猪名部(いなべ)神社

 

 

三重県員弁郡東員町にある神社です。

 

多度神社と同じく、

馬上げ馬神事が有名で…(私は数年前に知りましたが)

 

1192年、大木城主 員弁三郎行綱が、青少年の士気を高めるために始めたそうで

多度より歴史が古いらしいです。

(猪名部神社から多度へ伝授したとか)

 

今年は上げ馬は無く、馬曳き神事が行われたようです馬

 

 

駐車場横にある建物は、北大社区民館。

『北社学校跡』の碑が建っていました。

 

 

区民館の反対側には石垣。

これ、古墳らしいです。

 

 

駐車場と反対側にある鳥居(正門はここかな)

 

 

本殿

 

 

本殿の前に由来の石碑があります。

 

↑この昭和54年に書かれた石碑と、猪名部神社のHPの「由来」を合わせると、

ざっくり↓こんなことが書かれていました。

 

 

猪名部氏…

もともと、摂津国(兵庫)の猪名川から大和(奈良)を経て、現いなべ市に移住してきた豪族と、現住豪族との融合豪族

 

713年、元明天皇の勅命により『員弁(いなべ)』となった。

(二字佳名の詔…国名を漢字2文字にするよう命じた法律)

 

猪名部氏は建築技術に優れており、東大寺、法隆寺、石山寺、興福寺の建立に携わったとされている。

名工として日本書紀に記されている。

 

 

祭神:伊香我色男命(いかがしこおのみこと)は、猪名部氏の祖神

饒速日命(にぎやはひのみこと)の6世孫。

 

 

神社の創建は不明だが、平安時代の書『延喜式内社帳』(905年)には、

859年に神階が授けられている事が記されている。

 

873年…天皇に仕えていた春澄高子(はるすみのたかこ)(春澄善縄(はるすみのよしただ)の娘。 春澄の元の名は猪名部) は、官稲1500束を猪名部神社に奉納。

高子の父善縄は、869年に完成した『続日本後紀』の作成に携わった一人である。

 

 

境内にある古墳は猪名部氏の墓(6世紀)

昔は境内に17基の古墳が散在していた。

現在、境内にある古墳はその中で最大の物。

 

 

 

 

本殿横にある舞殿

 

 

 

本殿が数段高いところにあるんですが、

そこから先ほどの古墳の上部がよく見えるようになっていました。

 

 

 

「高塚大神」とかかれています。

 

 

 

クロガネモチの木

 

 

古墳にも大きな木が成っていました

樫の木

 

(樹木名は「三重の巨木」のサイトを参考にしました) 

 

 

 

神楽殿

奉納されたと思われる黒光りの馬像が印象的馬

 

 

境内南側には上げ馬神事で馬が滑走する道があり、上から見下ろすことが出来ます

 

 

 馬

 

 

左右の石段から下に降りることが出来たので行ってみることにしました足あと

 

 

 

 

 馬馬馬

 

 

馬が疾走する道の脇には

小さな黄色い花がたくさん咲いていました~黄色い花

 

 

 

 

 

 

今現在は、住宅街にひっそり佇む猪名部神社、

古墳が多数入るほどの広大なもの

だったというのが驚きでした

名大工の出となれば、

さぞ立派な社殿があったんだろうと推測する。

 

また、平安時代には天皇に仕えるほど

聡明な人物が一族におられたという事で

そのおかげか、今でも神社が

現存していることに深みを感じます

 

『いなべ』は、「いなべ市」「員弁郡」と、

町の名前になっています。

古代の町の名前って、自然か豪族の名字か…の

二択に思てましてキョロキョロ、、

『いなべ』は豪族名だったんだ~と、

由来がわかって良かったです。

勉強になりました。