四月十七日のけふは
わたしが小学生時代から大好きなバンドの現リーダー
高見沢さんのお誕生日です
 


このかたも
な! ん! と! 古希!!! コッキー!
七十歳をお迎えになりました
おめでたーいぃぃぃ
 




 
ギター展にて




坂崎さんと二日違いのお誕生日
桜井さんは少し遅れて一月のお誕生日
いずれにせよ高校時代からずっと一緒ってすごいですよね
 


高見沢さんは運動神経も良く成績も優秀
サンマリノ共和国からナイトの称号まで受け、還暦を過ぎてから小説執筆もこなしていらっしゃる



なのですれけど…ちょっと?だいぶ?オモシロイひとなんですよね
小学校時代の通信簿には「頭のネジが一本抜けている」と記載されたほどで、実際いろんな伝説をお持ちです
 


その片鱗は高見沢さんのオリジナル変形ギターたちを見れば納得頂けるかと
機関銃だったり、F1の車だったり、ゴジラだったり、エンジェルだったり、わんこそばも金シャチもドラえもんもドナルドダックもある
 


でもそれはただ「奇想天外」なだけではなくて
高見沢さんが子どもの頃から影響されてきたミュージシャン、そして彼らが持つギターが自分を解放するものの象徴だと感じたからなんですよね
「もっと自由でいい」って
バスケットボールで挫折を味わった高見沢さんを救ったのが音楽だったから
 


八歳年上のお兄様は超優秀なのに、挫折して屈折した自分
思春期の頃に抱えがちな想いかもしれませんけれどその心中はいかばかりだったかと
でもそれが「いま」に繋がっているのもまた確かだと思うのです
地元の高校に行かずわざわざ遠い明学を選んだのはバスケ仲間に会いたくなかったからだとか
そこで桜井さんと出会わなかったら高見沢さんは教師になっていて坂崎さんとも出会わなかった
 


だからこんな言い方はひどいかもしれないけれど、その挫折がすべての源だと思うのです
人生って大変なこともあるけれど、こういうこともあるから面白いのかもしれません
 


わたしの記憶が正しければ坂崎さんは「宝物は何ですか」という質問に対し「桜井と高見沢」と回答なさっていました

 


前略 高見沢様
 


これまでに何度も何度も何度も高見沢さんに手紙を書きました
友達じゃないしそれしか気持ちを伝える方法がなかったから
 


初めて返信があったときは飛び上がるほど嬉しかった
 


いろんなことがあり今はもうあまり手紙も書かなくなってしまいました
でも相変わらず高見沢さんがつくった歌が大好きで沢山の喜びや感動を頂いていますよ
読んでもらえないと思うけど久しぶりにここに手紙を綴ってみます
 


幾度となくお伝えしているかもしれませんが、わたしがALFEEへと至った入口は高見沢さんなのです
あるときTVで見て一瞬で大好きになりました
あのころはまさか高見沢さんが七十歳になるなんて想像すらできませんでした
高見沢さんが五十歳になったときも還暦を迎えたときもそうです
 


わたしも同じ分だけ年齢を重ねてきたわけですけれど笑
あっという間の時間でした
でも今日さえも「通過点」なのですよね、きっと
 


個性的な外見でいらっしゃるし
いろんなことを言われてきたかもしれないし
「ひとりだったら続けてこられなかった」とおっしゃるほど心に葛藤を抱えていらしたかもしれない
それでもご自身の美学を貫くさまはさすがだと思います
 


今日の富山のライブ、わたしも行きたかったけれど東京からお祝いさせてください
たとえ現地に行けなくてもお祝いできることそのものが何よりも有り難く、何よりもいまは嬉しいのです
 


「もしALFEEがみんなにとって青春ならば
みんなの青春は絶対に終わらせない
命にかえても終わらせない」



あの夏の野外でこの言葉を聞いたとき
その生涯をかけて「ALFEEの高見沢」を生き抜く覚悟なのだと知りました



「Next one」
いつもそう言って前を見続ける高見沢さんが大好きです



高見沢さん
お誕生日、心からおめでとうございます
生まれてきてくださってありがとうございます
いつか終わるのはわかってる
でも、それまでは…
ずっとわたしの憧れのひとであり続けてください



 

 



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