今日は、親友と日本現代工芸美術展を観に行った。
親友と観に行き始めて早5年目。
私の母が定年退職後に始めた臈纈染めの作品が展示されていて、毎年親友と一緒に観に行っている。
昨年は震災で熊本に住む母はこの展示会に来られなかった。だから、展示会場の人に許可をもらい写真を撮らせてもらって、その写真を母へメールで送った。
今年は一昨年までと変わらない感じで、相変わらずだった。
まず。お疲れ。よく頑張ったね。と母に言いたい。
観終わった後、親友とご飯を食べに行った。
その時、親友から聞かされた。
「実は父親が二月に亡くなったの。」と。
親友との出会いは2004年1月。
私は当時フリーターで、アルバイト先で一緒に働くことになり出会った。
彼女は一つ上。仙台出身、東京一人暮らし。いろいろ似た現状で、すぐに話すようになった。
一言で言うと、性格がとても良い。優しくて思いやりがある。そして、元アパレル人でオシャレ。
2005年2月。彼女のお母さんが亡くなった。
私たちが出会った頃、お母さんは既に入退院を繰り返していて、私の実家から送られてきたメロンをお見舞いに渡した記憶がある。
お母さんは大腸癌で3、4年の闘病生活のあと、62歳で亡くなった。
お父さんのことを始め、周りのことをよく心配して、働き者のお母さんだったと彼女は話してくれた。
そんなお母さんが亡くなった後から、彼女はお母さんの代わりをするように、家族のことで何かある度に全てを面倒みるようになった。
「ごめん、花火大会行けなくなったわ。父が交通事故を起こしたの。今から実家に帰ってくる。説教してやるわ。」
「姉夫婦が借金で大変だから、少し送金してる。」
など、私の記憶にもたくさん残っている。
そして、
「私、O型の男性は絶対にいやだ!もうわがままなんだもん。」
と話す時もあった。O型の男性とは彼女のお父さんのことである。
こんな風に話していたが、この12年間、彼女は自分のことを後回しにして家族のことを一人で支えてきた。
私たちが毎年七月の終わりに行っている昨年の花火大会の日、
「もしかしたら実家に戻るかもしれない」
と彼女が話してきた。実は、お父さんが少しずつ痴呆症になりかけているとのことだった。
それまでは、GW、お盆、お正月のみだったが、昨年から彼女は毎月終わりの週末は帰省するようになった。
今日、
「そろそろ、介護施設とかも含めて考えなきゃなって思ってる矢先だった。第一発見者は私でさ。まさかとは思ったんだけど、父が庭に倒れてたんだ。見つけた時にはもう亡くなってた。」
「母がもう私に迷惑かけるなって父を連れて行ったのかもしれない。酔っ払って迷わないで、母のところにたどり着いてくれていると良いな。」
と彼女は言った。
私は彼女と一緒にいるとどんな時も楽しくて、こんな風に心から思える人は私の人生で数少ない。
こんな彼女を生んで育ててくれた、彼女のお父さんとお母さんには感謝しかない。
親友のお父さんとお母さん。
私はあなたたちの娘さんに出逢えて、友達になれて、本当に幸せです。本当にありがとうございます。
仲良くゆっくり休んでください。
心からご冥福をお祈りします。
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