2011年3月11日 午後2時46分

とてつもない大きな揺れと大津波によって、たくさんの命、大切な場所が一瞬のうちに失われました。

あれから9年。
未だに行方不明者がいて、家族の方の気持ちを考えるとまだこの日から心は沈んでいると思いますし、仮設住宅で暮らしてる方もまだいらっしゃって、地元では暮らせない方々もいて、震災前には全て元通りにはいかない現実があります。

復興も少しずつ進んではいると思いますが、なかなか難しいところもありますし、それだけ変わってしまった風景になるというのは今まで住んでいた街並みがガラッとなくなってしまうことですから寂しさと虚しさを感じます。


私が住んでる町は内陸なので津波の心配はありませんでしたが、震度6強の立っていられないくらいの大きい揺れがしばらく続いて、あの時は日本は終わりだと思うくらい本当に怖かったです。

結構、宮城は地震がよくあるので大きい揺れを何度か体感してはいましたが、それ以上の長い揺れであの時ほど怖いものはありませんでした。

その後の4月7日の余震の時も強い地震で、夜だったのであの時も死ぬんじゃないかと思ったくらいの恐怖でした。

ライフラインも絶たれて、余震にも脅え、震災当時は雪も降ってて寒かったのでそれも辛かったです。

宮城、岩手、福島だけじゃなく日本全国で被害があり、未曾有の震災だと思います。

この時ほど、もうこんな地震起きてほしくないと思いましたが、それでも避けられないことではあるのでこれを教訓として、今後またこのような大震災に備えて私達がしなければいけないことはたくさんあると思います。

いつ何時、地震が起こるか分かりません。

これから生まれてくる命もあります。
この出来事を体験している人達は高齢化になってどんどんいなくなってしまいます。

後世にも伝えられるように忘れられずにいるようにしなければ、風化させてしまってはいけないことです。

9年は「もう」なのか「まだ」なのか、人によって様々だと思います。

もう来年には10年になること。忘れられていかないようにしなければなりません。