そんなこんなでも
幸せと感じる自分がいる


幸せな人生に導く信号を灯します
心理カウンセラーの松本茉弓(まゆみ)

まゆちゃんひまわりです



ご無沙汰しています

毎日暑いですね


さて表題の『母は認知症になりました…』

ですが、
5月の中旬に以前3月に「硬膜下血腫」になり、その後の診察で病院に行ったところ

「脳梗塞」の所見があります
今日は入院していただきます


と主治医からお話がありました

「え?」
母も私もびっくりです

なぜなら
言語も四肢もいたって正常なんですから


そして
緊急入院

11日間の入院生活でした


ここで!
認知症になりました

詳しくは「脳梗塞」の後遺症による『血管性認知症』とのことでした



入院中、一度お見舞いに行った時
母は会うなり、
「赤ちゃんは元気?」
「〇〇ちゃん(私の妹の名前)は自殺したからお姉ちゃんが可哀想で(泣)」


よくよく話を聞くと
私は双子を産んでいる
妹は自殺している
実家に帰って(母の実家)やらないといけないことがあるから帰りたい



最初は入院による『せん妄』かと思いましたが、どうやら違う様子です


退院後、とにかく目が離せません
ひとりになると不安になるらしく私と妹を呼びます

昼間ならいいんです
夜中もあります

午前3時
ゴソゴソと母の部屋から音がします


私は物音に敏感なので起きてしまいます
母の部屋に行くと
布団はベッドから落ちぐちゃぐちゃ
壁にあるカレンダーもビリビリ
母はどこにいるのかと思っていたら、ぐちゃぐちゃの布団の中でうつ伏せになって手足をバタバタしていました

私は
「どうしたの⁈」

母は
「立ち上がれない」と言いました
そして
「誰も助けに来てくれない」


たぶん寝ぼけていたのでしょう


夜中の3時にベッドメイキングをし直して寝かしつけました


ひとり寝が不安になるらしいのでリビングにベッドを持ってきました

それでも朝方は私か妹を呼びにきます

「起きて!朝だから」

いやいや、今4時だから



そんな生活が2か月です


私、睡眠時間が短くても大丈夫なんです
5時間寝ればオッケー

今はこの性質が役に立っています、ラッキー✨✨✨



介護認定も「区分変更」の手続きをしています

脳梗塞になった時の主治医が良い人でね〜
手続きがスムーズでした



思ったんですが、この生活
私は望んでいたのかもしれません


10代から40代にかけて私は家族
特に母親とはそんなに密ではなかったように思います


仕事や恋愛で家を空けることはしょっちゅうでした
家には寝るために帰ってきたように思います
母との会話も
「風呂」
「メシ」
「寝る」

この3つの時もありましたw



この2か月間
みっちりと一緒です


なんだか今までのことを取り返すかのようです


なんだかんだ幸せなのかもしれません

毎日怒ってばっかですが
コレもほんとは怒っちゃいけないらしいですね、認知症の人には



幸せの尺度は人それぞれです

なにを持って幸せなのか?

自分自身の気持ちの持って行き方だと思います


辛かったらひとりにはならないでほしいですね

助け合いです

私もひとりだったらとっくのとうにギブアップですが、幸い
妹と手分けして母を見守っているのです


誰かに助けてを求めてね


さて
夕飯は
悪魔のご飯とアジの開きです


また時間があったら書きます

じゃーねー!!!