杖衝坂

 

 

三重県四日市市釆女町にある東海道です。

 

 

 

車では2回ほど通ったことがありますが、徒歩は初めてです。

 

 

 

 

住宅の間に坂があります足あと

 

 

 

 

もうちょい上がると林に入りますが、道は舗装されているし住宅もポツポツあるので歩きやすい。

歩きやすいけど古代や江戸時代の風情はすっかり抜けてる感じはあります…

 

 

 

 

坂の途中にある町かど博物館

 

内部地区の歴史が学べます。

この日は閉館日でした。

 

 

 

 

 

どんどん上っていきます足あと

 

坂の角度がすごい


 


 

常夜燈らしきものや祠らしきものが見えてきました足あと

 

 

 

 

 

 

『史蹟 杖衝坂』 の石碑

 

 

 

 

『永代常夜燈』

1811年に建立、

 

上の木(明りを灯す部分)は昭和時代に寄贈されたもののようです。

 

 

 

 

祠かと思っていたところは石碑が守られていました。

 

左の石碑: 1756年に建立

「徒歩(かち)ならば杖衝坂を落馬かな」 という松尾芭蕉が1687年に詠んだ俳句が彫られています。

 

徒歩なら杖をついて上がる所、

馬に乗ったまま上がろうとしたもんだから馬から落ちちゃったよ… みたいな事が書かれているそうです。

 

芭蕉にしては珍しく季語の無い歌だとか。

それくらい自分の中で印象強い出来事だったのかな

 

 

 

 

石碑の内容

 

芭蕉の句について

 

俳聖 松尾芭蕉が 貞享四年(1678) に

江戸から伊賀に帰る途中、

馬に乗ってこの坂にさしかかったが、

急な坂のため馬の鞍とともに落馬したという

そのときに詠んだ季語の無い有名な句である。

 

宝暦六年(1756) 村田鵤州が杖衝坂の中ほどにその句碑を建てた。

明治の初期、坂の下釆女西町 永田精一郎氏の庭園に移されたが、この度 現所有者 藤沢一郎氏ご夫妻の理解により再びこの地に移設したものである。

昭和51年三月吉日

 

 

 

 

 

ざっくりこんなことが書かれていました。

 

ヤマトタケルノミコトの遠征からの帰りの様子が古事記に書かれています。

「そこより、やや少し出でますに いたく疲れせるに寄りて、御杖を衝きて やや歩みたまひき。 故、そこを名づけて杖衝坂という」

それがこの坂名の由来になったと。

 

道を上がったその先に、ヤマトタケルノミコトの足の出血を封じたという血塚の祠がある。

 

 

そして二つの井戸の説明

 

・坂の上… 「弘法の井戸」 

弘法大師が杖で指し示されたところを掘ったら清水が出てきたという伝説の井戸。

 

・坂の下… 「大日の井戸」

坂の中腹にあった大日堂(大日如来(仏)を安置する堂) に供える水を汲み上げていたという伝説の井戸。

 

あとは先ほどの芭蕉の句の説明です。

 

 

↓その井戸

 

 

これが弘法の井戸なのか??

 

大日の井戸は常夜燈の後ろにあるやつなのか??

↑写真見返したらたまたま映っていましたあせる

 

 

ネットで調べるとそのようなブログが多く出てきたんですが、

ここは坂の中腹

あと、上下の井戸の距離が近すぎて…信憑性が無いです。

 

 

 

坂の上と坂の下に↓このようなものがあったんですけど、これじゃないのかな??

 

 

Googleストリートビュー

 

 

案内板も無いし守られている様子も無し…

こちらも信憑性無いですがねあせる

 

 

 

 

それにしても弘法大師は全国の井戸を掘り当てていますね。。

 

 

 

 

その付近から見た景色

 

遠くにコンビナートが見えました。

 

 

 

もうちょい上がっていきます

 

 

 

振り返るとこんな感じ…

 

昔は土道で足場もすごく悪かったでしょうね…

 

 

 

 

 

杖衝坂の散歩終了~

 

実際はその手前から歩いてきたので、往復けっこうな距離になりました。。足あと

 

 

 

 

もうちょい行ったところに血塚社があるみたいです。

見といたらよかったあせる

何の下調べもせず急に来たのでこんなことに。

 

 

そしてもうちょい行くと一里塚跡もあるようですが、これはちょろっと遊具のある広場になっているみたいですね。

江戸時代には松の木があったそうです。

 

一里塚の石碑は地元の方々の協力で国道一号線の坂の上にあるガソリンスタンド(出光) の看板の下にひっそりと建っているようです。

 

しょっちゅう通ってるのに気づかなかった… また通りすがり見てみようと思います