ドラマ「君が心をくれたから」の主人公の雨ちゃんを見ていると


自信のなかった以前の私と重なる


二話までみたけどなかなか切ない



ドラマのセリフにも

自分の生き方の参考にできる言葉はあって


自分に負けない

何があってもくじけない


自分の大事な人生がかかっていることなら、このふたつは重要なことだろうと私は思う




今年に入り私は三回モラ夫とやり取りした

一回目から、俺の思惑通りにならない私にイライラしているのがわかる


子供の気持ちを考えろ

と言いながら

俺の気持ちを押し付けているのがあからさまにわかる

そこに、私の心が拒否をしたならば、私は言いなりになることはない



そして三回目の昨日は 

これまでと同じパターンで言いがかりをつけては、わざわざ電話で大声で文句を言ってきた

私は言い返すことはしないが

途中から録音してみた


「クズが!いい加減自分が発達障害ということを認めろ!」



息子はその電話を車の中で聞いているはずで

そこが私が一番気がかりなところ


録音したのは喧嘩を売るためではなく、暴言に対する私の対処だ


落ち着いて対処する私は

当然不快な気持ちにはなるが


傷つくことがなくなった

必要以上に罪悪感を感じなくなった


これは

相手に対する無関心力がついてきたのだろうか


ただ

無関心力もこれまで受けてきた精神的ダメージが回復しなければついてこない

モラハラは何度も心を平気でえぐるから




今月で私は追い出されてから5年が経つ


一年前に書いた記事


昨年一年間は

新しいことをいくつか始めて、世界が広がることで自分に自信がついたり

かと思えば

自分のトラウマが出てきてそれと向き合ったり


どちらも自信のなかった弱い自分を乗り越えるために必要なことだった

そうやって精神的ダメージを回復していったのだろう



一昨年までは

子供への思いだけで生きていた


昨年は自分の人生にも焦点を当てていた


前と違うのは、子供への思いだけでなく、自分のことも大事にできるようになったこと


これだけでも2倍は強くなれている



5年かけてここまで進めた

感情に振り回されることもなく

私にはJoeさんのいうところの「心の地図」ができてきた

自分が今何をどう感じているのか自分で理解できている

負の感情に支配されることはない


モラ夫のモラハラは私には効かなくなっているということ





ここまできたことに感謝して


私は近々京都のある場所にお礼参りに行こうと思う