2016.8.11(木・山の日) 9:05着
「静岡市はいいねぇ。 さくらももこ」
駅を出るとこんな横断幕
静岡にキターーーーーーーって感じするね
品川からひかりで55分
あっという間
お盆休み、実家へ帰省する前にちょっと旅に出ました
まずは北口駅前広場へ
竹千代君像
徳川家康の幼少期ですね
今川氏の人質になっていた少年期に、駿府にいました。
手~が、ぐ~
かわいい
そして大きな大きな像
徳川家康公像(五カ国時代)
少年期と、この五カ国時代の壮年期、大御所時代の老年期と、3度にわたって駿府にいたんですって
だいぶゆかりの地ですね
采配を持っています
家康様、いってきます
見守っていてくださいませ
ほんの少し歩くと・・・
「浮月楼」という、結婚式や宴会ができるお店が現れます
なかなか高そうな気配
駅近なのに、ここだけ雰囲気が違ってみえる
徳川慶喜公屋敷跡
元この地は、徳川幕府の代官屋敷であった。
明治元年八月前将軍徳川慶喜公は、謹慎の御身を水戸からここ駿府に移され、常磐町の宝台院に暫く閑居の後、翌二年十月この地に手を入れて遷居された。
慶喜公はここに20年の間住まわれ、自転車、写真撮影、油絵、狩猟などと多彩な趣味を楽しまれたようです。
浮月楼の北側に流れていた小川に自転車の慶喜様が落ちた・・・
という話も伝わっているそうです
だめだ・・・
想像するだけで笑えてくる
庭園は平安神宮を手がけた小川治兵衛の作庭による池泉回遊式として有数のものです。
中の利用なしじゃ見学できないみたい
庭だけじゃなくて、慶喜公の遺品の展示とかもあるらしいです。
見たかったなぁ~
「浮殿」という懐石のお店もあるんだけど、そこはむちゃくちゃ高いわけではないので、ランチくらいなら行けたなぁ~なんて思ったんだけど・・・
とは言え、まだ朝9時なので営業もしていなかったので結局無理だったんだけどね
明治維新後は、伊藤博文なんかも来たそうですよ
さて、もう少し歩いていくと・・・
西郷・山岡会見の地
慶応4年(1868)、江戸に向け駿府に進軍した有栖川宮熾仁親王を大総督とする東征軍の参謀西郷隆盛と徳川幕府の軍事最高責任者勝海舟の命を受けた幕臣山岡鉄太郎(後の鉄舟)の会見が、同年3月9日に、ここ伝馬町の松崎屋源兵衛宅で行われた。
この会見において、15代将軍徳川慶喜の処遇を始め、江戸城の明け渡し、徳川幕府の軍艦・武器の引渡しなどが合意され、5日後の3月14日、江戸・三田の薩摩藩邸で行われた勝海舟と西郷隆盛との会談により最終的に決定され、江戸城の無血開城が実現した。
ここにすごく来たかったんだぁ~
鉄舟が江戸から官軍をすり抜けながらやっとの思いでたどり着いた場所ですよ
この会見がなかったら、江戸はどうなってたかわかりませんよ~
石垣が見えてきた
という事は、もうすぐお城が!?
城代橋
大手御門を通る
ちゃんと虎口が見られます
走ったもん。
攻め込むつもりで
巽櫓の前に弥次喜多さんだ
もちろん真ん中に座ってみたよ
ほら、一人旅でも寂しくないでしょ?w
えっ!?逆に寂しい???
府中 弥次喜多像
府中宿は・・・東海道五十三次の19番目の宿
駿府城の城下町です
府中と聞くと、どうしても甲州街道の府中宿を思い出してしまうんですが、駿府にも府中宿があるんですねぇ~
⑮くらいまでつづく予定