●偶然の確率。根暗とグロテスクコメディ。
只今帰宅。
今日は、ミーティングに遅刻したのでタクシーを利用した。
ミーティングが終わり、帰りはもうこんな時間なので、またタクシーを利用した。別にセレブな訳ではない。うちは駅から歩いて15分くらいかかる上に、深夜の時間帯は全く人通りがないので、物騒なのだ。
一応女子である。
すると、さっきタクシーの運転手が言った。
『私、さっき国分寺までお送りしました。』
行きは東小金井のタクシー会社に電話してタクシーを呼んだ。
帰りは武蔵小金井駅前からタクシーに乗った。
この偶然の確率はすごいな。
そんなことを考えていた。
*****
アタシは、何度かblogでも触れているが、お笑い芸人が好きだ。
笑いには好みがあって、人それぞれツボが違う。
上で述べた『お笑い芸人が好きだ』というのは、『お笑い(漫才)』が好きだというのとは少し違う。
その芸人自体の芸風が好みであるか好みでないかは別として、人を笑わせるために一生懸命で、悩んだり泣いたりする人が好きだ、ということ。
一般的に、今の漫才師が一年で一番焦点を定めている『M-1グランプリ』。
競馬で言えば、有馬記念みたいなもんなのかな…。
参加資格は、結成10年未満のコンビ。プロ・アマは関係ない。
そこで優勝し、日本の笑いの頂点に立つために、一年間、テレビ出演などの他に色々なイベントを自分たちで立てたりして、手応えを感じたり、どんな種類のネタが一般にウケるか研究しながら、年末に向けてネタを作りこむ。
芸人の間では、その年の後半になると、『仕上げ』と言うワードが頻発するようだ。
例えば、『ノンスタイルかなり仕上げてきたなぁ…』みたいに。
もうM-1に向けて、仕上げの段階まできてるね
ってことらしい。
私は、芸人じゃないけど、制作をしていて、行き詰まった時は、芸人のblogを読むことが多い。
例えば、2008年のチャンピオンのNONSTYLEの石田さんは、決勝当日の数日前から緊張しすぎて、身体中にじんましんが出ていたり、M-1のネタを見た人はわかると思うけど、ボケて突っ込まれる度に、
『このハッピー野郎!』
とか、色んな言葉を言いながら自分の右の太ももを叩くんだけど、本番までに100回以上同じネタを練習したのにも関わらず、本番は極度の緊張から力みすぎて、翌日右の太ももが内出血して青とも紫とも言えない色に腫れ上がっていたらしい。(写真付きでブログに載っています。)
それでも、NONSTYLEは優勝出来たからよかったものの、それ以外の芸人は、悔しい思いを綴っている人、悔しすぎてそのことに触れてない人、様々である。
そこまでがんばって、『一番面白い』という称号を手に入れたい人、結成10年以上で参加資格はないけど過去に悔しい思いをした人、ベテランとして負けた芸人を慰めている先輩…
ブログに綴られた言葉から色んなドラマが読み取れる。
そういうのを読むと、
あぁ… まだまだ頑張らないと。
という活気に満ちてくる。
ちなみに、個人的に芸風は好きではないけど、blogを読んで興味が沸いたのがこの二人。
キングコング西野さんとオリエンタルラジオ中田くんだ。
あっちゃん(中田)に関しては、学芸大学附属高校→慶應義塾大学と超インテリ芸人で知られているが、つい最近聞いた話によると、
勉強しないと!→でも眠い…
のルーティーンから抜け出すために、ベッドをぶち壊し、椅子に体を紐で縛りつけるという男である。
女子に免疫がなく、ほとんど話せなかった冴えない学生時代が今では恰好のネタになっている。
キンコン西野さんについての情報はあまりないのだが。
ただ…
とにかく…
この二人の日記は、恐ろしく暗い。
根暗感120%である。
売れっ子芸人は、忙しいこともあり、
こんなもの食べました~
とか、
こんな場所に来てます~
とか、
今日は○○さんとお仕事しました。OA見てね~
とかそんなんばっかりだ。
ただこの二人は違う。
おそらくPCから、西野さんは精神論的な記事を、あっちゃんにいたっては、さすが高学歴芸人だけに小説家も驚くほどの文章力だ。
彼らはきっと、『お笑い芸人=明るい人間』という方程式は最初から持ち合わせていない。
そんな暗い人間が、どうして芸人という選択肢に辿り着いたかは神様の悪戯として、だからこその喜びや達成感もおそらく存在し、その真面目過ぎる性格ゆえに苦悩することも多々あるんだろう…と、芸人人生に翻弄されている二人の日記はとても興味津々に読んでいます。
で、今日の西野さんの記事。
『一億光年の長さの棒の先に触れるとどうなるか。』
これを友達と話すのよ(笑)?
まぁけど、
『今日はね、タクシーの運転手さんが、行きも帰りも偶然同じ人だったの!
すごーーい』
とかじゃなく、
この確率ってどんくらいなんだろう…
って考えてしまうあたり、私も根本は暗いに違いない。
最近一番興味深かった記事は、mixiに載っていた『日本中にパチンコ玉はいくつ存在するか』というものだった。
そういうどうでもいいことを考える人っていいなぁ…。
結局ね、日本中のパチンコ玉を積み上げると、月にも届きそうな距離になるんだって!
そんなことを出来るはずもないのに、なぜだかロマンティックだ。
出来ること、実際に起こりうること、目先のこと…
こればっかりじゃなくて、古くは、ギリシャの哲学者や、中世の思想家や、科学者たちが考えてきた『どうでもいいこと』。(←悪魔で私にとってであって、その人たちの研究を否定するつもりはない。)
そういうのが、どうやら私は好きらしい。
今日は、ミーティングに遅刻したのでタクシーを利用した。
ミーティングが終わり、帰りはもうこんな時間なので、またタクシーを利用した。別にセレブな訳ではない。うちは駅から歩いて15分くらいかかる上に、深夜の時間帯は全く人通りがないので、物騒なのだ。
一応女子である。
すると、さっきタクシーの運転手が言った。
『私、さっき国分寺までお送りしました。』
行きは東小金井のタクシー会社に電話してタクシーを呼んだ。
帰りは武蔵小金井駅前からタクシーに乗った。
この偶然の確率はすごいな。
そんなことを考えていた。
*****
アタシは、何度かblogでも触れているが、お笑い芸人が好きだ。
笑いには好みがあって、人それぞれツボが違う。
上で述べた『お笑い芸人が好きだ』というのは、『お笑い(漫才)』が好きだというのとは少し違う。
その芸人自体の芸風が好みであるか好みでないかは別として、人を笑わせるために一生懸命で、悩んだり泣いたりする人が好きだ、ということ。
一般的に、今の漫才師が一年で一番焦点を定めている『M-1グランプリ』。
競馬で言えば、有馬記念みたいなもんなのかな…。
参加資格は、結成10年未満のコンビ。プロ・アマは関係ない。
そこで優勝し、日本の笑いの頂点に立つために、一年間、テレビ出演などの他に色々なイベントを自分たちで立てたりして、手応えを感じたり、どんな種類のネタが一般にウケるか研究しながら、年末に向けてネタを作りこむ。
芸人の間では、その年の後半になると、『仕上げ』と言うワードが頻発するようだ。
例えば、『ノンスタイルかなり仕上げてきたなぁ…』みたいに。
もうM-1に向けて、仕上げの段階まできてるね
ってことらしい。
私は、芸人じゃないけど、制作をしていて、行き詰まった時は、芸人のblogを読むことが多い。
例えば、2008年のチャンピオンのNONSTYLEの石田さんは、決勝当日の数日前から緊張しすぎて、身体中にじんましんが出ていたり、M-1のネタを見た人はわかると思うけど、ボケて突っ込まれる度に、
『このハッピー野郎!』
とか、色んな言葉を言いながら自分の右の太ももを叩くんだけど、本番までに100回以上同じネタを練習したのにも関わらず、本番は極度の緊張から力みすぎて、翌日右の太ももが内出血して青とも紫とも言えない色に腫れ上がっていたらしい。(写真付きでブログに載っています。)
それでも、NONSTYLEは優勝出来たからよかったものの、それ以外の芸人は、悔しい思いを綴っている人、悔しすぎてそのことに触れてない人、様々である。
そこまでがんばって、『一番面白い』という称号を手に入れたい人、結成10年以上で参加資格はないけど過去に悔しい思いをした人、ベテランとして負けた芸人を慰めている先輩…
ブログに綴られた言葉から色んなドラマが読み取れる。
そういうのを読むと、
あぁ… まだまだ頑張らないと。
という活気に満ちてくる。
ちなみに、個人的に芸風は好きではないけど、blogを読んで興味が沸いたのがこの二人。
キングコング西野さんとオリエンタルラジオ中田くんだ。
あっちゃん(中田)に関しては、学芸大学附属高校→慶應義塾大学と超インテリ芸人で知られているが、つい最近聞いた話によると、
勉強しないと!→でも眠い…
のルーティーンから抜け出すために、ベッドをぶち壊し、椅子に体を紐で縛りつけるという男である。
女子に免疫がなく、ほとんど話せなかった冴えない学生時代が今では恰好のネタになっている。
キンコン西野さんについての情報はあまりないのだが。
ただ…
とにかく…
この二人の日記は、恐ろしく暗い。
根暗感120%である。
売れっ子芸人は、忙しいこともあり、
こんなもの食べました~
とか、
こんな場所に来てます~
とか、
今日は○○さんとお仕事しました。OA見てね~
とかそんなんばっかりだ。
ただこの二人は違う。
おそらくPCから、西野さんは精神論的な記事を、あっちゃんにいたっては、さすが高学歴芸人だけに小説家も驚くほどの文章力だ。
彼らはきっと、『お笑い芸人=明るい人間』という方程式は最初から持ち合わせていない。
そんな暗い人間が、どうして芸人という選択肢に辿り着いたかは神様の悪戯として、だからこその喜びや達成感もおそらく存在し、その真面目過ぎる性格ゆえに苦悩することも多々あるんだろう…と、芸人人生に翻弄されている二人の日記はとても興味津々に読んでいます。
で、今日の西野さんの記事。
『一億光年の長さの棒の先に触れるとどうなるか。』
これを友達と話すのよ(笑)?
まぁけど、
『今日はね、タクシーの運転手さんが、行きも帰りも偶然同じ人だったの!
すごーーい』
とかじゃなく、
この確率ってどんくらいなんだろう…
って考えてしまうあたり、私も根本は暗いに違いない。
最近一番興味深かった記事は、mixiに載っていた『日本中にパチンコ玉はいくつ存在するか』というものだった。
そういうどうでもいいことを考える人っていいなぁ…。
結局ね、日本中のパチンコ玉を積み上げると、月にも届きそうな距離になるんだって!
そんなことを出来るはずもないのに、なぜだかロマンティックだ。
出来ること、実際に起こりうること、目先のこと…
こればっかりじゃなくて、古くは、ギリシャの哲学者や、中世の思想家や、科学者たちが考えてきた『どうでもいいこと』。(←悪魔で私にとってであって、その人たちの研究を否定するつもりはない。)
そういうのが、どうやら私は好きらしい。