日本から船と陸路でヨーロッパまで行く。1950年代までは当たり前に行われていたことである。当時の経路は横浜から船でナホトカさらにシベリア鉄道でモスクワに出てそこからヨーロッパ各地へ散っていたとか。

 それを実行してみたいとみたいと思ったのは間違いなく沢木耕太郎の「深夜特急」や、五木寛之の「青年は荒野を目指す」(これはハバロフスクからモスクワまだ飛行機使ってるが)の影響だろう。飛行機に乗っていると一眠りすれば世界のほぼ全ての国に行けてしまい、なんとなく現実味のないまま旅行に突入してしまうのはこれまでの旅行で実感していた。そこで就職して、長期の旅行が難しくなる前に世界の大きさを実感しておこうと思い立ったわけである。

 さて決めた後はルート選択だ。親しい人がアメリカに留学していることや就職先の関係でESTAが使えなくなることは避けたい。そのためインドやイランを経由するルートは不可能である。中国→カザフスタン→アゼルバイジャン→トルコのシルクロードルートもないわけではないが通過するほとんどの国に行ったことがあるので新鮮味がないし、カザフのアクタウからアゼルのバクー行きの黒海フェリーの時間が読めない。となるともうロシア経由の由緒正しいルートしかないわけだ。ロシア!ロシアといえばシベリア鉄道である。1人の鉄道好きとして一度は乗り通してみたいと思っていた路線に乗れる絶好の機会だろう。

 先に断っておくが、私はロシアの現体制を支持しておらず、現在ロシアが行っている侵略戦争には全面的反対している。ロシア鉄道も兵器や兵員な輸送に使用されており、そのような企業に金銭を供給することは旅行者とはいえ侵略戦争に加担する行為であることは事実だ。また現在ロシアへの渡航がそもそも社会的に望ましくないものであることも明白である。

 しかし今を逃せばいつ乗れるのか。戦争が終結すれば戦時特需でかろうじて維持されているロシア経済は崩壊し、治安はもっと悪化していくだろう。日本も戦時中より戦後の方が経済状態が悪かった。大袈裟にいえばこの機会を逃せばもう二度と乗る機会はないかもしれない。そのようにリスクとリターンを考えた時にここは行くべきだと判断した。ロシア渡航の準備についてはまた別途でまとめる。

 2025年の2月某日東京駅からのスタートである。丸の内駅舎から始めたいと思ったが毎度お馴染み中央線の遅延により時間の余裕がなく、小走りで新幹線のホームへ。

のぞみ27号の博多行きで新山口まで向かう。外は見慣れた光景だが西日本まで行く時は飛行機や夜行バスを使うことが多かったのでこんな長時間新幹線に乗るのは久しぶりだった。

新山口で降りて在来線に乗り換え。余裕で新幹線の先頭などを撮っていったらここも乗り換えが6半しかなく小走りに。

この日は日本列島に大寒波が到来しており山口県でも雪が降っていた。


1時間ほど乗って17時前に下関駅着。日本の鉄道はここまで。

 ドラッグストアと百均で必要なものを買い込み、下関港へ。下関と韓国の釜山を結ぶフェリーに乗る。この航路は戦前から存在し、東京発下関行きの寝台特急「富士」釜山で接続する満鉄経由新京(長春)行きの「ひかり」、その先は東清鉄道、満州里からシベリア鉄道に接続し、日本から欧州行きの最速ルートを担った由緒正しい航路だ。

 現在は韓国人の乗客が8割を占めるローカルな雰囲気。窓口でチェックインして搭乗時間になると国籍関係なく乗客全員で出国審査窓口へ。当然かなり時間がかかった。

かなり年季の入った免税店。やけに丁寧に包装されたたばこや酒が売っていた。

船内の日本語はかなり怪しい。乗務員の方には通じる。

食堂で1200円のキムチチゲ定食。二等で居合わせた韓国人のおじさんにマズイマズイとネガキャンされたが全体的に辛さ控えめで普通に美味しかった。

関門海峡大橋を見ながら出港。釜山へ。