いろいろあって、家族やら肉親やら愛やら夫婦やら親子やら兄弟やらを考える。
密接な、自分とは切っても切れない人間にほど、強烈な想いがゆえに殺意を抱く、ということは至極自然だ。
動物の本能として愛している自分すら殺したいことがある。
自己と密着している他人が邪魔になるのは、ドライな気持ちでむしろ、なかったら、不思議だ。
単に執着といってしまうのはたやすい。
実際は、それに、結構くだらないレベルの恩着せや甘えや、その他いろいろなダラだらっとした粘着物が付着する。
それを、愛ということもある。縁ということもある。キレイな色で塗られることすらある。
家族というホンワカとした気のおけなさは、ある日突然、どろどろと変質しても、何の不思議もない不確かなモノだ。
たったひとつの出来事で、それは一変する。
意外と簡単なことで、意外と何もなくても、その中のたったひとりの気の持ちようで一変する。
だから、ホンワカノホホンと暮らしていることは、実は本当にたいしたことなのだ。
きりきりと深みに落ちていくことは、結構簡単なことだ。
こんなえげつない世の中でもぎりぎり持ちこたえている、現代の日本人は、私はたいしたものだと思う。
でもヤッパリ、殺したいほど愛しい、近いが故に憎い、という深みは、
時に意に反して、時に清楚な悪女のように魅惑的に、
雪崩みたいに身も心もさらい尽くす。
そうやって、彼らは身近なひとを傷めたのだろう。
そんな気持ちが憑いてしまった時に、どろどろにならないひとつの方法は、浅く、生きることだ。
深みを
追わない。
だって、みんな死んでしまうのだ。
それだけの話を、それだけのようにやっていく同胞だ。
知らなくてもいいことは、ここには結構たくさんある。
汚いモノがたんとあると知りながら、
よどんだ空気の中で歌いながら生きることは、実はたいした勇気ではないか。
深い湖底を意識しながら、軽やかにノホホンと生きる人を家族を、
私は深く尊敬する。
あ・・・!べつに夫をどうこうしようっていうんじゃありませんよっ!