能褒野神社
加佐登神社と同じくこちらも5年前に1度来ましたが、再び行ってみました。
というのも、前回 陵墓を見逃していたのでその確認もあります
鳥居は入り口には無く奥にあります⛩
一歩入ると木々に囲まれ日陰道…
階段を上がりきったところに『左 日本武尊御墓参道』の石碑あり。
神社参拝後に行ってきました。(写真が多いので次ブログに)
神社入口の鳥居前に看板がありました。
ざっくりこんなことが書かれています
能褒野神社
【御祭神】
倭建命(日本武尊)(ヤマトタケルノミコト)
建貝児王(武卵王)(タケカイゴノミコ) ←ヤマトタケルの子
弟橘比売命(弟橘媛)(オトタチバナヒメ) ←ヤマトタケルの嫁
明治11年 宮内省、日本武尊能褒野陵と決定
明治16年 能褒野神社と社号が選定される
明治17年 能褒野神社新設に着手
明治18年 完成
明治38年 明治天皇、日露戦争勝利報告の為に参拝
明治41年 村内四十余社を合祀
明治44年 神宮式年遷宮の撤下材を用いて本殿築く
大正14年 縣社に昇格
大正15年 亀山駅前に鳥居建立
昭和22年 宗教法人能褒野神社に改組
手水舎
蛇口2つ。
日本武尊って伝説上、全国的にも有名な人なので、もうちょい観光に生かせなかったのかなぁ?と思ったりする。。
宮内庁管理だとそう派手にも出来ないのかな。
「神宮」とか「大社」の名がついていれば亀山も変わっていたのかなぁと思いました
絵馬掛け
なぜか、
鳥居と瓦とニワトリ2羽の絵
拝殿横には「那久志里神社」
明治41年に合祀された神社の1つのようです。
昔は能褒野神社の南東にあったようです。
↓↓↓那久志里神社古社地
弟橘媛を祀っているようです。
連理の榊
男女の深い契りをたとえて比翼連理の榊という。
拝殿西の境内に連理の榊あり。
雄株の根回り70糎(センチ) 雌株53糎(センチ) 高さ3米(メートル)の所でお互いの手を差し伸べた形で連なっている。
日本武尊の安全を願って海に沈んだ弟橘媛、その姫をしのんで「あづまはや(あぁ、我が妻よ)」と絶句。
命果てるとき白鳥と化して天に昇った日本武尊の魂が奇しくも御魂を鎮める処を得てここに二株の榊と化せられたものか。
人智を以てはかり知れないものがある。
山神と水神と刻まれた石。
柵の向こうが古墳なんかな…(写真が多いので次ブログに)
神社の敷地の外に池があります。
しょうぶ池
小さく見える鯉でよく見る普通の大きさだと思います…
亀もいます🐢
つづく



















