花粉症いかがでしょうか?
もうピークは過ぎたのかな? 
それとも今がピーク?


私はけっこう花粉症の症状が重い方で、去年も散々な目にあいました。薬に頼らずに、工夫をこらして花粉と対決しようとしたのがまずかったのかもしれない。


去年を振り返ってみると、一応なんとかかんとかシーズンを乗り切ることはできたものの、常に「闘っていた」感があるのですよね。戦闘状態が続くのはやはり疲れる。勝っても(症状が軽くなっても)、負けても(症状が軽くならなくても)、常にドキドキはらはら緊張状態が続いていました。やはり戦いはいけませぬ。戦争反対でありまする。


というわけで、今年は作戦を変更することにしました。鼻がむずむずし始め、目がかゆくなり始め、家事をしようとしても花粉との闘いに気を取られ集中力がなくなりかけた時。私は思いつきました。


「病は気から作戦」を。


花粉症の何が一番辛いって、ズバリ


病人扱いしてもらえないこと


なんです。


症状が重い時は、風邪よりもインフルエンザよりも辛かったりする。鼻水が出て、寒気がして、熱っぽくて頭がぼーっとして、風邪だったら何もかも放り出して寝込んでしまうような体調にも関わらず、熱を測っても平熱。これが精神的にこたえるんですよね。


「母は花粉症だから今日の夕食は作りません」と宣言したくても、家族からは「はあ?」と言い返されてしまうかもしれない。そう思ったら、体がどんなにだるくても、自分の体に鞭をうってキッチンに立つしかありません。


辛かったら休んでいいよ。と家族が言ってくれたとしても、花粉症シーズンは長い。シーズン中毎日、料理をお休み、洗濯をお休みしていたら、家の中はどうなってしまうのか。


いや、でも。


ここで発想の転換です。


私は花粉症という病に苦しむ病人です。と自分にも周りにもきっぱり宣言してみたらどうだろう。インフルエンザで寝込んでいた時と、そっくりそのまま同じ生活を送ってみたらどうだろう。


ふいに天啓のようにそんな作戦が頭の中におりてきたのです。


インフルエンザの時は、洗濯しなかった。というか、着替えすらできずにパジャマのまま過ごしていた。家族の洗濯物は数日ためてからするようにしたから、洗濯に時間を取られることはなかった。


料理ももちろんするわけがない。一日に2回くらいヨロヨロと布団から抜け出し、レトルトのお粥を食べたりゼリーを食べたり。家族にもレトルトやコンビニ食で我慢してもらっていた。


私がしていたことと言えば、ひたすら安静にしていたことだけである。


あのライフスタイルを、花粉症の症状がひどい時に再現してみてはどうだろう。そんな魅惑的な考えが頭に浮かび、気がついたら私はなんだかワクワクしてしまっていた。


「今日は花粉症の症状が重いから何もできません」と宣言して、布団にもぐり込む。そして、たまっていた本を読みあさろう。ブログも書きまくろう。


そう決めたとたん、視界が開けた気がしました。


下手に花粉と闘うよりも、じっと安静にしていた方が症状も改善しやすいかもしれない。そうすれば、また家事の最前線に戻れるわけだから、家族にとっても悪い話ではないはず。


私が学生なら学校も休む。今時々やっているパートの仕事だって、場合によっては休んでもいい。とにかく安静第一。それが今年の作戦よ。


とそう決めたのです。


となるとですね、花粉シーズンは間違いなくハッピーに過ごせること間違いなし。


だって症状が重い時は、普段はなかなか時間がとれない趣味に心ゆくまで時間をとることができるから、それはそれでハッピー。


そして、症状が軽いときは「あら、動ける動ける。花粉症なのに家事している私はなんてえらいのかしら」と、いい気分になれる。


つまり、どちらに転んでもハッピーな気分を味わえるのではないかしら、と。


こうなると頭の中はお花畑です。


花粉症は年に一度のボーナスシーズン。
ゆっくり休めるゴールデンシーズン。
万歳。
さあこい、花粉よ。
私に読書タイムを授けてくれたまえ。


と、こんな浮かれた気分で、花粉に向かって、心の中で両手を広げてウェルカムポーズをとったところ。


あれ?

鼻のぐずぐずがおさまった。


あれ?

体もだるくない。


あら残念。今日は家事を頑張りますか。でもよかった。今日は症状が軽くて。


と作戦初日はこんな感じで空振りだったのですが、あら不思議。その日から花粉症の症状はピタリとおさまってしまいました。


少しでも鼻がぐずぐずすると、去年までは「症状よ、おさまれ!」「辛くても働かねば!」「花粉対策が足りない!」と戦闘モードだったのですが、今年は少しでも鼻がぐずぐずすると「やった。今日は休める」とシンプルにうきうきモード。


どうもこれがよかったみたいで、交感神経とか副交感神経とか、そういうのと関係しているのでしょう。


作戦をおもいついてからは一度も重症化することなく、症状が出たとしても「ちょっとむずむずするわね」と優雅に顔をしかめる程度ですみ、非常に楽チンな花粉シーズンでした。


新しく導入したテクニックとしては、メガネをこまめに水洗いする、というのはあるのですが、シーズン途中からはそれすらサボり気味になり、それでも症状が悪化することはありませんでした。


以上が、今年初めて試してみた「病は気から作戦」であります。作戦のネーミング、これでいいのかよく分かりませんが、自律神経に働きかける作用があったのだとしたら、このネーミングでよしとしましょう。


私オリジナルの方法なので、医学的根拠はゼロ。私の体質、というか私の性格に合っている方法だったのか、それとも今年の花粉はなんだかんだ言っても、去年ほどは飛んでいなかったのか。


謎はとけないままですが、「病は気から作戦」、だまされたと思って興味本位でトライしていただいてもけっこうです。特許も著作権も関係ない、野放し作戦なので。


でもこの作戦で治らなくても文句は言わないでね。とだけは書き添えておこうと思いますが😅


花粉症に限らず、


『辛い時は休んでもいい』。


日本人は頑張りすぎだよ。


私も頑張りすぎだよ。


ということに最近気づいたので、この作戦は、様々な場面で応用できるのではないか、と思ったりもしています。


〈追伸〉

とは言え、それなりに花粉対策はしているので、本気で悩んでいる人向けに他の作戦も紹介しておきます。病は気から作戦で治れば苦労はしないよ、と思う人もいるでしょうから。

この作戦は去年書いた作戦とややかぶりますが、「温暖化作戦」です。地球の温暖化は困りますが、自分の体は温暖化してあげてください。

春になると、いい気になって薄着をしたくなりますが、これをぐっと我慢。厚着に慣れた体が急に無防備になると、自律神経が乱れるのでは、というのが私の持論です。これまた医学的根拠はありませんが。

春になっても、冬と同じ格好をしつこく継続し続ける。これが体温暖化作戦のすべてです。春のファッションを先取りできなくてもあきらめてください。花粉症に苦しむのと流行遅れに苦しむのと、どちらの苦しみを選びますか?という話です。

とにかく体を冷やさない。やることは風邪対策とまるっきり同じです。温暖化作戦をさらに強固なものにするために、私は、白湯を持ち歩いてこまめに飲んだり、ゾクッときたらカイロを貼ったりしているのですが、こういうのも症状改善に一役買っている可能性はあります。

というわけで、花粉症が治った原因は分からないと言えば分からないのですが、なにはともあれ、お互いがんばりましょう💠

数日後に選挙がある。私は選挙にあまり関心がなくて、行かない時もあるし、気まぐれに行く場合も、前日に選挙公報を眺めて消去法で投票先を決めるようなやる気のなさだ。

なぜこんなに選挙にやる気がないのか。理由は色々なんだけれど、理由の一つにあるのは、「選挙の時に現れる知人」の存在、これは大きい。

普段たいして交流がないくせに、選挙が近づいてくると私にも近づいてきて、「○○に入れてくれ」とか言う。あれが本当にいやで。

だってもしもそれで、「頼まれたから入れてあげよっかなあ」なんていう人がいたとしたら、それって、よく考えないで投票することになる。もしかしたらテレビとか映画とかに出てくるような、独裁者に投票することにもなりかねない。

だから私はいつも、選挙が近づいてくると私に近づいてくる知人にはこう言うことにしている。

「選挙には行かないかもしれないので、私にお願いしてもムダですよ」と。

すると知人は言うわけです。「選挙は大事だ」と。

なので私はこう言い返してやります。

「大事だからこそ行かないんです。よく考えもせずに投票なんかしたら国が傾いてしまうかもしれない。だから私は、十分に勉強した時だけしか投票しないんです。でも今週は忙しいから勉強時間がとれそうになくて。だから私には選挙に行く資格はないんです。いい加減な気持ちで投票する人が増えたら、国はおかしくなってしまう。だから今回は選挙に行きません」と。

そんな風にして、「勉強不足の自分は選挙に行く資格がない」と長年言い続けているうちに、まあなんだか有言実行というか、元々あまり興味のなかった選挙がますます興味がなくなり、今に至っているわけですが。

ところが、そんな私が今、朝から晩まで選挙のことを考えて、選挙のことで頭がいっぱいになっている。新聞読む時だって、いつもは政治面なんてすっ飛ばして読んでいるのに、今回ばかりは政治面だってそれなりに目を通したりしている。そんな風に選挙のことを考えすぎたせいなんですかね、ちょっと熱まで出てきて心身ともにしんどいので、今日の予定はキャンセルして、こうやって文章を書いたりなんかしている。

先にも書いたとおり、私にとって選挙とは「人の言いなりになってはいけない神聖な儀式」だ。さらに言うならば、神聖だからこそ、いい加減な気持ちで参加してはいけないわけで、参加するならするでそれなりに勉強してからじゃないとダメでしょ、とそれが私の選挙に対する考え方だ。

でもね、今回の選挙はどうやらめちゃくちゃ大事な選挙らしい。勉強不足だなんだと言って逃げている場合ではない。

色々な情報を見聞きすると、ひしひしとそう感じるわけです。

なので私も重い腰を持ち上げて、選挙に関心を持つことにしましたよ。本を読んだり、新聞を読んだりして、付け焼き刃の知識をつなぎ合わせながら、「自分の答え」を探す努力をする。一念発起してやり始めましたが、いやあ大変大変。

専門用語はちんぷんかんぷんだし、戦争という言葉もたくさん飛び交っているけれど、結局なにがなんだか、真実がよく分からないし。

学べば学ぶほど、素人の私にはお手上げですよ、とさじを投げたくなる。

でも、考えることをやめてしまっては、誰かに頼まれたからと安易に投票する人と同じになってしまう。

だから、考え続ける。

考えずにAを選ぶ

よく考えてAを選ぶ

同じAを選んだとしても、それぞれのAの重みは異なる。

私はこの場で、「どこそこに入れろ」とかそういうことを言うつもりはない。そんなことをしたら、選挙の時だけ登場する知人と同じになってしまう。

でも、

なぜAを選んだのか、

Aを選ぶためにどれくらい熟慮したか、

この質問に対して、一人ひとりが自分の言葉で説明できるような世の中であってほしい。

言葉を選ばずに言うならば、「安易に投票する人」を減らして「よく考えて投票する人」を増やす。ことが大事なのではないかしら。「よく考えて投票する人」が一人でも増えれば、世の中が間違った方向に行きそうになった時、間違った方向を軌道修正できる可能性が見えてくるかもしれない。

だから私は、選挙当日ぎりぎりまで考え続けたい。根っこにある気持ちは、知人に「安易な気持ちで選挙に行きたくない」と告げた時となにも変わっていない。「周りに流されない」「よく考えて行動する」このプロセスに私はとことんこだわり続けるつもりです。 

追伸選挙目前の今、非常に興味深い文章に出会えました。教育者の谷藤先生という方が書かれた文章です。ご本人から許可をいただけたので、以下、そのまま転載させていただきます。⬇️子ども社会塾塾長の谷藤です。

選挙戦が盛り上がっています。フラットアーサーズって聞いたことありますか?地球は平面であると信じている人たちのことです。 地球が球体というのはNASAの陰謀であると信じて疑わないそうです。2020年にはそれを証明するための自作ロケットで墜落して亡くなる事故も起こっています。それがナニ?子育てのいろいろが見えてくるんです。 選挙直前、政局が熱いですね。ネットを見ると、それはそれはいろんな意見が飛び交っています。こっちの人とあっちの人が真逆のことを主張しています。何がホント?スタンス(主義主張、立場、信条など)の違いがあるから仕方ない・・・私はこの「スタンス」に違和感を感じている人間なのですが、だいぶその正体が分かってきました。

こんな例はいかがでしょうか。

地球は平面と信じて疑わないフラットアーサーズの人、地球は球体と知っている人、

 この2人に「世界一周クルーズ」の計画を立ててもらいます。まったく違うプランができることでしょう。そして見せっこします。

何が起こりますか?

「あなた、バカですか?」「あなたこそ頭おかしいんじゃないですか?」

相容れない平行線の議論が続くことでしょう。

「じゃあ銚子沖から東に旅をしたら背後の長崎に到着するとでも?」

 「そうです。地球は球体ですから。」

 「いやいや、東の端から奈落の底ですよ?いいんですか?」

 「東の端なんてありゃしないですよ」

 「そんな無責任なことよく言えますね!あなたもNASA派ですか!」

 これは「スタンスの違い」で片づけていいのでしょうか?人それぞれ主義主張がある、だから認めよう、なのでしょうか?信条と言えるものなのでしょうか?

 今の選挙戦で飛び交う様々な意見、あれって信条の違いでしょうか?

信条の違いを生み出しているもの、

その多くは単に知識の差では?

そう思えてならないのです。

 地球が球体であることを知っている人がフラットアーサーズに転身することはまずありません。

でもフラットアーサーズが「マジか!?」と球体を知る人に転身することはあり得るわけです。

そしたら信条はコロッと変わりますよね。

私自信、若い頃と今では政治信条が真逆です。

ある日気分で信条が変わったのではなく、勉強した結果、知ってしまった結果、信条が変わらざるを得なくなったのです。

 そして、すでに知っている人たちとピタリ意見が一致する世界を見るのです。

 なので教育がいかに大事か、

 それは子どもの教育から始まっている、

 ここにたどり着くのです。

 「だから自分の頭で考えなきゃ!」と、まとめる人がたくさんいますが、知識のある人はそう言えますよ。でも、分からない人は分からないのです。テレビやSNSを信じるしかないのです。

 でもそういう人でも知ることで変われるのです。

 「俺はこういう考えだから」「私はそんなの信じないね」

 そう言う前に、

 他の意見に耳を傾けてみませんか?

 そこにあるのは信条の差ではなくて、知識の差かもしれませんよ。

 経験者としてそう思います。

 塾長 谷藤賢一⬆️以上です。何を信じたらよいか分からず混乱していましたが、まずは知ること、知ろうと努力することから始めよう、と思ったら気持ちが落ち着きました。

自分の知ることのできる情報量には限りがありますが、

盲目的に判断を下さない、流されて判断を下さない、いったん立ち止まって考える、

最低限その気持ちだけでも忘れずにいようと思います。そのことの大切さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
数日後に選挙がある。私は選挙にあまり関心がなくて、行かない時もあるし、気まぐれに行く場合も、前日に選挙公報を眺めて消去法で投票先を決めるようなやる気のなさだ。

なぜこんなに選挙にやる気がないのか。理由は色々なんだけれど、理由の一つにあるのは、「選挙の時に現れる知人」の存在、これは大きい。

普段たいして交流がないくせに、選挙が近づいてくると私にも近づいてきて、「○○に入れてくれ」とか言う。あれが本当にいやで。

だってもしもそれで、「頼まれたから入れてあげよっかなあ」なんていう人がいたとしたら、それって、よく考えないで投票することになる。もしかしたらテレビとか映画とかに出てくるような、独裁者に投票することにもなりかねない。

だから私はいつも、選挙が近づいてくると私に近づいてくる知人にはこう言うことにしている。

「選挙には行かないかもしれないので、私にお願いしてもムダですよ」と。

すると知人は言うわけです。「選挙は大事だ」と。

なので私はこう言い返してやります。

「大事だからこそ行かないんです。よく考えもせずに投票なんかしたら国が傾いてしまうかもしれない。だから私は、十分に勉強した時だけしか投票しないんです。でも今週は忙しいから勉強時間がとれそうになくて。だから私には選挙に行く資格はないんです。いい加減な気持ちで投票する人が増えたら、国はおかしくなってしまう。だから今回は選挙に行きません」と。

そんな風にして、「勉強不足の自分は選挙に行く資格がない」と長年言い続けているうちに、まあなんだか有言実行というか、元々あまり興味のなかった選挙がますます興味がなくなり、今に至っているわけですが。

ところが、そんな私が今、朝から晩まで選挙のことを考えて、選挙のことで頭がいっぱいになっている。新聞読む時だって、いつもは政治面なんてすっ飛ばして読んでいるのに、今回ばかりは政治面だってそれなりに目を通したりしている。そんな風に選挙のことを考えすぎたせいなんですかね、ちょっと熱まで出てきて心身ともにしんどいので、今日の予定はキャンセルして、こうやって文章を書いたりなんかしている。

先にも書いたとおり、私にとって選挙とは「人の言いなりになってはいけない神聖な儀式」だ。さらに言うならば、神聖だからこそ、いい加減な気持ちで参加してはいけないわけで、参加するならするでそれなりに勉強してからじゃないとダメでしょ、とそれが私の選挙に対する考え方だ。

でもね、今回の選挙はどうやらめちゃくちゃ大事な選挙らしい。勉強不足だなんだと言って逃げている場合ではない。

色々な情報を見聞きすると、ひしひしとそう感じるわけです。

なので私も重い腰を持ち上げて、選挙に関心を持つことにしましたよ。本を読んだり、新聞を読んだりして、付け焼き刃の知識をつなぎ合わせながら、「自分の答え」を探す努力をする。一念発起してやり始めましたが、いやあ大変大変。

専門用語はちんぷんかんぷんだし、戦争という言葉もたくさん飛び交っているけれど、結局なにがなんだか、真実がよく分からないし。

学べば学ぶほど、素人の私にはお手上げですよ、とさじを投げたくなる。

でも、考えることをやめてしまっては、誰かに頼まれたからと安易に投票する人と同じになってしまう。

だから、考え続ける。

考えずにAを選ぶ

よく考えてAを選ぶ

同じAを選んだとしても、それぞれのAの重みは異なる。

私はこの場で、「どこそこに入れろ」とかそういうことを言うつもりはない。そんなことをしたら、選挙の時だけ登場する知人と同じになってしまう。

でも、

なぜAを選んだのか、

Aを選ぶためにどれくらい熟慮したか、

この質問に対して、一人ひとりが自分の言葉で説明できるような世の中であってほしい。

言葉を選ばずに言うならば、「安易に投票する人」を減らして「よく考えて投票する人」を増やす。ことが大事なのではないかしら。「よく考えて投票する人」が一人でも増えれば、世の中が間違った方向に行きそうになった時、間違った方向を軌道修正できる可能性が見えてくるかもしれない。

だから私は、選挙当日ぎりぎりまで考え続けたい。根っこにある気持ちは、知人に「安易な気持ちで選挙に行きたくない」と告げた時となにも変わっていない。「周りに流されない」「よく考えて行動する」このプロセスに私はとことんこだわり続けるつもりです。