続きです。
私は生まれてから、小学1年になるまで、お金の存在を知らなかった。
知らなかったというには語弊がある。
欲しいと言えば、次の日には手に入る。お金を使って物を買うという場面にいたことがない。
総本家から実家まで400㍍ぐらい。当然の事ながら、旧国鉄社員だった叔父は、休みの日には必ず家に来た。数えきれないぐらいのおもちゃを抱えて。
母は、世継ぎを産むべく何度も入退院を繰り返していたのだが、叔父と叔母、その時はまだ健在だった祖母が総本家に連れていき、寂しい思いをしたことはない。
宝塚、ロシアからのサーカス、芸能人のディナーショー等、出かける時は、いつも叔父と叔母が一緒だった。
父は普通のサラリーマン、ヘッドハンティングされた中小企業の営業部長で、家にいた記憶は当時はあまりない。
記憶に出てくるのは小学生になってから。
誕生日やクリスマスに至ってはケーキは二つ、プレゼントは母の実家(祖母)のも含め、数えきれないぐらいあった。
今にして思うと、超我が儘に育てられていたかも…
物を買うにはお金がいると知ったのは、小学1年の時。
下校途中にあったタバコ屋さんの前のアイスクリームケース…通る下校性に配ったのである
でも、 叱られなかった。叔父がショーケースごと買い取った。その時初めて、自分で払わないと物が買えないという事を知った。
私は生まれてから、小学1年になるまで、お金の存在を知らなかった。
知らなかったというには語弊がある。
欲しいと言えば、次の日には手に入る。お金を使って物を買うという場面にいたことがない。
総本家から実家まで400㍍ぐらい。当然の事ながら、旧国鉄社員だった叔父は、休みの日には必ず家に来た。数えきれないぐらいのおもちゃを抱えて。
母は、世継ぎを産むべく何度も入退院を繰り返していたのだが、叔父と叔母、その時はまだ健在だった祖母が総本家に連れていき、寂しい思いをしたことはない。
宝塚、ロシアからのサーカス、芸能人のディナーショー等、出かける時は、いつも叔父と叔母が一緒だった。
父は普通のサラリーマン、ヘッドハンティングされた中小企業の営業部長で、家にいた記憶は当時はあまりない。
記憶に出てくるのは小学生になってから。
誕生日やクリスマスに至ってはケーキは二つ、プレゼントは母の実家(祖母)のも含め、数えきれないぐらいあった。
今にして思うと、超我が儘に育てられていたかも…
物を買うにはお金がいると知ったのは、小学1年の時。
下校途中にあったタバコ屋さんの前のアイスクリームケース…通る下校性に配ったのである
でも、 叱られなかった。叔父がショーケースごと買い取った。その時初めて、自分で払わないと物が買えないという事を知った。