若松英輔《小林秀雄 美しい花》に、


"小林秀雄著『私の人生観』で

「美は人を沈黙させるが、

美学者は沈黙している美の観念という

妙なものを探しに出かけた。

この美学者たちの虚しい努力が、

人々に大きな影響を与えている事は

争われぬように思われる。


〔中略〕芸術家は美について考えやしない

考えられぬものなど考えるはずがない。

「美」を作り出そうなどと考えている芸術家は、

美学の影響受けた空想家であり、

この空想家は、

独創性の過信、職人性の侮蔑という

空想を生むだけである。


芸術家は物を作る。

美しいものでさえない、一種の物を作るのだ。

〔中略〕物を作らぬ人にだけ、

美は観念なのである。」


"独創性の過信、職人性の侮蔑"と記すことで、

小林が読者に注意を促すのは、

表現を通じて

何かを生み出し得ると

信じて疑わない近代人が抱く、

創造性への傲慢である。

職人にとって表現とはまず、

伝統の確実な継承である。

独創性とは、特定の個人の表現ではなく、

伝統が時代に蘇る現象にこそ

付される言葉でなくてはならない。"


とありました。



これを読んだ時

まだまだ未熟者ながら、

持ち続けてきた意識は

間違っていなかったのかもしれないと

思いました。


音楽をするものとして

目立つことをして周りと自分を差別化しなければ!

みたいなことを、音楽をやっていないかたに

言われたこともありましたが、

それは音楽に対する冒涜ではないかと

なんとなくですが、考えていたのです。



先日亡くなられた小澤征爾さんが

オーケストラの演奏を宇宙へ生中継という

2022年に行われた企画で

車椅子に座られたまま

手の動きは小さく小さく、

しかし伝わるものはあたたかく大きな指揮を

されていました。

少し、涙をされていました。

音楽という芸術は

こんなにも美しく変わらず在るのに

自分の命はもうすぐ還ろうとしていることに

使命を終えようとしていることに

愛おしさゆえのかなしみを感じられたのかしらと

思ったりしたのでした。



作曲家の人生を知り、時代を知り、

表に出ていることの

隙間に落ちているひとときを惟い、

音楽を再現させていただく。

「芸術をさせていただく」という気持ちを

ひとときも忘れないように

これからも生きていきます。