今朝、朝ごはんの準備も出来て、さぁ食べよう
としたところ、電話が鳴った📱
社長のお母さん🧑だったから、何か仕事の事だなぁって出た。
いろいろ仕事の事を話しているうちに、
「薬(抗がん剤)してるから忘れてるんじゃない?って話してたのよー」
と私の事について言い放った。
抗がん剤治療でのケモブレインの事、何度か話した事あるから、そう言われたんだろう。
「そうかもしれませんね」
なんて返す余裕は今日の私に無かった。
その前の会話から、少しイラッとしてたんだけど、流石にその言葉にはキレた
震える声で、
「流石にそれは酷過ぎます!あんまりですよ!」
と言うのが精一杯で、震える手でいきなり電話を切った。
泣き叫ぶと同時に、机の上にあった茶碗も汁椀も気付いたら流し台に声を上げながら投げつけてた。
茶碗は割れ、汁は飛び散り、大人なのに声をあげてわんわん泣いた。
すぐに折り返しの電話が2回鳴ったけど、着拒した。
こんなに声を出して泣いたのは、がんが再再発した時と今回だけだ。
自分でも驚くくらいに取り乱していた。
私の心は、刀、いやナタ🪓でバッサリと斬られた。
怒りと情けなさ?と何かわからない気持ちでいっぱいになった。
そんな風に思われてるんだ。
治療を続けながら、休みもらったりと迷惑かけるから人以上に頑張ってきたけど、陰ではそう言われてるんだと、涙が止まらない。
ご飯も食べる気もしない。
泣きながら、洗濯物を干す。
泣きながら、自分で割った茶碗と飛び散った汁を片付ける。
真っ赤に腫れた目で、仕事に行く気も失せたけど、県外から来る業者とのアポもあったし、金曜日しか出来ない業務もあって、午後から病院だったけど午前中も休む訳にいかない。
大人だからと切り替えて、どうにか車🚗に乗るも、運転しながらも、さっきの言葉が頭の中をリフレインし涙が出る。
同僚にわからないようにと平然を保ちがらも、時々うるうる🥺してしまうのを押し殺しながら、どうにか午前中を過ぎ、同僚には「ごめんなさいね」と病院へ。
今日が治療日で助かった。
病院で診察を待つロビーでいつも話をするケモ薬剤師👩⚕️に、朝の件をした。
言葉にするとまた涙が出る。
「酷過ぎる。そんな人がいるなんて。治療を続けることがまず大変なのに、そんな事言うなんて!」
いろいろ私の話を聞いてくれて、私の今の気持ちをすごくわかってくれた。
溜め込まないで、友だちとかにも愚痴っちゃいな。
今日は美味しいモノ食べてゆっくり寝てねって。
話せて良かった。
私の気持ちをわかってくれる人がいる。
そしたら、そのまま診察の順番が来てしまい、ケモ薬剤師が診察室のドアを開けて、主治医に
「先生、話聞いてくださいよー」
と投げて、扉を閉めてくれた。
主治医が
「どうしたんですか?」
と心配そうに話を聞いてくれた。
話を聞いたあと
「酷過ぎる!抗議文出しましょうか!」
と言うので、冗談で言ったと思ったけど
「え?そんなの出せるんですか?」
って聞いたら、
「僕が個人的に書こうかと!
私の患者に何てこと言うんですか!って」
嬉しかった
その言葉に嬉しさで涙がまた出る。
主治医も一緒に憤りを見せてくれた。
「世の中のがん患者は、そういう言葉などで傷ついていて、私達にわからないだけでたくさんいるんでしょうね…」
と、遠い目で言った。
「でも、負けないで」🤛と優しく言った主治医の言葉に「負けませんよ」と答えた。
話を聞いてくれる人がいるのは幸せだと思った。
私の心は少し軽くなる。
最後は、私が日曜日にMISIAのコンサートに行った話から、主治医が最初に買ったレコードが五輪真弓だったことと、カセットテープ📼に録音した曲名を
「変人よ」(ほんとは「恋人よ」)
と書いてて家族に笑われたっていう話で、私を笑わせてくれた
さすが関西出身の主治医なだけに、オチがあった
診察時間⏳は、ほぼほぼこの話で終わったけど、今日も私が最後の患者だったからか、よく話を聞いてくれた。
泣き過ぎたのか頭がボーっとしてて、ケモ中はぐっすり眠った。
ありがとう😊
この病院で良かった
でも、生きるか死ぬかの治療をしている本人に言ったこと、それは私だけじゃなく、がん治療をしている世の中の人たちに対しても許せないなと思う。
記憶から薄れる事は時間と共に出来たとしても、そのトゲ?刃は埋もれても抜ける気がしない。
そういう人だったと今回わかったから良かったのかも
ま、忘れやすくなって仕事の能力も集中力も落ちてるのわかってるけどね😅
いろいろ迷惑かけてるんでしょう、わたし。
でも、図太く渋とく生きてやる
生きるって、ほんと修行だよ。
鍛えられる〜