こんにちは♡まゆです。

初夏ですね〜〜気持ちいい♡

 

 

先日書いたこの記事、

いいね&アクセスありがとうございます!

これ、こーゆー風に

サラッと書いてるときは

私が、ジャッジメントするものの見方、

から抜けてるんです。

 

 

ガンガンにジャッジメントしている最中なら、

書けません。

 

 

今は、ふっとした瞬間に、

両者を行き来している感じです。

 

 

不思議じゃない?

同一人物なのに。

ということは、ジャッジメントは

私ではないってことです。

 

 

大事なポイントは、

ひとりの人間とジャッジメント精神は

別物だって気づくところ。

 

 

そうすると、隙間があく。

離れている。

 

 

ジャッジメントに限らず、

考えとか気持ちもそう。

 


考えは道具と言われますが、

まさにそんな感じ。鍬とかと同じ。

 

 

あるメルマガを読んでたんですが、

区分けする、比較する、

うまくいく人、うまくいかない人とか、

自分の判断の基準を、前提を、

当然あなたもそうですよねくらいの

定義された状態で、

文章を提示されてるんです。

 

 

もはや文法の一部みたいな。

 

 

そりゃそうだよね、本人の考えを

本人が表現した文章なんだから。

 

 

ここで大事なのは、

その前提、その文法は、

ジャッジメントの基準は、

本人以外の人に完璧に共有されてはいない。


 

かつ、その前提、ジャッジメントの基準は

本人ではない。道具である。

 

 

また、前提はいつでも変えられる。自由。

ジャッジメントを使わないのもアリ。



他人の考えなら、

自分は、取り入れなくていい。

自分は、取り入れてもいい。

 

 


他人は変えられないって

言うじゃないですか。



あれは、細かく言うと

他人の前提やジャッジメントの基準は、

外から見えはしても、

変更することが、決定づけることが、

本人だけしかできないから。

本人だけできるから。

 


頭の中を。


 

 逆に言えば、本人は

ソッコー自由に変えられるということ。

 


変更のコツとして、

全ての設定や前提やストーリーや

ジャッジメントの基準を

すべて、

平等にみられていること。



ほんとニュートラルに、

へぇ。

って感じで、見られていること。



冒頭に書いた、離れているって感覚です。



そうすると、やっと

ピックアップするって意識になってます。



責めたり、焦らせたりすると

早く楽になれれば何でもいいとかに

なりがち。



自分で、自分の好きなものを選んでる

その感じがいいじゃないですか♪



海眺めながら、ピックアップする

ようなフィーリングでいいんじゃない

でしょうか。




まゆ