ユーラシア横断から帰国した時から何となく次の行き先はトルコだと決めていた。それはイギリスの飯に苦しめられていた時に乗り継ぎのイスタンブールで食べた飯に感動したからかもしれないし、エフェソスやトロイの遺跡を見てみたかったからかもしれない。
働き始めて、早5ヶ月がたった9月某日。こんな日に限って降り注ぐ仕事をなんとか捌き、引き継ぎを終わらせて15時すぎに退勤し羽田空港へ。
慌ただしくチェックイン手続きと出国審査を終え、ゲートまで歩いている途中で約半年ぶりの出国への実感が湧いてくる。
イスタンブールとルーマニアのブカレストを結ぶ夜行列車にも乗ってみたかったしどうせならということで東京ーイスタンブールとブダペストー大阪の安航空券を予約したのがつい3週間前のこと。
通算何回目かもわからない中国東方航空に乗り、上海へ。
ゲートで輝く「上海浦東」の文字。半年ぶりの出国である。
横が初めて海外に行くらしい大学生グループ。誰しもそんな時はある。相当に揺れたが定刻に上海浦東国際空港に到着。
何もないサテライトターミナルで5時間待ちぼうけタイム。かなり辛い。
1:20発の中国東方航空に乗り継ぎ、イスタンブールへ。
離陸後に機内食が出てきた(深夜3時ぐらい)。かなり辛かった。
8:20、ほぼ定刻にイスタンブール国際空港に到着。結局疲れもあって機内食以外の時間はトイレにも行かず、ずっと寝ていた。トイレで身支度してほぼ走ってるのと同じ早歩きで入国審査を突破(大量に団体客が乗っていたのでゆっくりしていると入国審査で延々待たされる)。
空港から地下鉄11号線で市内へ。空港からかなり歩いたところに駅があり、市内へは乗り換え必須なので利用者は少なめ。路線自体は空港アクセス用に近年開通したこともあり、全線かなり深いところを120km/hでぶっ飛ばす高速仕様の地下鉄。
終点のGayrettepe(読み方わからん)で乗り継ぎ
2号線でベイオールへ。
さらにオスマン帝国期に建設された世界で二番目に古い地下鉄、トュネルでカラキョイへ。最も地下ケーブルカーを地下鉄と言うかは微妙なところだが。
降りて少し歩けば目の前にはガラタ橋。イスタンブールのヨーロッパ側を隔てる金角湾にかかる浮き橋。橋の上には大量の釣り人がいる。
歩いて渡り、アヤソフィアやトプカプ宮殿があるスルタンアフメト地区は渡る。レートの良さげな両替屋で100💲を両替しシルケジ駅へ。
イスタンブール・シルケジ駅はイスタンブールのヨーロッパ側にある元ターミナル駅。オリエント急行などもここから発着していた。現在は長距離列車は郊外のハルカリ駅から発着するためターミナル機能はない。がトルコ国鉄の国際列車窓口が残っている。5日後のイスタンブール発ブカレスト行きの寝台列車のチケットを購入。今時ネットで予約できない珍しいチケット、売り切れていたら全てが狂っていたので買えて一安心。
近くにある食堂で昼食。ロシアのスタローバヤ形式の作り置き料理を指差しで注文して最後に会計する形式のレストラン。これで確か240TL=800円ぐらいだったと思う。覚悟はしていたがトルコの物価、高い。
市電に乗ってブルーモスクへ。世界遺産になっているような観光地が本当に本当にあり得ないぐらい高い(トプカプ宮殿なんて15000円する。流石に意味が分からない)イスタンブールにあって貴重な、タダで入れる世界遺産。
オスマン帝国のアフメト1世によって建造されたモスク。アフメト一世自体はヨーロッパ諸都市へのカピチュレーション(通商特権)付与ぐらいしか業績ない(はず)。
内部。まぁブルーといえばブルーだかキリスト教とかのゴテゴテ装飾と比べるとインパクトは薄め。窓にはステンドグラスが嵌め込まれていてこれは綺麗。
ブルーモスクの前にはローマ皇帝、テオドシウスにより寄贈されたオベリスク。テオドシウスはAD395年に実質的に分裂していたローマ帝国を名実共に東西分裂させた皇帝。現在ブルーモスクの立っている場所は東ローマ帝国期は戦車競争のフィールドで、各皇帝に寄贈されたオベリスクは車線を仕切る役割を果たしていたらしい。この辺りは歴史の面白いところ。
イスタンブールはコンスタンティノープルと呼ばれた東ローマ帝国時代を合わせると395-1435年の東ローマ帝国期、さらに1923年のアンカラ遷都まで都であり続けた。まさに世界帝都と呼ぶにふさわしい都市だと思う。
入場すると25ユーロするアヤソフィア大聖堂を外から眺める。こちらは東ローマ帝国により建造された元教会。オスマン帝国期に周りにミナレット(尖塔)な建てられモスクとしての機能に転換された。民主化後は博物館だったが近年のムスリム化政策でまたモスクになったのだとか。宗教施設ならそんなわけわからん額の入場料を取らないで欲しい。
少し歩いてギュルハネ公園。トプカプ宮殿の庭園でオスマン末期に西洋に学ぶ方針を示したギュルハネ勅令が宣言された場所のはず。
トラムに乗って再びガラタ橋を渡り、カバタシュ埠頭へ。
イスタンブールといえばボスフォラス海峡を横断するフェリー。と言うことで乗ってアジア側のカドゥキョイ埠頭へ。
あらゆる行き先の船、クルーズ船が埠頭に停泊している。海峡を横断する地下鉄や橋はあるがまだまだ実用的な移動手段として健在のよう。
カドゥキョイ埠頭からすぐのところにある電停から市電に乗って市街を一周。これはノスタルジック・トランヴァイと言うレトロ車両が運行されている路線。だがこの路面電車、電動両開きドアを備えているので本当にノスタルジックなのかは結構怪しい。
環状線を一周してからバスで都市間列車の発着するイスタンブール・ソグリトチュシェメ駅へ向かう。
高速列車YHTでアンカラへ。イスタンブールは後日に観光する計画。元々アジア側のターミナルは先ほどのカドゥキョイに近いハイダルパシャ駅だったがこちらも廃止されソグリトチュシェメが今のターミナル。
窓側の座席が一等しか空いてなかったので一等に乗る。とは言っても料金差は1300円ほど。アンカラまでは4時間半の道のり。
高速線が部分的にしか整備されていないせいで途中まで相当ゆっくり走っていた。
高速線に入り、夕暮れのアナトリアをアンカラへ向け走る。
定刻より25分遅れの20:10、アンカラ駅に到着
その辺の店でドネルケバブを食べてホテルにチェックイン。