調査官との電話を振り返り
思うのは

私はあの時どうすればよかったのか

ということ


今回の調査官が見抜いていたように

調停時、最初から最後まで中立を貫いていた男性調査官も、
モラ夫の発言や態度から人間性を理解していたこと、追い出されていることからも私寄りであったことはわかった


私は最後に追い出されてから次第に離婚の意思を固めていったけど、
離婚調停からではなく

子の引き渡し、監護者指定調停から始めた
弁護士から審判の話は出たが、私は相手の反応が恐ろしく、調停で様子をみながらということにした

あの時の私の精神状態からは
私の初動が遅れたというのは酷である


それに私には非はないのだ



うちの場合
「追い出す」というのは
離婚したくて親権をとりたいために、私を追い出したのではなく

自分の思い通りに従わせるためのモラハラ手段だということ


子供を可愛がり懐柔して、そこにモラ夫なりの愛情はあるとしても

私を排除する言動行動をし続けていたことは、自分を優位にするため


支配するためなのだということ



調査官もある程度わかっていたはずなのだ




追い出すことで
母親を子供と会えなくさせて
一番大きな精神的ダメージを与え支配する

精神的暴力であるということ




私には非はない

あるとすれば
何年もこれはモラハラだと気づかずに、相手に合わせてきたことでエスカレートさせてしまったこと


責められることでも
不利になることでも
本当はないはずなのだ


結局は
私を排除したモラ夫が
子供との時間を長く過ごし
子供のことが好きで
子供への危害はないこと

これが今のうちの状況となった一番の理由



なら私はあの時どうすればよかったのか


いや


調査官も相手のモラハラをわかってくれていた…



そう思いながら


私はひとりで過ごす休日を
泣きながら窓から青空を見上げ
しばらく涙がとまらなかった


これは

おそらく浄化の涙だろう

無念を浄化させる涙だろう