こんにちはプロ社交ダンサーのための教室プロデュースをいたします井川まゆみです。
今日は私が最も?!尊敬している母親の話を少しします。
母親はパートで働きながらアマチュアで競技ダンスをしていました、私が小さい頃、競技会に一緒に連れて行かれたのを覚えています。
39年前、母親はプロに転向してわりと早くに教室をオープンしたと記憶しています。
教室は群馬県の田舎町でしたが当時は景気も良かったからでしょうか、宣伝など特別なことはしなくても生徒さんは日きりなしに入会があったそうです。
昼は個人レッスン、夜は団体レッスンを毎日のようにおこなっていて、
90分の団体レッスンに20人くらい参加していたと思います。それを2コマやっていたのでいつも仕事が終わるのは22時過ぎ。
ダンス教師になった今でもこんなに沢山のレッスンをこなしている母親はどんな体力の持ち主なんだろう…と感心します。
母親も教室を建てた時の借金を完済するまでは無我夢中だったのだと思います。
私はそんな母親を見て、こんなに大変な仕事は絶対やりたくなかったので、
私が母親に勧められて社交ダンスを始めた時も
教室を継ぐ気は無いことをはっきりと伝えてました。
(なんと冷たい娘ですね!笑)
自分自身も上京してから、あるアクシデントがあり借金を返済しながら、ダンスを続けた時期があります。
今思うのは、借金って払っている時は大変だけど、ある意味エネルギーになるので悪いものでも無いんですよね!
あの時の節約生活も良い思い出です。
借金も返済が終わって、母親もだいぶ気持ちに余裕が出た矢先にコロナ禍が到来
近所のダンス教室はどこもクローズしてしまい、やっているのはうちの教室だけらしい。。
母親は借金が無かったのと補助金があったからなんとか続けられたと言っていたが
私はそれだけではないと確信しています。
それは母親と生徒さん達の間に深い関係性があったからです。
だから39年間、山あり谷ありだけど続いているのだと思います。
ダンス教室は
ダンスだけを教える場所では無いんですよね