ワタクシまゆみん、プライドの高い中学生だったんです。 | 松下まゆみオフィシャルブログ「Mayumin Blog」Powered by Ameba

ワタクシまゆみん、プライドの高い中学生だったんです。

プールを出て、管理人とそのままカフェのテラスでお茶ハート(&軽く食事w)



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久々の水泳は身体にきつかったです・・・。


何年ぶりだろう?競泳用の水着を着て泳ぐのは。


まあその水着も実家にしか置いてないので、今回は管理人に借りたんですけどネ。

初めてセパレートタイプの水着を着ました。わたしが使ってたのはSPEEDやらのワンピースタイプだったので。


写真は今日のところはNGということでシクヨロ www



こう見えてもわたし、小・中学生の頃はずっと水泳部だったんですよ。

しかも副部長なんかもやってました。部長には代々男子がなるという伝統でしたので。


小さいときからスイミングスクールに通わせてもらってたおかげで、泳ぐのは本当に得意だった。


学年では間違いなく一番だったような?いや、ここちょっとした自慢ポイントなんですが、市でもいつも一番だったの。

県大会にいくと、もっと速い子がたくさんいたので厳しかったですけどねwww



水泳の授業ではいつもお手本をやる役でしたし、夏(つまり2学期)の通知簿での体育は、いつも5段階の5でした。(冬場はマラソンがニガテで4になったりww)


小学4年から中学3年の市の水泳大会は、出る競技ほぼ全部優勝。

フリー(クロール)とバタフライの選手でした。


一度だけ悔しかったのが、バタフライ(と平泳ぎ)はタッチのときに、両手タッチじゃないとゴールにならないルールなんですが、片手でタッチしてしまって・・・間違いなく優勝だったハズなのに、タッチのミスで4位?かなんかになってしまって・・・。苦い思い出です。まあ自分が悪いんですけどねww



そして苦い思い出と言えばもう一つ忘れられない出来事が。。。


中学3年生のとき、市の大会の競技種目が増えて、フリーの50Mが新設されたんです。


それまでは毎年100Mフリーに出ていたんですが、新しくできたクラスということは、優勝すれば必然的にコースレコードとして大会プログラムに記録が残るじゃないですか。(翌年すぐに塗り替えられたとしてもw)


それは何としてでも出たい。絶対優勝できる自信があったんです。


大会前に、参加希望の種目を先生に伝えるのですが、わたしは100Mフリーから50Mフリーに転向を希望しました。


絶対コースレコード獲りますから、と。


ところが・・・当時のルールで、各校、参加できるクラスが1クラスに1人ずつと決まってたんですね。

なので、一つの学校の中で、同じクラスに2人は出られないんです。


そこで事件が・・・。


なんと、1年生の新入部員の中に、100M泳げない子がいて・・・50Mをその子に譲ってあげて欲しいと言われたのです。


その時わたしは絶対譲れないと思って、先生に詰め寄りました。

わたしが出たら絶対に名前を残せますから、と。


でも先生はわたしをどうにか説得しようとした。

わたしが譲らなければ、その子は大会にも出れませんからね・・・。


本当に、悔しかった。


顧問の先生だけじゃなく、他の先生もわたしをなんとか納得させようとしてましたねw


わたしにしてみれば、中学3年の引退試合。最後なんだから長年頑張ってきた記録を絶対残したい。

しかも自分の都合じゃない、他の人が泳げないからという理由。ここはなんとしてでも首を縦にふれなかったところなんですが。


忘れもしない、調理室の前の廊下で、顧問の先生が前からやってきて・・・


度重なるの説得の上、やり切れない気持ちで「わかりました」と言って涙を流してしまいました。


先生も困ってた。けどもう先生の顔を見るのも辛くて、誰にも会いたくなくて、

こんなことくらいで泣いてる自分も恥ずかしくて、、、


納得なんかしてなかった。でもどうしようもなかったんですよね。


すごく正直に言いますが、わたしもコドモだったので、それから先生のことも、その新入部員のことも、その後軽くうらみましたよwww 性格悪いよねwwww


大人げないんですけどね。でも当時のわたしには耐え難いショックでww


でもそんな中でも部員達の前では頑張って何事もなかったように振る舞い、一気にやる気のなくなったわたしは、大会までの間も気まずい(と思ってるのは自分だけかもしれませんがw)空気の中、サボりながらw なんとか過ごせました。


結局大会では100Mで優勝しましたが、全然嬉しくなかった。

50Mの優勝者のタイムは、わたしのベストタイムよりはるかに遅かったですしね。


ますますやり切れない思いで、でも気持ちのぶつけどころがないまま、3年間の部活動を終えました。

この事件で、なんだか尻すぼみなカンジの青春時代になってしまいましたwww



今思えば、あれもまあ運命だったんじゃないかと。でもオトナになった今も、やはりあの時の胸の痛みは忘れられないんだよね。


高校生になった時も、あんなことがあるなら絶対部活なんかするもんかって思いましたもんww


わたしって昔からガンコで、負けず嫌いなところがあるんですねー。(と自分で分析してみる)



まぁそんな思い出と共に、水泳の楽しさも身体は覚えていて、今日泳いでみると、水中のなんとも言えない闘争心を描き立てる様なw そんな感覚を思い出しました。


でもさー やっぱ身体は衰えてるんよねー


今日、管理人に爆笑されたんですが、両足の指、左ふくらはぎ、右腕、、、立て続けにつったんですよwwwww

おぼれるかと思ったよー 完全に身体がなまってるのを感じました。


そして先ほど書いた話を管理人にすると、これまた笑われましたねww

自分ではものすごい事件だと記憶してるんだけど・・他人にしてみれば笑い話なんだよなwww


「あんたって昔からしょーもないプライドあんねんな」


わたしにすれば、一生忘れないであろう苦い思い出を、笑い飛ばす管理人って豪快なヤツだなーとつくづく思いました♪