こんばんは


 お元気ですか・

 今日の朝日新聞の文化欄の大江健三郎さんの

 「人はいかに学びほぐすか」

 の記事は非常に意味深いと思いました。


 彼はかつて自分がUNLEARN の和訳として

 教え返すとしてきましたがそれがなぜか”こなれて

 ない”和訳だと思ってきたそうです。 やがて鶴見俊輔

 さんの”学びほぐす”という訳を見て、これこそ

 UNLEARNの適訳だと感じたと言います。



 Unlearnは形から見ればlearnの否定形ですが、単に

 学ばないという意味ではなく、もっと深い意味があることを

 今日教えられました。 ランダムハウスの定義によりますと

 unlearn は 

 「既習の知識、習慣をを捨てる、ーーーの過ちを知る」

 とあります。 つまりこれまでこう考えてきたけど、いま新たな

 局面仁遭遇し、自分の知恵、知識を検証してみルプロセス

 とも言うものでしょうか。 



 似た言葉で relearn がありますがこちらは同じことを再度

 頭に叩き込むことで、振り返って検証し、自分の考えの是正

 には至っていませんから、unlearn のほうがはるかに深い

 含蓄のある言葉であると知りました。



 その unlearn を鶴見さんが「学びほぐす」としたことは

 なんと建設的で、前向きで、かつ心にやさしくひびくことで 

 しょうか!



 大江さんはこの学びほぐしのプロセスを経て私たちの知識

 が血となり肉となっていくと表現していル鶴見さんの考え

 に賛同の意を表しています。



 一般的に現在の教育の現場も、また日常生活でも、この

 unlear 学びほぐしの機会は稀有になっているように思います。

 詰め込まれた知識が、不消化のままごろごろしていて

 行動の指針として機能していない。 それにはおそらく

 心のしなやかさのようなものが必要なのではないかと思います。



 これまで知識として入っていたものを経験というふるいにかけて

 検証する、そして厚みのある知恵として貯蔵する。



 学びほぐしは、何度行っても、行き過ぎるとは思えません。 

 年齢が重なって行くにつれて、学びほぐしにもさらに深みと

 輝きが伴ってくることでしょう。



 子供を育てながら、学びほぐしの経験をなさったことはありま

 せんか? 若いときの子育ての知識が、時間とともにどんどん

 変わっていきます。 一人目、二人目、三人目と育てて

 行くうちに、これまで抱いていた知恵もノウハウもふるいに

 掛けられどんどん豊になっていくのを感じてこられた方も多いと

 思います。 



 既習の知識にとらわれず、いったんふるいにかけてみる

 おおらかさがあれば人生ポジティブに進めるのではないかしら?

 公式を入れっぱなしにして、それに合わなくなったといらいら

 することもなく、コロイド状のようにしなやかに行きましょう。



 大江さんの記事から、学びほぐしの楽しさと大切さを

 学んだ一日でした。

ではおやすみなさい