こんばんは、

スピリチュアル東洋占術コーチ 高橋まゆみです。





さて、今日から3回くらいで


「今の人生が最悪な状況だったとしても

必ず人生を理想以上に変えられる宇宙の法則」


についてお伝えしていきます。




というのも、

私は幼少期の家庭環境、

社会人生活、結婚、お金、子育て、

両親との関係、全てに問題を抱え

不幸のデパートだったところから、




この法則を知ることで

主人に愛され、

子どもたちと幸せな時間を過ごし、

仕事、お金、人間関係すべてにおいて

順風満帆な人生に変わった

からなんです。




具体的には、

・数百万の借金が、宇宙の法則に気付いたら不思議な流れでなくなった

・夫婦不仲で夫が様々な病気で休職することになったのですが、夫が回復

・夫婦の仲と絆が深まった

・子どもを普通の子にしようとして子育てが辛かったのですが、子どもの才能が伸びるようになり自信をもって自分の道を歩む子供に

・わたしも自分の使命に気付き、こうして人生を変える方法を発信し始めたらお客さまがたくさん来てくれた


など、

宇宙の法則を知ったことで人生が

ゴロンと変わりました。





巷では

「変わりたいけど変われない」

「いろいろ試したけど効果がない」

という方もいますが、そう思っている方にこそ


"人生を変えられることを知ってほしい"


んです。

是非最後まで読んでいただけたら嬉しいです。




最初に私がどんな人生で、どう変わったか

について聞いてくださいね。



私は幼少のころから波瀾万丈。

父は外資系企業に勤めるエリートだったの

ですが、その裏側ではアルコール中毒と

戦う日々でした。



飲まない時期、飲む時期が交互にあって

何かのきっかけで一度お酒に口を付けると

家にある料理酒まで手を付けてしまうし、

酷くなると会社に行けなくなり

母が留守の間にお酒を買いにフラフラ

出かけてしまうの繰り返しで。



母や私はそんな父がお酒を飲まないよう

見張って、ピリピリした心が休まらない

日々がずっと続いていた子ども時代でした。




そして、私が中学を卒業するころには

父はトイレにも行けない状態となり

汚物を垂れ流しという最悪の状態へ。

大人の男性の異臭や汚物の処理って大変で

思春期の私には耐えがたい状況。

家の床はいつも掃除しやすいよう、

新聞紙が敷き詰められていたのを

今も鮮明に覚えてます。





そんな無茶苦茶な家庭をなんとか

立て直そうと衣食住全てに厳しい母。

子どもらしくいることが許されない環境

の中、見てもらえないわかってもらえない

満たされない寂しさの中育った私。




そんな中決定的な出来事が起こったのは

17歳のある朝でした・・



目が覚めると家族は全員出ていて

私は一人暮らしになっていたのです。



17歳で突然、家族に捨てられるって

相当な衝撃です。



その朝一人になったと悟った私は

ただ絶望感に泣きました。



これまでただ"普通の家庭"を望んで

愛されたかっただけなのに

「お酒を飲むのを止めて」

「〇〇ちゃんのようにお洋服を買って」

も、私の声は届くことはなくて



そしてついにその朝私は

"心底生きようが死のうがどうでもいい存在"

という烙印を押されたと思いました。



私は家族に捨てられたんだ・・



でも"幸せな私"になりたくて歯を食いしばって

生きることを選んだのです。




そこから、私は自分の生い立ちを隠し、

ただ「ここでは終わらない」と呪文のように

唱えながら、高校、専門学校を卒業し

晴れて社会人になりました。





これで私は"普通のOL"そして"普通の女の子"

になれたと思いました。

何事もなかったように、社会に溶けこみ

OLライフを楽しむ予定でしたが




ですが、幼少の頃から既に生き辛さを

抱えていた私は、社会に順応できなかった

のです。




自己肯定感の低い私は、日々上司の言葉に

一喜一憂し、同僚より何かが優れていないと

そこにいる価値を見出せなくて不安になり、

自分の成長のために・・とか

私に何ができるのか・・という視点ではなく


自分の存在価値=他人の評価


になっていったんです。




それは

できない自分を隠し評価される部分

だけ頑張るという、外堀だけ埋めて内側は

空っぽの社会人生活を送る日々。

そんな嘘だらけの張りぼての生活が長く

続くわけもなく、早々に苦しくなり

逃げ出すように退職することに。




そんな私が次に目指したのは

"幸せな家庭"でした。




主人と出会い結婚し、次こそはうまくやれる!

幸せになれる!そう思った私は

「幸せに見える家庭」をつくるべく

主人にはこうあってほしいと"普通"を

追い求めて主人に強要し続けました。




そんな「他人からどう見えるか」が

全てだった私に待っていたのは

主人の様々な体の不調と病気、多動な長男、

借金、再会した父の癌と死、そして

再会しても尚もうまくいかない母との関係

でした。




主人はある日会社帰りの駅のホームで

胸に激痛が走り、動けなくなるという

ことがありました。

不安になり、翌日病院を受診しましたが

原因不明。




その日を境に、吐き気、頭痛、

全身に走る痛み、倦怠感など

様々な症状がかわるがわる襲うようになり

それと共に、金銭感覚もおかしくなり

お金が湯水のように消えてなくなるように

なったのです。



何を言っても届かない。

必死に止めようにも止まらない。

お酒に溺れていた父を見ているようでした。




そして再会を果たした母とも

良い関係を築こうと努力していた私ですが

努力というより"執着"してたんです。

なんとか「私が間違えていた」と

私を置いて出たことを謝ってほしかった。

だけど、すでに再婚していた母の生活の

中心は夫。




やはり私だけを見て、寄り添って

そして謝ってくれることはなく

母から出た言葉は

「あの日私は間違えていなかった」

という私には衝撃的な言葉だったんです。




その後も母とはずっと絶縁と再会を繰り返し

ていたのですが、

それでも"愛されたい私の執着"は

消えることがありませんでした。





そんな中

本音を打ち明けずに生きてきた私には、

本当のことを相談できる相手は近くには

いませんでした。




"人生詰んだ"私には

「幸せになる資格がなかったんだ」

と、初めて自分の人生に降参したのです。




でも死んでやり直すにも長男がいたら

やはり死ねなかった。




もう一度今日より明日より明後日良い日を

作っていこうと決意しましたが、

その矢先に起こったのは「主人の休職」。





私はその時次男を妊娠し8ヶ月。

いつまで休職するのか先の見えない不安、

借金もありましたが働くにも働けず

成すすべなし。





這いあがろうとすれば突き落とされ、

幸せを掴めば不幸がやってくる。

泥水をなめるような気持ちの中、

私が希望の光を見つけたのが、

島田周平さんの手相サイトだったんです。





そこで私の手の中に見つけた手相が

「一発逆転の相」。




そね名の通り

"一旦窮地に陥るが一発逆転、人生が好転する"

という手相。

もうこれを信じるしかないと思いました。




今思えばこの辺りから人生の見方が

変わっていきました。




心理学系のブログや本を読み漁り、

手相を学び、心理学を学び

全ての被害者という人生の受け身だった私から

「人生は自分で変えられる」ということに

気付いていったのでした。






どう変わったのかは、明日書きますね!