続きです。

私は生まれてから、小学1年になるまで、お金の存在を知らなかった。

知らなかったというには語弊がある。

欲しいと言えば、次の日には手に入る。お金を使って物を買うという場面にいたことがない。
総本家から実家まで400㍍ぐらい。当然の事ながら、旧国鉄社員だった叔父は、休みの日には必ず家に来た。数えきれないぐらいのおもちゃを抱えて。

母は、世継ぎを産むべく何度も入退院を繰り返していたのだが、叔父と叔母、その時はまだ健在だった祖母が総本家に連れていき、寂しい思いをしたことはない。

宝塚、ロシアからのサーカス、芸能人のディナーショー等、出かける時は、いつも叔父と叔母が一緒だった。

父は普通のサラリーマン、ヘッドハンティングされた中小企業の営業部長で、家にいた記憶は当時はあまりない。

記憶に出てくるのは小学生になってから。

誕生日やクリスマスに至ってはケーキは二つ、プレゼントは母の実家(祖母)のも含め、数えきれないぐらいあった。

今にして思うと、超我が儘に育てられていたかも…

物を買うにはお金がいると知ったのは、小学1年の時。

下校途中にあったタバコ屋さんの前のアイスクリームケース…通る下校性に配ったのである

でも、叱られなかった。叔父がショーケースごと買い取った。その時初めて、自分で払わないと物が買えないという事を知った。


私は、嫁いでいるので今はパパの戸籍だが、その前は養女です。

これを理解するには、家系図というには大袈裟だけれど、大まかに説明しないとわからないと思う。

今でこそ、市町村合併で市となった実家。

その前は町で、その中でも部落と呼んでいた集落。(簡単に言えば〇〇町△△の△△にあたる)


120軒ぐらいで、おおまかに4軒の大きな地主が存在する。
その中で一番大きいのが、父の兄、総本家である。

実際、部落内には遠い昔からあらいべと呼ぶ、分家が多く同じ性がたくさんある。

私は生まれる前から、子供のいない総本家を継ぐべく養女になると決まっていた。

ま、もちろん男の子だったら直系の分家…養子にはなっていない。

私には歳の離れた妹、弟がいる母は、私を産んだ後2度の死産をした。

子供を産まないと、家系をどちらか絶やすことになるから…。
8年後に弟が生まれた時点で、私の人生は決められてしまった

続きます。


ここ最近のblogは、色々反響を呼び、一気に閲覧者が増えました。

ありがとうございます。

ただ、内容が内容だけにメッセが多く戸惑っています。

思春期のお子さんを持つ親御さん、発達障害と診断された親御さんからの二次障害の心配等…
中には出会い系を求める方やそういう類のメッセが多いのも事実です。

このblogは、小さい頃にアスペルガー(高機能自閉症)と診断を受けず、二次障害である双極性障害(躁鬱病)を併発してしまった私自身の日常を偽りなく書く事で、自分を見つめ直そうと始めたblogです。

これからも、子供時代に遡り書き続けようと思います。

中には、不適切な表現や不快に感じる、またはその逆の方もいらっしゃると思います。


朝から激うつ状態で、またリスカに走り、先程12針縫いました
コメは承認制になっています。同じ悩みを持つ方には、精一杯お答えします。

読み逃げも構いません。

ただ、直メッセはお付き合いのある方、同じ悩みを抱えている方のみでお願いします。


申し訳ありません。