塾の日だった



オンラインでは参加できていたけれど
ライヴでは
わたしの入院やコロナの影響があり6ヶ月ぶり



やっと
やっと…
先生に直後ご報告と御礼を申し上げることができる
そう思って会場へ向かった



登壇前の先生のもとへ駆け寄り名乗る



言わなくともわかっていますよ
そう言わんばかりに
わたしを静止するジェスチャーをなさる



そして相変わらず
慈愛に満ちた眼差しでわたしを見つめ



「そう…順調に治療が進んで良かったですね
副反応はつらいかもしれないけれど
ココが乗り越えどころだね
でもね
メールでもお伝えしたけれど今は完治しますからね」



そうおっしゃった



情けないけれど
このときわたしは既に涙を抑えきれなかった



わたしは意外と泣き虫だ
病気を告白したときもそうだった
だから
今回もそうなるかもしれないからと
手紙をしたため
それをお渡しすることにしていた



「手紙を?!是非読ませてください!ありがとう」



先生はマスク越しでもわかるほどの
とびきりの笑顔でそう言ってくださった



目の前の先生は
いつものように美しく佇んでいらっしゃる



でも
わたしの記憶の中の先生よりもずっと小柄になっていらして
放つ雰囲気も含め
「あれ?」
と妙な違和感を覚えた



講義が始まり理由が明らかになった



先生は入院し手術なさっていたのだ
しかも3回も



過去にも同じようなことが何度かあったけれど
先生の心情の吐露を
誰もが聞き逃さなかったはずだ



「タクシーの窓から桜を眺めつつこちらへ来ました


そういえば
あるニュース番組でアナウンサーがこんなことを言っているのを想い出しました


桜は毎年変わらずに花を咲かせるけれど
見る度に
あるときはキレイだと思ったり
またあるときは
もの悲しいと思ったりするのだと


果して
わたしはあと何回桜を見られるだろう?


かつての尖ったわたしではなく
最 晩 年 の い ま
みな様とお会いできて良かった


わたしは
明日も生きるつもりはない
いま死んでも構わない
死ぬときは死ぬのだから


全力でいま目の前のみな様にお尽くしする


『今ここ』
それがすべてです」



100%の声量ではなかったはずだけれど
やつれた白いお顔が次第に赤みを帯び
時間を追う毎に
どんどん先生のペースへと引き込まれてゆく



寿命は誰にもわからない



しかし
およそ普通では考えられないほどのひとを見てこられ
およそ普通では考えられないほどの知見と訓練を重ね
およそ普通では考えられないような人生を歩んでこられた先生が
そう自己分析なさる



最晩年だなんておっしゃらないでください
わたしは感情ではそれを認めたくない
でも
小さくなった先生の姿に
どこかで覚悟を求める本能が働いた



そして
自分が恥ずかしくてたまらなかった
わたしは何をしてきたのだろうかと



先生のように烈しくは生きられないかもしれない
だけどせめて
わたしは
わたしなりの命の尽くし方をしたいと思った



だから今日も
ココに綴る