昨日は久々に泣いてしまいました。

泣くなんてどれくらいぶりだろう…

文字にすると大した事じゃないけれど、その時の私は涙が溢れてしまいました。


最近のベビ子は自己主張が激しくて、したい事が出来ないと大声で怒髪します。


例えば、取りたい玩具が取れない、食べたい物がない、抱っこ、おっぱい、知育玩具、したい事を指差して要求してきます。
おかげで私はエブリデーぐったり。

今日は毎週恒例の実家保育園デーだったのですが、紙コップがどうしても食べたい、リモコンを投げて遊びたい、従姉妹の髪を引っ張りたい…
他の物と交換しようね♡では納得してくれません。

おっぱい要求も激しくて、枯れるほど飲んでも離してくれず、すっぽんベビ子を離そうとして乳首から流血…えーん


トイレに行こうとすれば大泣きで、あやしても、おやつも、テレビも、抱っこも、玩具も、お散歩
もダメ。
誰の手にも負えないのです。
お熱かな、体調が悪いのかなと心配になる程です。

寝ぐずりもすごいです。

あまりの愚図りに父がもう送ってくから自宅へ帰れ!とブチ切れしました。


私はタクシーで帰るから落ち着くまでいさせてよ!

と父に噛みつきました。


まるで子供です。
父の放った冷たい言葉が、私の母としての器用の無さを痛感させました。


リビングを出る父、暴れ泣くベビ子を力なく支えて静かに涙する私…



静かに頬をつたう涙が中々止まる事はなく
ベビ子をあやしてくれる母の側で、涙が自然と収まるまで流しました。


その時人気ブロガーさんの、自分はスーパー前向きな性格だから子育てを大変だと思った事がないという記事を思い出していました。


それを読んだ時、私はベビ子が先天性の心疾患で完治するまで毎日いつ心臓が止まるか心配していた事、クループで呼吸が止まってしまう心配をしていた事を思い、健康だから言える事だなと半分も読まずに閉じました。


育児は楽しい事はがりではない。
むしろ今の私には大変だと感じてしまう…
育児を大変だと感じる事は育児偏差値が低い事のように思えてしまうのは私だけでしょうか。
本当はいつだってニコニコママでありたい。


その記事は結構前の事なのに心のどこかにしこりとして残っていました。私の勝手な解釈が父の一言とリンクして泣けてきたのです。


潤む視線の先に、ご機嫌を取り戻したベビ子をぼんやりと見つめていた時、母が大変なのは今だけよと言いました。


大変…
ギャンギャン泣いてるくらい大した事では無いはずなのにどうして泣けるのかな…



ベビ子の心疾患が完治した時、これから先どんなに子育てが大変でも育児が出来る幸せを感じていきたいと思った事を思い出しました。


最近、薄れてきていました。
育児が出来る事は幸せな事なのですよね。



母の運転で送ってもらう道すがら、母からの優しい言葉が胸に染みました。


母親としての自信がなくなっている事もポロリ…。


何を言ってくれたのか覚えていないけれど、母は先輩ママで先輩妻で、頼もしく感じました。



何が一番かよく考えて、強い信念と深い愛情を持って接しなさい。
相手は物を言えない赤ちゃんだから自信と愛情で包んでとメールが届きました。


忘れないように心に刻みます。


1年後は謎の愚図りやギャン泣きも懐かしく思うはず。
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姪っ子2歳ピンクハート