私の両親は、私が小学生の頃に離婚をしました。
母は、父から養育費をもらわない選択をし、私のために必死で朝から晩まで働いていました。
なので昔でいう鍵っ子ってやつです。
兄弟もいなくて、一人っ子だったこともあり家に帰ると誰もいない....
そんな生活をしていて、とても寂しかった記憶があります。
なので、家に帰りたくなくて友達と遊べない日は、ひとりで公園に遊びに出かけたりしてました。
そんなある日、小学校の頃に仲がよかった友達の家に遊びに行った時のことです。
家にお邪魔すると、あま〜い匂いがしてきて、なんと友達のお母さんがケーキを焼いて
私をお出迎えしてくれたんです。
ケーキなんて、いつもコンビニで買ってきて食べることしかなかった私は
手作りの出来立てのケーキがこんなにも美味しいだなんて衝撃を受けたことを覚えています。
さらに、また次の日遊びにいくと....
今度はクッキーを用意してくれていたり、私はその友達のお母さんが大好きでした。
ある時、友達からバレンタインを一緒に作らないか?と提案がありました。
そして、友達の家でバレンタインを作ることになったのですが
私は、手作りのお菓子なんて作ったことも、料理も作ったこともありません。
だから、美味しくできるか不安だったのですが
友達のお母さんが、手伝ってくれてなんとかバレンタインを作ることができたんです。
その記憶が私の幼少期にとっては一番幸せだった出来事でした。
そして、私はこの時誓ったことがありました。
(私もいつか自分の子供ができたら、子供の側にいてあげて一緒に過ごす時間を大切にしたい)
私も今となっては、母親となり子供の将来のお金や、子供のやりたいことのお金を気にする立場になりました。
きっと私の母もお金のことが気になって、私を育てるために一生懸命働いてくれたことは
大人になってすごく感謝をしているんです。
でも、子供の頃の私は...そんな母の願いや想いよりも
今の自分を見て欲しかったし、母と過ごしている今の時間を大切にしてもらいたかったんですよね。
子供ながら、母の想いはわかってはいましたが、やっぱり母が仕事に出かけようとすると
仮病を使って、何度も引き留めたこともありました。
母はそんな私を見て、(もう、面倒だな)と思っていたと思いますが
母と一緒にいたいと願う、子供ながらの必死の抵抗だったんですよね。
私が、母に望んでいたのは私の将来のためにお金をせっせと稼ぐのではなく
こうやって、一緒に手作り料理を楽しんだり、一緒に母と晩御飯を食べて
今日小学校であった出来事を母に話して、楽しい会話をすることが夢だったんです。
この幼少期の記憶から、私がなぜおうち起業をしようと思ったのか?というと
『家で子供の帰りを待ってあげられる母親』『子供の側にいてあげられる母親』
になりたかったんですよね。