3月11日 | 人生いぬまみれ

人生いぬまみれ

2017年年末に長男犬が16歳でお星様になりました。2018年年末に新たな家族を迎えて3チワワとの楽しい犬まみれ生活をブログに。成長記録。ブログ再開します。

今日はちょこっとあの日の事
長いよ(笑)
今でも思い出すのは凄くつらい事だけど
忘れてしまう事はできないから


3月11日
明日で震災から1年
私の実家は宮城県仙台市内
両親共に宮城県出身
母は仙台市内
父は名取
幼い頃からおじいいちゃんおばあちゃんに会いに
年に何度も宮城に遊びに行き
学校を出た後
仙台市内のおばあちゃんの家に移り
人生の半分は宮城県で育ちました。
6年前に横浜に移り

父や祖母は今も宮城で生活しています。

昨年のお正月はお兄ちゃまの入学などがあり
毎年仙台に帰ってましたが、お正月は帰れないから
5月のゴールデンウィークには
お兄ちゃまと仙台に帰る予定でした。
離れて暮らす父と祖母とも週に何度か連絡してるので
お正月
「5月に帰省した時はお兄ちゃまのお祝いしようね」
なんて祖母や父と話していました。

2011年3月11日金曜日
私は職場で家にはお兄ちゃまとワンコ達
14時46分
職場は停電になり建物の2階にいた私は
制服のままなにが起きたかわからず
建物の外に皆で非難しました。
何より家族が心配で震源の情報などはわからず
帰宅の指示がでてすぐに家に向かいました。
道路の信号機は停電で止まっていて
今でも異様な光景は覚えています
歩いて帰宅途中も何度も連絡しても
回線がパンクしてる携帯は使えず
お兄ちゃまの名前連呼しながら
泣きながら帰宅したのも忘れられません

わりかし近い職場だったので
夕方には家につき
家の方は停電していませんでした。
お兄ちゃまやワンコの不安そうな顔をみた時
涙がでました
なににせよ無事が確認できて一安心
そのあと震源地をしり
被害情報を確認すると
父や祖母の安否が心配で恐怖で震えました。

慣れ親しんだ土地が津波に全てのみこまれている

祖母の住む仙台市内は山の方なので
被害も少なく安心しました。

父の住む場所も被害は少ないのですが
父の会社は宮城県の多賀城市
とても被害が大きいかったので
あの日のあの時間は職場にいる
その日かけ続けても繋がらず
安否が確認できたのは次の週の月曜日
奇跡的に携帯が繋がりました。
父の声が聞けるまで生きた心地がしない
とても怖い思いでした。
いまでも津波に飲まれる車の映像をみると
怖くて涙がでますね。
事務所をでて車で移動中に震災にあった父は
帰宅方向の仙台空港に行く予定を
渋滞していた為
逆方向にUターンした事が
今回幸いでした。
仙台空港方面にそのまま渋滞に巻き込まれていたら
父の声は聞けなかったでしょ。
父は少し丘高い場所で待機し津波から逃げる事ができました。
車のタイヤまで浸水し身動きできず、
車内で水が引くまでじっと耐えたそうです
ものすごい不安だったことでしょ
襲ってくる津波は真っ黒で震災後に降った雪と
景色は異様な光景に包まれたそうです。

水が引き翌朝は一面に綺麗いな海が広がっていたそうです。
父は「今まで人間が捨てていたモノを海が怒って戻しただろ」
と話していました。
津波の引いた海はとても綺麗な真っ青な海でした。

忘れちゃいけないね
忘れれらないね
1万人以上の尊い命
今だ避難生活を送られてる方
復興はまだこれから
3月11日を思い出すたび
命の大切さをあらためて考えます。



長くなりましたが、私の思ってる事は書き留めていたいのでね。


475系415系475系

さぁてティが夢中になってるモノはなんでしょ?



 



 


正面から写真を撮っても

 

カメラ目線じゃなく2匹ともカメラの向こうみてるでしょピカ 

 
 



 

今日は大分長い時間みてる目



正解は
 
 
テレビ(笑) なんだろうこの番組
トーマスの偽物みたいなのだったよ。
首かしげたりしばらく観てたよ その姿がかわいくてきゃは


今日も長い文最後までご観覧ありがとうございました。


明日も皆に少しでも笑顔が戻りますようにのポチ☆


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