真由美のブログ

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東日本大震災から1年。


早かったかな?遅かったかな?あまり分かりません。

ただこの日を、一生忘れることはないんだろうって思います。




去年のこの日は前日に父母と湯河原に旅行に行っていました。

今思うと、そこからの帰り道は海沿いだったので、旅館を出た時間が遅ければ、

大きくはないけれど津波に合うところでした。



そして帰りに祖父母の家にお土産を届けに行き、

祖父母の家で、兄夫婦の結婚式のDVDを見ていると、突然電源が落ちました。



そしてその直後に大きな揺れ。



祖父母の家は結構立派な作りをしていたことと、横浜市内の中では揺れが小さい場所だったようで

大きく揺れましたが、なにかが壊れる・倒れることはなく、観音開きの扉が開いたり閉じたりしている程度でした。



驚いたのは祖父母の落ち着きっぷり。私たち家族は大パニックでした。

けれど祖父母は、関東大震災の経験者だから、この揺れなら、このあたりは大丈夫と分かったようです。



揺れがおさまったと同時にすぐ私は旦那にメールを。

「生きていますか?」

仕事柄高い場所に上ることが多い旦那。死があり得ないことではなかったので、

返事が来るまで気が気でなかった。けれどすぐに返事が来て「大丈夫」と。



祖父母の家の付近は停電で、私たち家族が帰っても、夜になっても停電だったようです。

このとき、祖父母の家に寄っていなければ、停電で電話が通じない状態だったので

安否の確認が遅れたと思うので、偶然にも祖父母の家にいたことに、安堵しました。



そして祖父母の家を後にして、本来なら私は家に送ってもらう予定でしたが、

停電で信号も動いていないし、危険なので、一緒に実家に帰りました。



途中でコンビニに寄りました。旅行明けで食材がほとんどなかった実家。

買いだめはしなくとも、最低限の飲み物と、パンなどを買いましたが、

棚はほぼ空っぽで、自体の深刻さを感じました。



そして、犬を預けていたので犬のお迎えにも。

犬に関しても、家にお留守番ではなく、人のいる場所でしたので、不安もなかったようで、

元気いっぱいにお迎えを待っていてくれたことに、安心しました。



そして実家に着き、実家は停電していなかったので、

すぐにテレビをつけて状況確認と、家の中の破損物のチェックを。

実家の中もたいした揺れがなかったのか、天国にいる祖父母の写真たてが倒れているだけでした。



祖父母の家も、実家も、たいした事がない状態だったので、

私たち家族は、そこまでの大きな被害を想像できていませんでした。

けれど家族3人、テレビを見続け、そして時間がたつにつれて情報が増え、

そして事態の深刻さに驚き・悲しみ・恐怖を覚えました。


しかし、恥ずかしいのですが、私たち家族、普通に過ごしました。
普通に食事をとり、お風呂に入り、各自いつも通りに寝ました。


その理由としては


恐怖を覚えつつも、祖父母宅も実家も被害というのがまったくないに等しく、実感が少なかった。
家族3人、そろいも揃って、緊急地震速報がならない携帯だった。

旦那に話したらとても驚かれました。



我が家は古いマンションで、横浜市内でも揺れの大きかった地域のためか、驚くほど家の中は荒れていました。

本棚の本はすべて落ち、家具の場所もずれ、壁もずれ、飾っていた割れ物は全て割れ・・・

そんな家の中に、仕事後いつもの4倍近い時間をかけて帰った旦那は、

緊急地震速報に怯え、寝れない夜を過ごしたので、普通にすごした私たちが、信じられないようでした。



震災翌日は、旦那も急遽休みになり、迎えに来てくれました。

震災翌日に我が家に戻って、少し片付けられていたものの、驚くほど荒れた家の惨状を見て、

その日からが恐怖を感じるようになりました。



その後続いた余震のたびに、ベランダに出て、あたりの状況や対応を確認したり

食材も全然なかったので外食続きになり、ガソリンがなくて外出が難しくなり・・・



色々な体験をしました。





今、生きていること。

一日一日を過ごせていること。

大切な人が生きていること。

食事ができること。

寝る場所があるとこ。



すべてのことが当たり前ではないのだから、

そのことを忘れずに、そして毎日を大切に。



そのくらいしか私には出来ないけれど、

毎年3月11日、この気持ちの再確認をしていきたです。



そして記憶がはっきりとあるうちに、記憶をなにかに残そうと思い、このブログに書かせていただきました。