こんにちは
今日は良い天気ですね♪
花粉症患者にはキツイけど、洗濯物がよく乾くので、嬉しい
さて、今日は書こうかどうしようかずっと悩んできた事について書こうと思います。
もしかしたら、読んで下さる方に不安を与えてしまうかもしれない内容なので、「そういうのはちょっと…
」と思われる方はここで閉じて下さいませ
限定記事にしても良かったんだけどね
これまでも限定記事は書かないようにしてたから、何となく…
それでは、続きを読んで下さる方はどうぞ先へお進み下さい













私が乳がんに早い時点で気付けた(初期ではありませんでしたが…)のも、乳がんは治ると信じて辛い治療を最後までやり遂げられたのも、乳がんの大先輩である母の存在があったからでした。
母が乳がんと宣告されたのは20年程前のこと。
私が小学3、4年生の時でした。
そして、入院して手術、抗がん剤(脱毛は無かったけど…何ていう薬かは不明)、退院後も5年?間はホルモン剤治療を続けていました。
治療が終わってからは、何事もなく元気に過ごしてました。
もちろん加齢による不調とかはありましたが
そんな母の姿を見ていたので、自分自身が乳がんと宣告されて、転移もないことが分かった時、「治る!!」とホッとしたのを覚えています
乳がん経験者でも、それを克服して20年普通に生きている母はまさに私の希望の星でした
でも、昨年の秋、母が2度目の乳がん宣告を受けました…。
しかも、今度は私と同じくトリプルネガティブ
更に、肝臓と両肺にも転移多数…。
手術不適応でした。
脳は大丈夫だったけど、骨は造影剤のアレルギーがある為、ハッキリ分からず…。
ほんとはもっと前に自覚症状はあったみたいなんだけど、その頃、私の乳がん宣告や手術、抗がん剤治療…とバタバタしてたから、自分の事は後回しにしちゃったみたい
そうとは知らず、術後や抗がん剤治療中は母に甘えっ放しだった私。
ほんとバカだ…。
夏頃も咳が止まらないって、ずっと咳止め薬飲み続けてるの知ってたのに、私は自分の事で精一杯でそれを気にする余裕も無かった
あの咳は肺転移からきてたんだね…。
私が乳がん宣告されてから、母は「大切に育ててきた娘なんです!mayuの悪いモノ、全部私に下さい!!」って神様にお祈りしてるんだ〜、って笑いながら言ってた。
神様…そんなお願い聞かなくてもいいのに
私の治療が一段落する目処が立ってから、母はやっと受診したんだって。
私の事なんて気にせず、もっと早く病院に行ってれば、もう少し何とかなる状況だったのかな??
今となっては、後悔する事ばっかりです
母からカミングアウトされた時はショック過ぎて、涙も出なかった。
ショック過ぎたら笑ってしまうらしく、母の話を聞きながら、私はヘラヘラしてた気がする
「大丈夫!トリネガは抗がん剤効きやすいらしいから!」って自分に言い聞かせるみたいに繰り返してた。
涙が出たのは家に帰ってからのこと。
希望の星だった母が近い将来居なくなってしまう…
私にとっては衝撃的過ぎた。
なかなか気持ちの切り替えが出来ないまま、私の治療は終わった。
副作用が抜け始めて、身体も元に戻り始めて、やっと徐々に気持ちの切り替えが出来てきた
出来る事はまだある!
今度は私が母を支えないと!
そう思えるようになって、最近は一緒に陶板浴に行ったり、黒にんにく(作っているのは母…笑)食べたり、情報交換したりしています
乳がんの大先輩だったけど、今ではすっかりがん友(あんまり好きな言葉じゃないけど、敢えて言っちゃう
)みたい!
私は再発しない為に、母は病気が進行しない為に、一緒に頑張ります
私が支える!とか偉そうに言っちゃったけど、実際はまだまだ元気いっぱいの母に、相変わらず私の方が支えられることばかり
ちょっとはしっかりしないとなー
前向きな気持ちでいられることが多くなってきたので、今日はここでご報告させて頂きました!
長々とお付き合い下さり、ありがとう
書くことによって、もっと頑張れそうな気持ちになりました
また何かあった時は聞いてやって下さい。
よろしくお願いします
さて!
今日は母の誕生日
プレゼント持って、ちょっと顔見に行ってきます

今日は良い天気ですね♪
花粉症患者にはキツイけど、洗濯物がよく乾くので、嬉しい
さて、今日は書こうかどうしようかずっと悩んできた事について書こうと思います。
もしかしたら、読んで下さる方に不安を与えてしまうかもしれない内容なので、「そういうのはちょっと…
限定記事にしても良かったんだけどね
これまでも限定記事は書かないようにしてたから、何となく…
それでは、続きを読んで下さる方はどうぞ先へお進み下さい
私が乳がんに早い時点で気付けた(初期ではありませんでしたが…)のも、乳がんは治ると信じて辛い治療を最後までやり遂げられたのも、乳がんの大先輩である母の存在があったからでした。
母が乳がんと宣告されたのは20年程前のこと。
私が小学3、4年生の時でした。
そして、入院して手術、抗がん剤(脱毛は無かったけど…何ていう薬かは不明)、退院後も5年?間はホルモン剤治療を続けていました。
治療が終わってからは、何事もなく元気に過ごしてました。
もちろん加齢による不調とかはありましたが
そんな母の姿を見ていたので、自分自身が乳がんと宣告されて、転移もないことが分かった時、「治る!!」とホッとしたのを覚えています
乳がん経験者でも、それを克服して20年普通に生きている母はまさに私の希望の星でした
でも、昨年の秋、母が2度目の乳がん宣告を受けました…。
しかも、今度は私と同じくトリプルネガティブ
更に、肝臓と両肺にも転移多数…。
手術不適応でした。
脳は大丈夫だったけど、骨は造影剤のアレルギーがある為、ハッキリ分からず…。
ほんとはもっと前に自覚症状はあったみたいなんだけど、その頃、私の乳がん宣告や手術、抗がん剤治療…とバタバタしてたから、自分の事は後回しにしちゃったみたい
そうとは知らず、術後や抗がん剤治療中は母に甘えっ放しだった私。
ほんとバカだ…。
夏頃も咳が止まらないって、ずっと咳止め薬飲み続けてるの知ってたのに、私は自分の事で精一杯でそれを気にする余裕も無かった
あの咳は肺転移からきてたんだね…。
私が乳がん宣告されてから、母は「大切に育ててきた娘なんです!mayuの悪いモノ、全部私に下さい!!」って神様にお祈りしてるんだ〜、って笑いながら言ってた。
神様…そんなお願い聞かなくてもいいのに
私の治療が一段落する目処が立ってから、母はやっと受診したんだって。
私の事なんて気にせず、もっと早く病院に行ってれば、もう少し何とかなる状況だったのかな??
今となっては、後悔する事ばっかりです
母からカミングアウトされた時はショック過ぎて、涙も出なかった。
ショック過ぎたら笑ってしまうらしく、母の話を聞きながら、私はヘラヘラしてた気がする
「大丈夫!トリネガは抗がん剤効きやすいらしいから!」って自分に言い聞かせるみたいに繰り返してた。
涙が出たのは家に帰ってからのこと。
希望の星だった母が近い将来居なくなってしまう…
私にとっては衝撃的過ぎた。
なかなか気持ちの切り替えが出来ないまま、私の治療は終わった。
副作用が抜け始めて、身体も元に戻り始めて、やっと徐々に気持ちの切り替えが出来てきた
出来る事はまだある!
今度は私が母を支えないと!
そう思えるようになって、最近は一緒に陶板浴に行ったり、黒にんにく(作っているのは母…笑)食べたり、情報交換したりしています
乳がんの大先輩だったけど、今ではすっかりがん友(あんまり好きな言葉じゃないけど、敢えて言っちゃう
私は再発しない為に、母は病気が進行しない為に、一緒に頑張ります
私が支える!とか偉そうに言っちゃったけど、実際はまだまだ元気いっぱいの母に、相変わらず私の方が支えられることばかり
ちょっとはしっかりしないとなー
前向きな気持ちでいられることが多くなってきたので、今日はここでご報告させて頂きました!
長々とお付き合い下さり、ありがとう
書くことによって、もっと頑張れそうな気持ちになりました
また何かあった時は聞いてやって下さい。
よろしくお願いします
さて!
今日は母の誕生日
プレゼント持って、ちょっと顔見に行ってきます
