🍀✨東西ハーフストーリー✨✨🍀
《芝居の道へまっしぐら大学ゼミナール編
パート4》
⭐️嬉し懐かし我らが『下駄の君の巻』⭐️
大学の授業が始まる前、階段状になっている大教室に着席してからも、教授が入室されるまでの時間は
女子学生はピーチクパーチク次から次へとお喋りに夢中になってかなり騒々しい❣️私とHちゃんとKちゃんも大抵は3人並んで授業を受けるが、何故か私が階段の通路の端に座ることが多く、次がHちゃんで
一番奥がKちゃんが座り、そのお隣は何席か空いていて、私たち3人トリオの猛烈なおしゃべりや、ヒソヒソ話に邪魔にならないように、常に一応配慮していたつもりである🍀🤗🍀
改まって席を決めていた訳ではないが
何となくこれが落ち着くように感じていたように思う。
よく3人でトリオ漫才をする方達が、普段でも何故か舞台での並び順通りに座るほうが、落ち着いてインタビューとかも受けやすいと聞いたことがある。
私達は3人でトリオ漫才をやっていた訳ではないが、当時大人気の「かしまし娘」
さんや、「チヤッキリ娘」さんのように
(若い人はご存知ないかもしれません🙇♀️)
話は極めて面白く、話し出したら止まらない、大迫力があったように思い込んでいるヘンテコリンな自負があっように思われる
💦💦💦😂🤣❣️❣️❣️
授業開始時間が迫り、教授がそろそろ入室するほんの少し前に、後方のドアが開き
「ガランガラッガラン」と、大きな下駄の音が響きわたる❣️❣️❣️
私達は『あっ下駄の君』と思って耳をすませていると、私たちが大体いつも並んで座っている大教室の中央の真ん中より少し後ろの席で、大きな音がするので何気なく振り返って『やっぱり下駄の君や』と胸をときめかすのである。
偶に、私たちが座っているより斜め前の通路側に座ろうものなら、授業はそっちのけで、『下駄の君』の一挙手一投足まで見逃すものかと観察に余念がない🍀💓🍀
ゼミナールが違うので、学年は同じでも
名前すらわからないこの男子⭐️⭐️⭐️
いつもストレートのブルージーンズ(当時はジーパン)を穿いて白い襟付きの長袖シャツを無造作に着て(第2ボタンまで外していて、胸毛が見えたとか見えないとかで騒然となったこともある🍀✨❣️)
目は奥二重でハッキリしているが、決してドングリまなこではなく、キリリとした
切れ長の、涼やかでありながら何か射るような視線で真っ直ぐに前を向き、真一文字に固く結ばれた口、漆黒の髪は短めに切っていてサラサラとしている。
ラグビー🏉日本代表の笑わない男「稲垣啓太選手」の如く笑ったところどころか
表情も変わらず、授業もいつも1人で現れるので、孤峰の1匹狼のようでもある。
まるで、今から果たし合いに臨む剣士のような尖った殺気すら感じるのだ。
そして、周りに人のいない空いた席に、素手で持ってきた教科書とノートをドサッと置くと、すぐさま自分もドカッと座り
あまりノートもとる様子もなく、時折腕組みまでして、一直線に教授をキッとした目で見続けている。
その頃の私の大学の男子学生は
当時大流行のショップ「VAN」がもたらしたアイビールック、3つボタンのブレザーに、ボタンダウンのシャツ、コットンパンツに、ローファーで、髪は短めで七三分けに近い男子もいた🍀⭐️❣️
もう一方の人気ショップ「JUN」に代表されるヨーロピアン🍀✨🍀
ヨーロッパ的なクラシカルエレガンスを取り入れたスタイルで、細身で長身なお洒落な男子が服装をバッチリ決めて、長めの髪や緩やかなウェーブの髪をしていたように思う🍀💕🍀
後は、ワンレンのハーフ分けの髪を肩まで
伸ばして、額にバンダナや皮のヘアバンドを鉢巻きのように巻いて、ヒッピー風の
ちょっと奇抜な、中近東を思わせるような
サイケデリック(これもヤングはわからないかも🙇♀️ネットで検索お願いします🍀)なシャツを着ている男子😅
中には人気絶頂だった吉田拓郎そっくりの
ジーンズにダンガリーシャツで、ヘアーもオカッパのような拓郎さんそっくりの
ボブカットをしている男子もいた🍀✨❣️
その中にあって、一切ぶれず変わらず貫き通した『下駄の君』のファッションは
異彩を放っていた💦💦💦
私たち女子3人トリオだけでなく
社会学部でマスコミを専攻していた女子も同じ科目を取っている事が多かったので
『下駄の君』が気になっていたらしく
本人は知らないままに、結構な人数の女子が関心を持ったり、憧れていたようで
何となく色んな情報が入ってきて
どうやら彼は、岡山県か広島県出身の下宿生で、その下宿が大学のすぐ近くにあるので、下宿と教室を日に何度も往復しているらしい🍀⭐️❣️
そのせいか、教室以外の学内食堂でも
大学の正門を出た所に沢山あるカフェ
(当時は喫茶店)でも出会った事がない。
そんなこんなで、授業で『下駄の君』の姿を見る事を楽しみしていた私たちの元に
ある日、天地がひっくり返る程のビックリ仰天⁉️どころか、憧れのハート💘マークが一瞬でズタズタになるような💔❤️🩹💔が悲報が届いたのだ💦💦💦
何と何とそれは『下駄の君』は春夏秋冬と一年中、ラクダ色の腹巻きをお腹に巻いていたというのである😨😰😱💦💦💦
「嘘やん⁉️ウソや‼️絶対間違いや‼️」
と、私は何度も間違いだと否定したが
一緒に着替えた男子からの回り回った確かな情報らしく、大学に入学する時に「お腹
が冷えるのは良くない💦」からと✨故郷のお母さんが何枚か渡してくれた腹巻きを、肌身離さず巻いていたのは間違いないとの事😱😱😱
「エッー⁉️」
『下駄の君』が一瞬で『腹巻きの君』へと
変わってしまった私の心の中は千々に乱れ
「あんなにスリムなジーパンの👖中に腹巻きが入る筈がないやん💧💧💧」
「『下駄の君』は親孝行やから、お母さんの言われる通りにしてただけやんなあ」
「マザコンとは違うやんなあ」と自問自答
しては家の自分の部屋に篭って
「何で、こうなるのん⁉️」
「腹巻きは知らん方が良かったのに😭」
と嘆いては落ち込んで2〜3日は風邪をひいたフリをして大学も休んでしまった。
でも、日にち薬とも言うのであろうか
冷静に考えてみたら、『下駄の君(腹巻きの君)』に対する感情はゆめゆめ恋愛感情でもなく、恋愛感情に発展する物でもなく
当のご本人は何ひとつ、知らない事なので
これで泣いたり、笑ったり、ましてや嘆いたりしている私は1人相撲にも満たない
アホやったと漸く切り変える方ができて
ちょうどすぐに4回生になる所で、卒論の準備や、何とか両親に頼み込んで劇団の研究所の試験を受ける事が出来るようになったので、何処の劇団を受けるかどうかなども決めなくてはならず、バタバタしている内に卒業式になっていた🍀🤗🍀
卒業式は今は女学生は殆ど、袴姿が多いが
私たちの頃は振袖を着るのが定番の時代だった🍀🤗🍀
卒業式の後、母の車で自宅に帰り急いで着物を脱いで、洋服に着替えて謝恩会に出席した🍀⭐️❣️
一次会が終わって二次会の場所に何人かで通りを移動していた時、何という偶然か
同じく何処かに移動して行く『下駄の君』
のグループと、鉢合わせしたのだ⁉️⁉️⁉️
『下駄の君(腹巻きの君)』はさすがに
真新しいスーツを着ていたが、ニコリともしないその風貌は変わらず、通りすがりに私が軽く会釈をすると、目線だけで「ちょっと」みたいに呼び止められたので
立ち止まると、私の目の前に小さい白い紙を差し出したので、反射的に受け取ると
数字が書いてあり「広島に来ることがあれば電話して❗️」と言うなり自分のグループに追いつく為か、そさくさと走り去って
しまったのだ‼️‼️‼️
あまりに一瞬の出来事に、今何があったのさえ良く分からず、メモを見ると電話番号とFUという名前が書かれていた⁉️
『下駄の君』の本名がわかり、一瞬声も聞いたが、私も焦っていてバッグにメモを入れると自分と一緒に歩いていた友人の方に
走り寄りながら、振り返ってみた時には
もう『下駄の君』の姿は見えなくなっていた🍀🤗🍀💦💦💦
あれからもの凄く、長い年月が過ぎた🍀
『下駄の君』は卒業後すぐに故郷の広島に帰ってしまったので、地元の会社に就職したのか、お父上の後継になったのか、
想像も及ばないが、きっと美人の奥さんと結婚して子供も出来て、今や何人かのお孫さん達にも囲まれて、幸せな日々を過ごしているに違いないと思う。
ニコリともしなかった学生時代と違って
家族には素敵な笑顔を一杯見せていると思う🍀🤗🍀
これは根拠はないが、所謂「女の勘」で
ほぼ間違いなく当たる🍀💕🍀
私の事はもう記憶に有るのか無いのかさえ
分からないが、私はあのジーンズに長袖シャツで下駄を鳴らして教室に来た彼も
思いがけなく電話番号を渡してくれた時の事もまだ覚えている🍀🍀🍀
まだまだ純情可憐な女子学生だった私は
それから、波瀾万丈の人生を生き抜き
今は、大阪のおばちゃんと言うより、オッサン化が始まっているようにも思う今日この頃である🍀😂🤣❣️❣️❣️
未だに広島には一度も行ったことがない。
一度は必ず元気な内に行っておきたい、
いや平和を真摯に願う者なら、行かなくてはならない街だと思っている🍀🍀🍀
「貰った電話番号に電話はしてみたの❓」
と聞きたい方はおられるとは思うのだが
それは皆様の想像にお任せ🍀🍀🍀
「言わぬが花」💖💗💝
何十年経っても「嬉し恥ずかし憧れの
『下駄の君』」のままが一番良いと思っている事は確かな事実なのである。
紫 まいこ