったのだが、
厳しい母のおかげでほぼ皆勤賞。
そして音大も受験した。

初めての一人暮らし。

学生時代は寝ても覚めてもエレクトーン。
次から次へとオーディションや演奏会、試験。
教育実習や学習塾のバイト。

とにかくエレクトーンが楽しくて
毎日がワクワクしていたのを思い出す。

音楽を離れた3年間があったからこそ
自分が本当にエレクトーンをやりたいと思えた。
若いチカラは無限大。
3年間のブランクなんて、すぐに取り戻せた。

あんなに練習しなくて下手くそだった私が
卒業後は
ヤマハ音楽教室システム講師
ヤマハエレクトーンデモンストレーター
フリーのエレクトーン奏者と
やりたかった仕事をして。

そして今。

振り返ると
苦しいことも色々あったけど...

これからまだまだ
この先を追い続けるのか。
女性としての人生の分岐点なのかも。






中村麻由♪
オフィシャルブログ
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