前回の続きです。
伊雑宮を参拝後、
↓こちらの案内板に書かれている『倭姫命の旧跡地』というのが気になり
行ってみることにしました![]()
伊雑宮から北へ進み、
左へそれる道なりではなく、↓真っすぐ細道へ歩いていきます![]()
案内板が見えてきました。
『風呂屋の谷』というのは、昔、伊雑宮へ参拝する前に禊を行った場所のようです。
今回ここへは行っていません。
てことで、左へ曲がると…
すぐあった
まず目に入るトタン板!
『倭姫命の遺跡』と書かれていますが、
倭姫のなんの遺跡かがよくわかりませんでした。
木は楠の木だそうで、1923年には枯死されたとの事。
その根元からは、室町時代の白銅鏡2面が出てきたそうです。
この町の歴史案内板
その裏側には、なにやら文字がいっぱい…
ざっくりまとめると…
倭姫命が稲穂をくわえた鶴を見た。
その鶴が落とした稲穂の種を千田に蒔いたらよく実ったので全国へ広めた。
八百万の神に神酒を供えることの始まり。
粮米もみな、この神のおかげ。
その話を聞いた聖徳太子が感銘を受け遊覧された。
聖徳太子、ここに千田寺を建立。
持統天皇も感銘を受けここに勅賜門建立。
明治5年無住寺。
明治10年本堂全焼。
その千田の御池
その奥の木が「きんちゃく楠」
伊雑宮の境内にもあるきんちゃく楠、膨れている姿が縁起良いらしく参ると財が貯まるといわれているそうです
へぇ~
その隣にあるのが
伊佐波登美命鎮座地
この 伊佐波登美命(いざわとみのみこと)…
伊雑宮の「いざわ」とも読めるし、国つくりの「いざなみ」とも読めるのがゾワゾワします。
ちょろっと調べてみたら、
伊佐波神社というのが島根県出雲にあるらしく…
登美というのが、大和の豪族登美氏説があり…
「出雲系登美氏がこの地を治めていたのではないか説」があると。。
なんとなくつながりますね、、![]()
出雲系登美氏が大和から派遣されてこの地を治め、
食べていく稲が志摩国のどこで育つか研究し見つけた場所がこの付近一帯だった、と![]()
だから聖徳太子や持統天皇も褒美を与えたのではないか、と。
(となると、昔の大豪族はJA的な役割もあったのだな、と。そうなると倭姫命は農林水産大臣やな
)
来た道を戻り、
伊雑宮駐車場の横にある御神田(おみた)を見に行きました。
※伊勢の神宮の神田とは違います。
分刻みで行われる御田植祭
6月に田植えが行われて、
9月に収穫
私は10月に行ったので、写真は収穫後になりますが、
収穫後から生えてきた稲が青々と茂っていました。
思たより規模は小さめ
この稲はどうするんやろ…
と、頭ん中そればかりでいっぱいになりました![]()
参拝終了~
神社巡りから歴史を学ぶのは面白いです。
私は、神社の御利益とかは興味が無いので、
とにかく行った神社に興味を持ち、神ではなく人間同士の結びつきを調べるのが好きです。
ウィキペディア含め、いろんな情報を見て書いていますがあくまで”説”ですんで…
いろいろ見ていると ときめく説と、ときめかない説が出てくるので、自分流に歴史文化を学ぶのが楽しいです![]()























