映画『ペリリュー 楽園のゲルニカ』を観に行ってきました。戦争映画ということまでは分かっていましたが、それ以外の内容はよく分からずに予習もなにもせず映画館へ。

行く前は思っていたんですよね。やることたくさんあって映画なんか観ている場合じゃないのに、なぜ私はわざわざお金を払って、じっと椅子に縛りつけられて戦争シーンなんか観るのだろうか、と。

映画館で座っていてもその思いは変わらず、ひたすら繰り広げられる残虐な戦争シーンは、見ていて辛くなるばかりで、あまりにも怖くて席を立ちたくなったほど。戦争は怖いよね、とかいうそういうレベルではなくて、ホラー映画みたいなじわじわくる恐怖みたいなのがあって、「助けてくれ~」と言いたくなるような映画体験でした。

でもね、一番怖かったのは戦闘シーンではなく、クライマックスのあのシーンで、ここから先はネタバレになりますが、ネタバレしてしまいますね。

広島に原爆が落とされ終戦となるが、ペリリュー島の日本兵たちは終戦を知らずに武装を続けます。でももうアメリカは攻撃してこないから大丈夫。後はなんとか終戦を知って日本に帰るのみ。

ここまで来れば一安心。よくぞ皆生き延びたね。残酷なシーンはこの後はなさそうだわ。

と胸をなでおろしながら観ていたのですが、ところがどっこい、ここからが一番怖かった(涙)

日本兵の誰かが、アメリカの基地のゴミ箱からアメリカの新聞を拾って帰ります。英語に堪能な人がそれを読み、「戦争は終わったと書いてある」と日本軍のアジトで皆に告げます。

普通に考えたら後は話は簡単ですよね。

なんだなんだ、もう武装しなくていいのか。負けたのは残念だが、とりあえず戦闘は終了だな。

と、普通こういう発想になると思うのですが、、

日本兵たちの間で意見が分かれます。

この新聞は自分たちを油断させるための罠だ。だまされてはいけない。これからも武装を続ける。

という意見と、

ゴミ箱に落ちていた新聞だし、英語で書かれている。いくらなんでも罠にしてはおかしい。本当に戦争は終わったのではないか。

という意見と。

で、意見が分かれたらそれはそれで議論を続ければいいのに、皆からの信頼の厚いリーダーが、「これは罠だ。だまされるな。俺たちは闘い続ける」と力強く言ったとたん、そうだそうだ、となってしまうんですよね。。

それから数日後、主人公の友だちが皆のいないところで、こう言います。「本当に戦争は終わっているのではないだろうか。僕は一人でアメリカ基地に行って降伏する。そして真実を確かめる」と。

降伏というのは、自ら白旗を上げる行為なので、当時は死罪に匹敵する行為でした。それでも友だちの意志は固かったため、主人公は「僕も一緒に行く」と友だちの味方になる決意をします。

そして降伏決行の当日。白旗を持ってこっそりとアメリカ基地へ行こうとする二人は、日本軍の仲間たちに見つかってしまいます。

必死でとめるリーダー。それでも走り続ける二人。「あの二人を撃て」というリーダーの絶叫。二人に降り注ぐ銃弾の雨。そこへ銃撃中の日本兵たちを邪魔するかのように、手榴弾が投げ込まれ(投げ込んだ人は二人を逃がす手助けをしたわけですが、手助けをしたがために後で殺されます)、たくさんの犠牲を払いながらも、主人公とその友だちは、なんとか仲間たちから逃げおおせてアメリカ基地へと近づきます。

するとそこへ、例のリーダーが一人で現れて通せんぼします。「行くなら撃つ」と。

リーダーと友だちは、にらみ合いの末に、震える手で互いに銃を引き、銃弾はどちらとも命中。二人とも血だらけになります。

瀕死状態の友をおぶって、アメリカ基地にかけ込む主人公。そこで、「戦争は終わっている」とようやく真実を知ることができたのですが、その時すでに背中の友は血だらけで息絶えていました。

敵と味方で殺し合う前半のシーンも相当残酷だったのですが、味方同士で殺し合う後半部分が私は一番怖かった。

主人公の友だちは、リーダーに流されず、リーダーを崇拝する皆の勢いに流されず、冷静に正しい判断をした。自分の頭で考えて、勇気を出して「正しいこと」をしようとした。

それなのに、その「正しさ」が、人を傷つけ自分も傷つけられ、その結果、仲間同士で殺し合うという最悪の事態を招いてしまう。

怖いのは戦争ではなくて、人間社会の中に潜むこういう理不尽な構造なのではないか。そんな重たい問いを最後の最後に投げかけられたような気がしました。

それでも、だから人間はだめなんだよ、ということではなくって、流されずに「正しいこと」をしようとした人が映画の中でクローズアップされたこと。そしてその映画をたくさんの人が観たこと。そこに希望があるように私は感じました。

戦争はよくないよね。という教訓以外に、「強い声にに盲目的に従うような土壌は時に悲劇を生むよね」と、そういう教訓を観客が持ち帰ることができたのなら、それはこの平和な世の中にあっても生かせる大切な教訓なんだと思う。

仲間同士で殺し合うことになったシーンが一番怖かったけれど、そこにこそ大きなメッセージがある。そんな風に思いながら、何日も何日も映画の余韻にひたり続けています。
息子のキッズケータイが壊れてしまい、新しいアイテムが必要になりました。

息子の居場所が分かり、息子といつでも通話ができて、さらに防犯ブザーまでついているキッズケータイ。

万が一、不審者に連れ去られそうになっても、防犯ブザーがピーピーと警告音を鳴らしてくれる上、防犯ブザーが鳴ると自動的に私のスマホにも連絡がくる仕組みになっているし、さらにどこで誘拐されたのか場所も分かる上、敵のアジトに連れていかれても敵のアジトの場所まで特定できる。なんなら、息子がケータイから自分で警察に電話をかけることだってできる。あと、大地震の時などは大人のスマホ同様、避難勧告の音がピロピロと鳴ったりもする。

で、ここまで至れり尽くせりにも関わらず、スマホと違ってインターネットは使えないので、視力低下の心配もなければネットトラブルなどに巻き込まれる心配もなし。

今さら言うまでもないことですが、キッズケータイって本当にすごいんです。

そんなキッズケータイが壊れてしまい、あら大変。ドコモショップに駆け込むも、「キッズケータイは約4万円。スマホなら約1万5千円」と、まるでスマホを買えと言わんばかりの提案をされ、思わずスマホを買いそうになったのですが、、。

という顛末については前回のブログで書かせていただきました。

結局ですね、息子と相談した結果、「スマホを買うのはもう少し先でいい。周りの友だちがスマホを持ち始め、ラインとかやり始めたらその時に検討しよう」という流れになり、息子から「わざとキッズケータイを壊したと思われたくないし、今回はスマホはいらない」とキッパリ言われ、そのアッパレな心意気に感心し、スマホの購入は見送ることになったのです。

さて、どうする。キッズケータイかもしくは、キッズケータイと同じ機能を備えて息子を守ってくれる見守りアイテム。何かないものか。ネットであれこれ物色するも、色々ありすぎて混乱するばかり。最終的には「家電量販店に行けばなにか答えが見つかるかも」という展開になり、家電量販店へ行くこととなりました。

さて、家電量販店にて。売場をうろうろしながら、防犯ブザーやら、迷子防止タグやら、GPS機能つきの腕時計やら、色々なアイテムを物色してみましたが、キッズケータイなみに「居場所も通話も防止ブザーもなんでもござれ」という頼もしいアイテムは見つからず。

となると、いよいよ最後の殿堂。家電量販店の片隅にあるスマホコーナーへと足を踏み入れます。

ドコモショップでは4万円と言われたキッズケータイ。それが家電量販店だと半額になるらしいので、その話の真偽を確かめるのも今回の大切なミッション。ドキドキしながら、スマホコーナーでキッズケータイを探します。

ありました。キッズケータイ。確かに半額です。約2万円。しかも番号を変更して新規契約なら約1万円。

うん。これでいい。

息子にも確認すると、満足そうにうなずいてくれます。

さて、そうと決まればいざ契約です。担当してくださったのは腰の低い若いお兄さん。キッズケータイの色も選んで、身分証明書も提出して、手続きはすこぶる順調に粛々と進んでいきます。

ところが、ここで想定外の出来事が起きました。いや、むしろ心の準備をしておくべきだったか。

そのお兄さんは、順調に進んでいたはずの手続きの手をふととめて、「息子さんは11歳ですよね。そろそろスマホが欲しいとか言ってきません?」と聞いてきます。

ああ、またその話かい。ドコモショップの時と同じ展開です。なぜみな、そんなにスマホを買わせようとするのか。スマホにしたら月々の基本料だって高くなってしまうじゃないの。そりゃ、携帯会社はその分もうかるかもしれないが、簡単にスマホスマホ言わないでほしいわ。

そう思った私は、「息子と話し合ってキッズケータイを買い換えると決めたんです」とキッパリ店員さんに言い渡します。

すると店員さんは、「でも友だちがグループラインとか作ってそこに入れなかったら、かわいそうじゃありませんか? 僕も妹がいるので、親心はよく分かります」などと言ってくるのですよ。なぜここで妹が出てくるのか、ちょっと意味が分かりませんでしたが(笑)、とにかくスマホを買わせようとしている魂胆が見え見えです。

私が困惑した表情を浮かべていると、「スマホだと高いかもとか、色々ご心配するお気持ちは分かります。でもですね、もしもスマホが1円だったらどうされますか?それなら考えてもいいかなってなります?」と、目をキランとさせて聞いてくるではありませんか。

「1円、ですか?…」

そりゃ安い方がいいが。まさか家電量販店でこのようなトラップが待ち構えていようとは。

「でもスマホだと視力低下も心配で、、」なんとか食い下がる私。

すると店員さんは、
「お母さん、実を言うとキッズケータイとスマホなら、目に悪いのはキッズケータイの方なんです。スマホにはブルーライト低減などの保護機能がありますが、キッズケータイにはそれがないのでね」

さらに店員さんの演説は続きます。「そもそも目が悪くなる根本的な原因は、スマホやキッズケータイではないんですよ。問題は姿勢です。スマホをやる時に首を下に曲げてやっている人、多いですよね。あれがよくないんですよ。人間の首にはこうやって骨がついていまして」

そこまで言うと店員さんは、テーブルの上にあった紙に、人間の首の骨格図を書き始めます。

「ここの骨が下に曲がってしまうと、目に悪影響なんですよ。整体とかで、バキッと治してもらうなんて方法もありますが、私たちとしては医療的にはおすすめできる方法ではないんです」

なんだか話が、スマホからどんどんそれていきます。なんだろ、この兄ちゃん。人間の体の骨格について、やけに詳しくやけに熱く語ってくれるけれど、一体なんなの? このレクチャーの目的は一体なんなの?

利益重視のドコモショップの店員さんとはちょっとまた違う匂いを感じます。困惑しつつも、一応「へー」だの「ほー」だの理科の授業みたいなレクチャーを素直に受けていますと、店員さんは、「ですから、スマホは悪くない。スマホを使う時は下を向かず、こうやって手を上げて、首が下向きにならないように使っていただきたい。これが私たち医療者の見解であります」と、そんなことをさらっと口走ります。

え?医療者?

だってここは家電量販店だよ。病院じゃないよ。

とは思いましたが、私も店員さんのテンションに合わせて、バカになったつもりで、ごくごくさらっと聞いてみました。

「お医者さんなんですか?」と。

すると「はい。僕、医学生なんです。これが証拠です」と言うと、手慣れた様子で、持っていたタブレットの写真を私に見せてくれます。

そこには、白衣を着て救急車の前でほほえむ店員さんが写っていました。

さすがにこの展開は面白すぎて、頬がゆるむ私。医学生のあなたがなんでこんなところでスマホを売りつけようとしているんですか?なんでわざわざ白衣の写真を用意しているんですか?と突っ込みどころ満載で、笑いたくなるのを我慢するのに必死でした。

で、結局スマホは買ったのか買わなかったのか。

医学生だろうがなんだろうが、負けてはいられない。と思った私が、「スマホに防犯ブザーはついていますか?キッズケータイにはついているので、それは大事なポイントなんです」と食い下がったところ、お兄さんは白旗を上げてくれました。

「あー防犯ブザーはついてないですね。じゃ、キッズケータイにしましょうか」

やれやれです。キッズケータイに至るまでの長い道のり、ようやくこれにてゴール。約1万円、正確には、1万円1千円にて、ようやく、ようやく購入することができました。

ドコモショップで買っていたら、約4万円だったわけなので、だいぶ安くすんだと思いませんか?めでたし、めでたし、です。

スマホデビューのタイミングについては、なかなか悩ましい問題ですが、息子と話し合いながら手探りで答えを見つけていくしかないかなあ。

というわけで、家電量販店の店員さんの正体は、「医学生」でありました。おそらくバイト君なんだろうけれど、正社員なみに、家電量販店の売り上げに貢献しようとお店に魂を捧げている感じだったので、医学生さんだったなんてほんと予想もつきませんでした。

すごく腰も低くて店員さんになりきっていたので、こういう社会経験は、きっとお医者さんになった後もあなたの役に立つはず。と思わずにはいられなくて、最後、90度に腰を曲げて「ありがとうございました!」と見送られた時には、心の中で、(いいお医者さんになるんだよ)とエールを送ってしまったほど。

キッズケータイの故障から始まった一連のドラマはこれにて完。なかなかドラマチックな展開で、面白かったなあ。最善の買い物ができたのではないかしら、と今はただただ達成感でいっぱいの私です。
小学5年の息子のキッズケータイが壊れてしまいました。画面は真っ暗。充電してみても変化なし。キッズケータイ付属の防犯ブザーも、ヒモを引っ張ったら音が鳴るはずなのにこちらも反応なし。

よく見たらキッズケータイに傷がついています。本人に問いただしたところ、
「日課のランニングをしている時、斜めがけしているキッズケータイが邪魔なのでキッズケータイをバトンのように持って走っている。昨日は走っている時に手を振りすぎて、キッズケータイのストラップが外れてしまった。その時に、汗でぬるぬるの手からキッズケータイが落ちてしまい、ポーンと地面に飛んだ。キッズケータイについている傷はその時についたんだと思う。石かなにかに当たったんじゃないかな」とのこと。

うーん。言っていることは分かるんだけれど、わざと壊したわけではない、という証拠がどこにあるというのか。実を言うと息子は5年生になったあたりからスマホを欲しがっていまして。キッズケータイが壊れればスマホを買ってもらえるのではないか、と考えたのだとしたら?

単刀直入に、そのような疑問を息子に伝えてみたものの、息子は息子で「わざと壊したわけではない。疑われるのはイヤだ」の一点張り。まあ、仕方ありません。息子を信じましょう。

キッズケータイが壊れた翌日、私はドコモショップに行きました。目的は、、息子のスマホを買うためではなく、息子のキッズケータイを修理してもらうため。

これを機にスマホデビューさせてあげてもいいかな、という考えも心をよぎりましたが、「キッズケータイが壊れたから得した」という経験は、百害あって一利なし、なのではないでしょうか。これから先、欲しいものが登場するたびに古い物を壊されてはたまりません。まあ、わざと壊すことはないにしても、新しい物欲しさに古い物を粗末に扱うようなことがあってはなりませぬ。

そう考えた私は、スマホデビューはまたの機会に延期することに決めて、まずはキッズケータイを修理してもらうことに決めたわけです。

でもね、イヤな予感はしていたのです。だいたい昨今の世の中は、電気製品が壊れても、「修理代金が高すぎるから新しい物を買った方が得」というパターンになることがほとんどではありませんか。何かが間違っている!とは思うのですが、お金も大事。どうしても「安くすむ」方を選んでしまいがちです。そして今回、この「安くすむ」方を選んでしまいがちな私に、ドコモショップの罠が待ち受けていたのでした。。

まずね、修理の相談をしたところ、「補償サービスに加入されていなかったので、修理代金は約3万円になります」とこれまたビックリ仰天するような金額を提示されます。「じゃ、じゃあ新しくキッズケータイを買った方が安いのかしら」冷や汗をかきながら、おそるおそる質問してみると、スタッフの方は「キッズケータイの本体料金は約4万円でございます」とおっしゃるのですよ。

いやはや、私が世間知らずなのか?
4万円って高すぎでしょ。言葉を失い、しばし固まる私。
「数年前に購入した時は一万円台だったのに、物価高の影響なのかしら。そんなに高くなってしまったのですね」店員さんを責めても仕方ないのは分かりますが、お米も高けりゃ、キッズケータイも高いのかい、と突っ込みたくなるのをなんとかこらえます。そうだわ。備蓄米、備蓄米はないのかしら。きっと倉庫の奥に眠っているはず。

「あの、型落ちしたキッズケータイでもう少しお安いものとかはありませんか?」気を取り直して質問してみるも、「これしかないんですよ」と困り顔をする店員さん。しかし困り顔もここまで。店員さんは、やや一拍置いたあとに少し目をキラキラさせながら、こんな提案をしてきます。

「息子さんは11歳。そろそろスマホを欲しがるお年頃ですよね。今、数万円かけて新しいキッズケータイを手に入れても、またすぐにスマホを買う必要に迫られるかもしれません。それであれば、これを機にスマホもご検討されてはいかがでしょうか?」

分かっています。私もそれは考えましたし、ドコモショップでもどうせそんなことを言われるのではないか、と思ってはいましたよ。

「あの、スマホを買うとしても一番安い機種にしたいです。一番安いのはおいくらですか?」
「一番安いのは約4万円になります。キッズケータイとほぼほぼ同じですね」
さらに固まる私。どちらにしても、3、4万の出費はまぬがれないのか。それにしても、それにしてもよ、確かに、今後もしスマホを買い足したりしたら、合計約8万円の出費ということになってしまう。ならば、今スマホを買っちゃった方が「安くすむ」んじゃ。

そう思いながらしかめ面をしていると、イヤホンに向かって何やらうなずいていた店員さんが、「ちょっと上の者に相談してみます」とやおら姿を消してしまいます。数分後、「お待たせしました」とペコペコと腰を曲げながら再登場した店員さんは、
「上の者に相談したところですね、もしキッズケータイではなく、番号を変更して新規でスマホを購入していただけるのではあれば、約4万円の最安スマホを、さらにお値引きして、約1万5千円でお渡しできるとのことです。いかがなさいますか?」とお目々をキラキラさせながら言うではありませんか。

「え?」思わず口に手をあてる私。それは安いわ。それは嬉しいわ。備蓄米ならぬ備蓄案、ちゃんとあるじゃないの。すごいわ。

キッズケータイを買ってそれからいずれスマホを買ったりしたら合わせて8万円の出費になってしまうわけだけれど、今ここで上の者が提案してくれたという特別価格のスマホで決めてしまえば、要は1万5千円の出費ですむわけよね。「とはいえ、なんだか詐欺っぽいけどね」なんて心の中でドコモショップに突っ込みを入れつつ、それでも思わず財布のヒモをゆるめてしまいそうな私。

息子の驚く顔、喜ぶ顔が目にうかぶ。「そんなにお安くしてくださるなら、キッズケータイはやめてスマホにしようかな。じゃ、今日そのスマホ買います。ちなみに、、そろそろ息子の下校時間なんですけれど、契約するお時間ありますか?」
「あー残念。契約には時間がかかるので、今日は無理ですね。でも明日も私いるので、明日の予約入れておきますよ。ちなみに先ほどご提案した特別価格は明日までですよ」と、さらに詐欺師っぽいことを言いながら、意気揚々とパソコンをたたいて予約を入力する店員さん。私は心のどこかでホッとしていました。考える時間ができてよかった。

とりあえず、キッズケータイが壊れて得した、と息子に感じさせないためのなんらかの作戦も必要だし。そうだ。スマホを買うなら、息子に負担させよう。おこづかいでは足りないから、歴代のお年玉たちを総動員させて、スマホ代は息子に負担させよう。全額が無理なら一部負担でもいい。キッズケータイを大切に扱わなかったことに対して、なんらかの責任を取らせよう。

そう心に決めた私は小学校から帰宅した息子と、ねじり鉢巻でご対面。かくかくしかじかとドコモショップでの顛末を説明してみたのですが、私の説明を聞き終わった息子の口から、思いがけない言葉が出てきます。
「スマホ欲しいとは言ったけれど、今すぐじゃなくてもいい。中学生か高校生になって本当に必要になってからでいいよ。このタイミングでスマホを買うのはちょっと違うと思う。キッズケータイの修理が一番いいんじゃない?」と。

お年玉でスマホを買うのどうのの話をする前にこう言われてしまい、拍子抜けしてしまいました。やっぱりわざと壊したわけでないんだよね。疑ったりしてごめん。

たださ、息子くんの言っていることはすこぶる正論なんだけれど、でもさ、修理代金3万円というのがちょっと痛いんだよな。スマホにしてもらえた方が「安くすむ」んだけれどな。

で、結局どうなったかって?
実を言うとまだ決まっていないのです。ただね、色々リサーチした結果、スマホ以外でも「安くすむ」選択肢は他にもたくさんあることが分かったので、ドコモショップの予約はキャンセル。店員さん、営業成績に貢献できなくてごめんなさいね。でも話の展開が詐欺みたいでちょっと抵抗はあったの。ごめんなさいね。

というわけで、色々考えた結果、明日あたり、家電量販店に行ってみることになりました。ネットでのリサーチばかりだと頭がこんがらがってくるので、スマホ以外で子どもを見守れるアイテム、現地にて物色してきます。候補は、腕時計型でしかも通話もできるというGPS端末か、GPS機能のついている防犯ブザーか、もしくは原点に戻ってキッズケータイか(家電量販店だとドコモショップの約半額らしい)、そのあたりから、じっくり厳選してみたいと思います。

私が「安くすむ」方に目がくらんでしまったがために、あやうく息子をスマホデビューさせることになりそうでしたが、デビューを遅らせることができてよかった。買う時間がなかったおかげで冷静になることができて、それは本当によかったです。

壊れたキッズケータイの代わりに我が家にやってくるアイテム、最終的には何になるかなあ。オチを書きたくても、現実がまだオチに追いついていないため、今日はここまで😊

長いので途中できろうか迷ったけれど、最後まで書いてしまった。長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。m(__)m