最期にブログを更新した日の朝・・・・・


先生から電話で呼び出された。


白血病細胞が全身の臓器に浸潤していて


腎臓 肝臓 肺すべての機能が落ちてきている。


全身の浮腫み身の置き所のない身体のダルさや辛さは相当のものです。


週単位と言うより、日単位で症状は強くなり今後モルヒネでは押さえきれない痛みを感じます。


そうなる前に本人の意識レベルを低下させてうとうと眠った状態で最期を迎えさせた方が良い。


今朝本人からも申し出があったと。


モルヒネと一緒に眠らせる薬を使う緩和ケアは前から本人の希望していた事でした。


今意識がはっきりしているのにだんだんと朦朧として最期は眠った状態で最期を・・・・・


すぐ親族を集めて面会。


今まで何度か見舞いに来ているが本人のしっかりと元気な姿しか見て居ない親族は


何でそんな薬を使うのか納得出来ないとひどく揉めた。


見舞客が来る時だけいつも何故か薬が効いて普通でいるので理解して貰えない。


効き目が切れた時の壮絶な苦しみは私しか知らない。


結局その日から10日間病院に泊り込み 片時も離れず主人を見守りました。


腎機能も低下して尿量も一日1000位から一気に450→200になった時


親族の反対を押し切り先生に薬をお願いしました。


一気に使うと呼吸が停止してしまう薬なので少しずつ様子を見ながら量を増やす薬なので


中々効かない。


先生は今後を見越して来るであろう苦しみを和らげる為タイミングを測って使いましょうと言って


下さったのに。。。。2日も遅れてしまった。


救急車で病院に戻ってからの悪化は誰にも予測できない程の速さで・・・・


モルヒネが効かなくなったときの本人の苦しみは壮絶なものであった。


夜中にもがき苦しむ主人を半狂乱になって押さえつけ看護師に当たり散らしたり


最期の時をこんなに苦しめるなんて


最期の2日間は薬が効いて朦朧としながら、でも本当に最期までしっかりと意識を持ったまま


一緒に家に帰ろう。早くしないと道が混むから。。早く帰ろう。。って


最期に家に戻ってから10日後に安らかに旅立ちました。



今は未だ現実として見つめられない状態ですが、


主人の闘病記として始めたブログです。


最期まできちんと書かなければと・・・まだ混乱した頭で綴っています。



2011年3月に骨髄異形成症候群と告知されるもその後経過観察のみ。


2011年12月 芽球(白血病細胞が現れる)


2012年 1月 ビダーザ投与の為入院


       3クール目まで4カ月間の入院で行うが副作用が強い為中止



2012年5月 週3回の通院に変わる  血小板 赤血球輸血


2012年 7月  真菌による感染症で3週間入院


2012年  7月30~8月1日  軽井沢迄車で往復運転する。


2012年   9月 抗がん剤ハイドレア  開始 通院時の 運転を諦める


2012年  10日6日  発熱39.6  救急で入院  芽球15%

        


        10月17日 芽球  17% 

        10月 19日 芽球 30%

        10月22日  芽球 40.5%

        10月 26日     47.5%

        10月29日      50%

        11月 7日      85.5%


2012年  10月27日  外泊

2012年  11月3日   外泊


2012年  11月10日  外泊

2012年  11月11日  救急車で病院へ戻る



2012年  11月22日     永眠




骨髄異形性症候群発症から一年9カ月  


死因   急性骨髄性白血病  による  多臓器不全



感染症でも出血でもなく


急性骨髄性白血病による発病後1カ月の死でした。



今まで私の拙いブログを読んで応援してくださった皆様


本当に有難うございました。


一人で看病している私の遣り場のない気持ちをブログの中で綴ってきましたが


いつも励ましの言葉を頂いて。。。。それがどんなに励みになっていたか感謝の言葉も


ありません。


この病気と闘っている皆さま  支えている家族の皆さま


本当にこの病気が憎いです。


一人でも多くの方が闘いに勝って完治される事を心底願います。


今まで沢山の優しい言葉をありがとうございました。



最期の10日間は思い残す事がない程一緒に闘いました。寄り添う事ができました。


これからは主人のくれた思い出と一緒に生きていきます。



今まで本当にありがとうごさいました。


                まゆまゆ(娘の名からつけました)