昨年の9月頃から、また躁鬱が激しくなりはじめた。

絶え間無くフラッシュバックをおこしては、デパスの乱用…

倒れてから半年の間、パパは人が変わったようになっていた。
自宅療養の一ヶ月…
何度も、こんなで会社復帰出来るのか不安で堪らなかった。

高速を運転していると、突然ギアをニュートラルにして笑う…
身障者手帳の写真を撮る時は、あっかんべーを繰り返してはとりなおし…

極めつけは、部屋で横にいた茉由がビニール袋を頭から被って窒息しそうになってもがいていたのに、真横にいて全く気づかなかった事…

すみません、書き途中でUpしちゃいました

続きは後ほど…

経験して思った事です。

学校は、学校を守る事しか考えません。


今、学校から子供を守る為に出来る事…


学校とのやり取りは、連絡帳など必ず文書にして下さい。

後々効果が出ますし、証拠にもなります。
書きはじめはどんな怒りがあっても、
「いつもお世話になっております。」等と書く事をオススメします。

そして、自分の子供をよく観察して下さい。

私は、毎朝どんなに手が離せない時も必ず玄関まで見送ります。

話を聞いてあげて下さい。

話の中に、ヒントが入ってる時があります。

遊びに来る子供には、おやつも出します。

ありがとぉ。と言わない子供には
「こら!礼ぐらい言え。」

靴を揃えない子供には、
「出入り禁止だょ~。」

泊まりに来る子供とは、朝まで息子そっちのけでゲームやネット、宿題をやります。

子供達に真剣に向かい合えば、向こうも返してくれます。

学校に行くと、必ず
「〇〇ママ、ちぃーす♪」と声がかかります。

その中で、親に言えない事も話してくれます。〇〇ママには何でも話しやすいって。

ある時、友達のママから
「母ちゃんも〇〇ママみたいになれよ。」って言われた、と聞いた時は嬉しかった音符

あの時以来、にぃは風呂上がりは片手で前だけ隠して出て来ます。
最近は
「このエロママ!」の言葉で…
私は
「片手で隠れる位じゃ、味見する気にもならんわ。」と、返します。

素早く、全身チェックします。

いじめられている子は、自分からは絶対に言いません。


だけど、どこかでSOSを出しています。
この関わり方で、何件ものいじめを見つけ、辞めさせてきました。

今では、先生の方から何か情報がないかと聞かれます。

あの時、気づいてやれなかった息子への罪滅ぼしと思い、積極的に思春期真っ盛りの子供達とガチで向き合っています。

余談になりますが、

あの時、にぃと同じとまではいかないながらも、いじめられていた子が二人います。

現在、二人とも不登校です。

あの時、お母さん達に言いました、今もママ友です。
うろたえるだけで、何のアクションもおこしませんでした。

二人のママには接点がないので別々にお茶しますが、今を悲観し、将来を悩んでいます。

手遅れになる前に…

明日から、
「行ってらっしゃい。」と、声をかけてみませんか?

毎朝続けると、違いがわかりますよ♪


電話は案の定、校長からだった
校長
「教頭が先走り、すみません。明日詳しいお話出来ませんか。」

わかりました、と私。

次の日、学校へ行くと校長、教頭、担任がいる校長室へ。

校長
「あの子は可哀相なんですよ。親が離婚して、母親は夜の仕事で構って欲しいんです。」

はぁ?思わず

「相手の家庭環境に同情の余地があろうと、この件とは無関係でしょう。いじめをしていい理由にはなりません!。」と私。

教頭は、担任にいじめの事実はあったのかと、問う。

終始泣いている担任は、いじめではなく、ふざけっこの範疇だと…。

あのね、ふざけっこで前歯2本折ったり、ランドセルに死ねと書かないでしょ、普通。

校長は、私の持つ証拠を盛んに聞きたがった。

けど、切り札である。教える訳にはいかない。

今後どうしていくか、2、3日後に連絡するので、学校に来て欲しいと言われた。

私は、子供が小さい事を理由に文書にして、にぃに渡すのを頼んだ。

来た文面は、到底納得出来るものではなく、いじめは更にエスカレートしていく。


Wだけでなく、TやH、Mも加わるのだ。


給食の配膳をさせられる、鼻をかんだティッシュを口に押し込まれる、首を絞められ痣を作る、頬を爪でえぐられ血を流して帰る…

その度、連絡帳に書くがふざけっこだと書いてよこす担任。

極めつけは、野球の最中にぶつかった、と説明されたが角膜損傷で病院に搬送された。

このままじゃ、殺される…

いじめ110番に相談した。が、そこは県警だった。すぐに傷害で立件しますと言われ、パニックになって電話を切った。


事態が変わりはじめたのは、冬休みのある日。

担任から、一通の手紙が届いた。

文面は、
当初からいじめと認識していたが、どう対処してよいかわからず、自分も苦しかったと…

休み明けからは、教頭が必ず一日教室に入る事になった。という内容のものだった。


恐らく、地元有力紙である北國新聞に載せた投稿に、ピン!と来たのだろう。

そして、冬休み後は多少の怪我はあったものの、いじめの回数はぐっと減った。

3月には、今後卒業まで同じクラスにはしない(2クラスしかないのに)という約束をとりつけた。

担任はその後2年間、重度多動症の生徒の専任となり、異動していった。

まとめへ続きます