私が芸能界にいた時の過酷な仕事とは?
おはようございます。
ナチュラルボイストレーナーの池 真柚子です。
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今日は、私が芸能界にいた時の仕事を通して
引き続き、プロとは何か?について考えてみたいと思います。
芸能界時代の私のお仕事
私が芸能界にデビューした、1970年代は、
音楽史の中でも一つの時代を作った、活気のある時代でした。
私はテレビで歌っている歌手をみて、憧れていた訳ですから
当然、デビューしたらテレビに出て歌うんだ、と思っていました。
契約した事務所の方針で、歌だけではなく、
幅広くタレント活動をして行く事になりましたので、
モデル、テレビ番組アシスタントなどの仕事を、
テレビ局や撮影スタジオ、イベント会場等で
デビュー前から、ちょくちょくやっていました。
そして、いよいよキャニオンレコードから
レコードデビューする事が決まりました。
(当時はまだCDじゃなかったんですね^^)
前回も書きましたが、何しろ、阿久悠、都倉俊一という、
ゴールデンコンビの曲で、強力盤としての華々しいデビューでした。
ニッポン放送から15分おきに私の曲のスポットも流れ始めました。
そんな時に事件が勃発しました。
札幌で行われる、私の為の第1弾デビューキャンペーンの前日、
なんと、40度の高熱を出してしまったのです。
慌てて、病院に行くと、肺炎になりかけているとの事。
このまま行ったら、命の保障はしない・・と言われました。
さあ、どうする!
親は心配して、「行くな」と言います。
でも、私は契約時に、本気とも、冗談とも取れる言葉で、
マネージャーにこう言われていたのです。
『歌手は風邪引かないんだよ。それと、
この業界は親の死に目には会えないと思ってね』と
悩んだ末に、遂に行く事を決断しました。
その上、この時が初めての飛行機だったんです!!
確か、2泊位だったと思いますが、
着いたら、すぐ、ラジオの収録か何かで
車の展示会場で歌いました。
結構いらしてくれていた、観客の方の顔が
グルグル回ってたのを、覚えています 笑
マネージャー以外は私の病気を知らない訳ですから、
そんな中でも、いつも、笑い、挨拶をし、
キャンペーン会場や、レコード店を何件も回りました。
すべてが終わって、救急病院に寄り、事情を話して、
点滴をしてもらってから、宿に帰りました。
まさに、これからの激務を暗示するかの幕開けでした。
それからも、私のスケジュールは、真っ黒。
ほとんどが、地方キャンペーン。
飛行機や、新幹線で1番の便で移動し、現地に着いたら、
現地のレコード会社のスタッフの方と共に、
テレビ局、ラジオ局、新聞社、レコード店周り、
その他、人が集まるイベント会場ならどこでも、
時間の許す限り回る、という生活が始まりました。
サイン即売会も沢山用意されていて、
レコードが山積みされているところで、歌い、
その後、レコードを買ってくれるように、MCの中で促し、
その場でサイン付きで買ってもらうのです。
今で言う、「手売り」ですよね。
メジャーのレコー会社からデビューし、
強力盤としてプッシュされた歌手の毎日は、
マネージャーと二人3脚、日本中を周り、
レコードを売り歩く事だったのです。
それでも、私は、まだそこに、
レコード会社の方の現地での後押しがありました。
私と同じ時期のデビューで、
今では有名になられている、ある男性歌手の方は、
その頃、よくラジオ局等でも一緒になる事は多かったんですが、
どこのホテルに泊まってるの?と聞くと、
地方キャンペーン中は、マネージャーの車の中で
二人とも寝ているとおっしゃっていました。
今は、レコード店で歌うと「インストアライブ」等とかっこ良く言いますが、
レコード店のある商店街で、ミカン箱の上に案内された時は、
さすがにどうしようかと思いました。
化粧も、移動の車の中でやりましたので、
今でも、つけまつげは、揺れる車中でも付けられます 笑
こんな感じで、日本全国を回りました。
名古屋ぐらいまでは、日帰りも多かったです。
始発で行って、最終で帰り、また次の日は始発で・・
の繰り返しです。
休みは、月2日のみ。ほとんど、爆睡。
お給料は、ウエイトレスのバイト並み。
では、どうして、こんなに必死に頑張ったんでしょうか・・
それは、ある程度の枚数を売らないと、
次の曲が発売してもらえないからです。
当然ですよね!
メジャーでデビューをするという事は、デビューにかかる一切の費用を
レコード会社、レコード出版会社、プロダクションなどで
肩代わりしてもらっているという事ですよね。
その責任を果たせなくて、次はないですよね。
大手のプロダクションだったら、その仕組みさえ、
タレントには教えてもらえませんから、
弱小プロダクション所属の私は、ある意味、
ラッキーだったといえるかもしれません!!
毎日のキャンペーンは辛かったです。
でも、当時から、全てではないですが、
自分の責任は、分かって行動していましたね。
キャンペーン先のホテルのラウンジで、歌う事で、
私とマネージャーの宿泊費がただになってる・・とか、
このテレビ局が、頻繁に宣伝してくれるのは、
私の曲の原盤権を持っているからだ・・とか^^etc
だから、夢に見た、歌番組の出演がなくても、
この時期を乗り越えられたんだと思います。
という訳で、長くなりましたが、
私の芸能活動の場合を振り返ると、
テレビで歌っている歌手をみて、
テレビに出ることを想像していたのですが、
現実は大半が宣伝活動だったわけです。
やってみたら、大違いだった訳です!
あなたは、自分の宣伝活動をやっていますか?
レコード会社やプロダクションなどに
売ってもらうんじゃないんです。
レコード会社やプロダクションなどに
宣伝してもらうんじゃないんです。
それでは、ただの依存です。
そんな依存先を見つけようとしている、
プロ意識のないアーティストがごまんといます。
今は、自分でCDを作る事が出来ますよね。
自分で、お金を出して作り、もし、売れなかったら、
しょうがないというマインドですよね。
自分が作りたかったから作る。
そういう人を、応援したいと思いますか?
私もアーティストを何人か、プロデュースしてきましたが、
売れるCD作りたい人は少ないですね。
自分でCDを作っただけでは、
本当のインディーズのアーティストではありません。
依存心を捨て、いろんな人を巻き込んで、
ビジネスマインドで歌って行ける人。
私は、そんなアーティストと出会いたいし、
プロデュースをしたいと思っています。
自分が本気なら、どんな目上の人も本気にさせる事が出来ますよ。
プロ意識の育て方
あなたが、好きな事を仕事にしたいなら、
プロ意識を持ち、プロとしてのマインドを育てましょう!
相手に何をあげられるか?
まず、giveの精神からスタートしてみて下さい。
そうすれば、自分に足りないものも見えて来るし、
次の行動も明確になってきます。
プロは、相手とフィフティ・フィフティ、
win-winの関係に立てる人の事です。
ちなみに、力つきて、2年で芸能界を
去る事になってしまいましたが、
その間、3枚のレコードを出し、
次のレコードの企画ももちろんありました。
この頃のエピソードは沢山ありますので、
また、機会がありましたら
書かせていただきますね。
感想等のコメントを楽しみにしています。
↓
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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芸能界時代の私のお仕事
私が芸能界にデビューした、1970年代は、
音楽史の中でも一つの時代を作った、活気のある時代でした。
私はテレビで歌っている歌手をみて、憧れていた訳ですから
当然、デビューしたらテレビに出て歌うんだ、と思っていました。
契約した事務所の方針で、歌だけではなく、
幅広くタレント活動をして行く事になりましたので、
モデル、テレビ番組アシスタントなどの仕事を、
テレビ局や撮影スタジオ、イベント会場等で
デビュー前から、ちょくちょくやっていました。
そして、いよいよキャニオンレコードから
レコードデビューする事が決まりました。
(当時はまだCDじゃなかったんですね^^)
前回も書きましたが、何しろ、阿久悠、都倉俊一という、
ゴールデンコンビの曲で、強力盤としての華々しいデビューでした。
ニッポン放送から15分おきに私の曲のスポットも流れ始めました。
そんな時に事件が勃発しました。
札幌で行われる、私の為の第1弾デビューキャンペーンの前日、
なんと、40度の高熱を出してしまったのです。
慌てて、病院に行くと、肺炎になりかけているとの事。
このまま行ったら、命の保障はしない・・と言われました。
さあ、どうする!
親は心配して、「行くな」と言います。
でも、私は契約時に、本気とも、冗談とも取れる言葉で、
マネージャーにこう言われていたのです。
『歌手は風邪引かないんだよ。それと、
この業界は親の死に目には会えないと思ってね』と
悩んだ末に、遂に行く事を決断しました。
その上、この時が初めての飛行機だったんです!!
確か、2泊位だったと思いますが、
着いたら、すぐ、ラジオの収録か何かで
車の展示会場で歌いました。
結構いらしてくれていた、観客の方の顔が
グルグル回ってたのを、覚えています 笑
マネージャー以外は私の病気を知らない訳ですから、
そんな中でも、いつも、笑い、挨拶をし、
キャンペーン会場や、レコード店を何件も回りました。
すべてが終わって、救急病院に寄り、事情を話して、
点滴をしてもらってから、宿に帰りました。
まさに、これからの激務を暗示するかの幕開けでした。
それからも、私のスケジュールは、真っ黒。
ほとんどが、地方キャンペーン。
飛行機や、新幹線で1番の便で移動し、現地に着いたら、
現地のレコード会社のスタッフの方と共に、
テレビ局、ラジオ局、新聞社、レコード店周り、
その他、人が集まるイベント会場ならどこでも、
時間の許す限り回る、という生活が始まりました。
サイン即売会も沢山用意されていて、
レコードが山積みされているところで、歌い、
その後、レコードを買ってくれるように、MCの中で促し、
その場でサイン付きで買ってもらうのです。
今で言う、「手売り」ですよね。
メジャーのレコー会社からデビューし、
強力盤としてプッシュされた歌手の毎日は、
マネージャーと二人3脚、日本中を周り、
レコードを売り歩く事だったのです。
それでも、私は、まだそこに、
レコード会社の方の現地での後押しがありました。
私と同じ時期のデビューで、
今では有名になられている、ある男性歌手の方は、
その頃、よくラジオ局等でも一緒になる事は多かったんですが、
どこのホテルに泊まってるの?と聞くと、
地方キャンペーン中は、マネージャーの車の中で
二人とも寝ているとおっしゃっていました。
今は、レコード店で歌うと「インストアライブ」等とかっこ良く言いますが、
レコード店のある商店街で、ミカン箱の上に案内された時は、
さすがにどうしようかと思いました。
化粧も、移動の車の中でやりましたので、
今でも、つけまつげは、揺れる車中でも付けられます 笑
こんな感じで、日本全国を回りました。
名古屋ぐらいまでは、日帰りも多かったです。
始発で行って、最終で帰り、また次の日は始発で・・
の繰り返しです。
休みは、月2日のみ。ほとんど、爆睡。
お給料は、ウエイトレスのバイト並み。
では、どうして、こんなに必死に頑張ったんでしょうか・・
それは、ある程度の枚数を売らないと、
次の曲が発売してもらえないからです。
当然ですよね!
メジャーでデビューをするという事は、デビューにかかる一切の費用を
レコード会社、レコード出版会社、プロダクションなどで
肩代わりしてもらっているという事ですよね。
その責任を果たせなくて、次はないですよね。
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でも、当時から、全てではないですが、
自分の責任は、分かって行動していましたね。
キャンペーン先のホテルのラウンジで、歌う事で、
私とマネージャーの宿泊費がただになってる・・とか、
このテレビ局が、頻繁に宣伝してくれるのは、
私の曲の原盤権を持っているからだ・・とか^^etc
だから、夢に見た、歌番組の出演がなくても、
この時期を乗り越えられたんだと思います。
という訳で、長くなりましたが、
私の芸能活動の場合を振り返ると、
テレビで歌っている歌手をみて、
テレビに出ることを想像していたのですが、
現実は大半が宣伝活動だったわけです。
やってみたら、大違いだった訳です!
あなたは、自分の宣伝活動をやっていますか?
レコード会社やプロダクションなどに
売ってもらうんじゃないんです。
レコード会社やプロダクションなどに
宣伝してもらうんじゃないんです。
それでは、ただの依存です。
そんな依存先を見つけようとしている、
プロ意識のないアーティストがごまんといます。
今は、自分でCDを作る事が出来ますよね。
自分で、お金を出して作り、もし、売れなかったら、
しょうがないというマインドですよね。
自分が作りたかったから作る。
そういう人を、応援したいと思いますか?
私もアーティストを何人か、プロデュースしてきましたが、
売れるCD作りたい人は少ないですね。
自分でCDを作っただけでは、
本当のインディーズのアーティストではありません。
依存心を捨て、いろんな人を巻き込んで、
ビジネスマインドで歌って行ける人。
私は、そんなアーティストと出会いたいし、
プロデュースをしたいと思っています。
自分が本気なら、どんな目上の人も本気にさせる事が出来ますよ。
プロ意識の育て方
あなたが、好きな事を仕事にしたいなら、
プロ意識を持ち、プロとしてのマインドを育てましょう!
相手に何をあげられるか?
まず、giveの精神からスタートしてみて下さい。
そうすれば、自分に足りないものも見えて来るし、
次の行動も明確になってきます。
プロは、相手とフィフティ・フィフティ、
win-winの関係に立てる人の事です。
ちなみに、力つきて、2年で芸能界を
去る事になってしまいましたが、
その間、3枚のレコードを出し、
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