”大切にされてきたんだ” | 不登校を解消したいママのための3つの法則

不登校を解消したいママのための3つの法則

不登校は、子どもへの関わり方やこれからの自分の生き方を考えるチャンスをくれているって思います。

良いママから幸せなママに♡
そして大切に思う人とこれからも笑いあえるように。

あなたの握りしめている思い込みをほどいていくと、世界は変わってきますよ。

 
こんばんは、こが まゆ です。
 
 
母から、「いももち作ったから取りにおいで〜」とLINEが入っていたので、
 
 
ようやく昨日、車の点検とタイヤ交換の帰り19時頃に実家に寄ってきました。
 
 
母は朝が早いので20時くらいには寝てしまう。
 
 
それでも、
 
 
「夜ご飯なんか食べるかい?
お鍋した残りでうどん煮てあげるかい?
雑炊にしてあげるかい?」
 
 
と言ってくれる。
 
 
「うん。じゃあうどん食べる。」
 
 
すると、テレビを見ていた父が
 
 
「まゆにはその汁は濃いから薄くしてやらないと」と心配してくれる。
 
 
母は
 
 
「大丈夫よ〜、もう薄くしたから〜」
 
 
日常にまぎれている優しさという愛情。
 
 
わたしはいつまでも、いくつになっても、父と母のめご子なのだ。
 
 

 
 
Megさんのブログがしみる。。
亡くなった祖母が青森出身で、よく「めごいめごい」って言ってくれてたな〜。
 

 

 

私も、父と母のわかりにくい愛情に何年、いや、何十年、ずーっと勘違いして拗ねてきてて、
 
 
あの時代の育て方。
今だと虐待と言われるのだろうな。
 
 
時々脅したり、命令したり、黙ったり、と小さな頃の私には怖かったな〜、苦しかったな〜、

 

 

お母さんには、

真っ暗な外の物置に閉じ込められたり、

鬼の形相で裸足で外に出されたり、

 

 

お父さんには、

箸をちゃんと持てと箸の太い方で叩かれたり、

大人しく座ってろとゲンコツされたり、

 

 

甘えたいのにかまってもらえなかった記憶。

なぐさめてほしかっただけなのに怒られた記憶。

人前で怒られて恥ずかしかった記憶。

 

 

わたしは、そんなふうにされて悲しかったんだよ。

わたしは、痛かったし怖かったんだよ。

わたしは、気持ちをお母さんに聞いて欲しかっただけなんだよ。

 

 

どういう理由であんなことしたの?

どんな気持ちだったの?

あれでなにを伝えたかったの?

 

 

何回も何回も思いを伝えて、そのたびに自分の内側に湧き上がる感情も感じてきた。

 

 

寂しかったんだよ〜

ガマンしてきたんだよ〜

 

 

私の心がゆるんできた頃、父母の話も聞く余裕も出てきた。

 

 

父も母も10代後半には親元と地元を離れ、20代前半には親になって頑張ってきた背景があった。

 

 

ケンカになっても、言葉のコミュニケーションをあきらめないでがんばってきたら、伝えることも聞くことも怖くなくなった。

 

 

あ〜、そっか〜、これがうちの親の愛し方だったのかって。いや〜わかりにく〜〜い。

 

 

素直に聞いてみたいこと。

素直に伝えたいこと。

一緒に行きたいとこ、やりたいこと、まだまだあるから。

 

 

元気で長生きしてもらわなきゃね。

 

 

 

 

 
 
最後まで読んでいただきありがとうございました♡