こころに届く、響く、伝え方
ニューヨークにたどり着いて2日目から、
早速Hibakusha Storiesでの活動が始まりました。
Hibakusha Storiesは、軍縮教育家のキャスリンとピースボート、
そしてニューヨークの高校の先生たちとのつながりから始まったプロジェクト。
ニューヨーク市内の高校を訪れ、被爆証言を行うプロジェクトです。
2010年から年に2回、2週間ほどの間に
被爆者やチームメンバーがニューヨークに集まり、
精力的に(1日4~5校ほど)学校を訪問します。
今回はニューヨークの国連本部で行われるNPTの国際会議に合わせて、
4人の被爆者や通訳、ファシリテーターのみなさんが集まっています。
うちもその中に飛び込みたくて、ニューヨークにやってきました。

去年の夏の「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加したときにぶつかった課題。
「伝え方が、一方的すぎるんじゃないか」
「証言会」と聞いてうちが持つイメージは、
教室や講堂でみんなの前に立って、当時の経験を語る被爆者の姿。
正解も不正解もなく、そういうものだと思ってました。
でも、ドミニカ共和国の学校で証言をしたときに
聴きながら疲れた様子を見せる生徒さんがいて、
理由はわからなかったけど突然席を立つ子もいて、
「どうしたらいいんじゃろう?」とチームで立ち返る機会になりました。
そんなときに上記の「一方的では?」という指摘をしてくれたのが、
他ならぬHibakusha Storiesのキャスリン。
ただ、「伝えたいこと」のボールを投げるのではなくて、
一つ一つ投げるボールがきちんと相手に伝わるかどうかを意識する、という
当たり前なのに意識しきれていなかったことに気づかされました。
なんというか、被爆証言って、
被爆者さんのたたずまいそのものだけで、まず圧倒されたり、
話の内容の衝撃にうちのめされたりすることが多くて、
(少なくともうちが聴いたときはそんな感じで)
「伝え方の工夫」に気が回っていなかった自分がいました。
しっかり「証言会」を形にするのにまず精いっぱいだったのも事実ですが…!
その後の航海中、キャスリンのアドバイスをもとに工夫をしましたが、
実際にキャスリンがファシリテートする証言会をずっと見てみたかった。
活動初日、2校回って、「来てよかった、、!」と思いました。
やっぱり「工夫の仕方」を習うのと、実際を見るのって全然違う。

キャスリンの導入と被爆者・ゲストの紹介、
トルーマン大統領のお孫さんであるクリフトンさんが、自分の活動をお話、
前のめりに証言を聞く準備として、短くワークショップ、
実際に聴く、広島出身の玲子さんの証言、
質疑応答を経て、
最後にうちが「若い世代がなぜこの問題に取り組むのか」スピーチ。
2校ともこの流れでやったけど、
受け答えや質問、相手の反応やそれに対応するこちらの発言も
一つ一つ、違います。

相手の心の中にある「興味」のかけらを拾い上げて、
そこからぐんぐん惹きつけていく感覚。
被爆証言に限らず、色んな「伝える」場で生きる感覚だなと思いました。
大切なのは「伝わる」こと。
もっと大切なのは、ただ「伝わる」のがゴールではないこと。
相手にどうなってほしいのかイメージすること。
でも、その上で自分ができる、「伝える」方法を最大限工夫すること。
話すときに自信を持つ。
相手の言葉を拾い上げながら話す。
笑って楽しむ時間、真剣に聴く時間を使い分ける。
と言うようなテクニカルなことも学びつつ、
やっぱり大切なのは自分自身がその場に向き合う姿勢じゃなあと改めて感じました。
この感動、文章で書くのがなかなか難しい!笑
うちもこの夏に、自分の母校でこういうことやりたい!!!
ニューヨークにいる間に、色んな角度から出来る限り学びとります(^O^)/

おしまい。
早速Hibakusha Storiesでの活動が始まりました。
Hibakusha Storiesは、軍縮教育家のキャスリンとピースボート、
そしてニューヨークの高校の先生たちとのつながりから始まったプロジェクト。
ニューヨーク市内の高校を訪れ、被爆証言を行うプロジェクトです。
2010年から年に2回、2週間ほどの間に
被爆者やチームメンバーがニューヨークに集まり、
精力的に(1日4~5校ほど)学校を訪問します。
今回はニューヨークの国連本部で行われるNPTの国際会議に合わせて、
4人の被爆者や通訳、ファシリテーターのみなさんが集まっています。
うちもその中に飛び込みたくて、ニューヨークにやってきました。

去年の夏の「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加したときにぶつかった課題。
「伝え方が、一方的すぎるんじゃないか」
「証言会」と聞いてうちが持つイメージは、
教室や講堂でみんなの前に立って、当時の経験を語る被爆者の姿。
正解も不正解もなく、そういうものだと思ってました。
でも、ドミニカ共和国の学校で証言をしたときに
聴きながら疲れた様子を見せる生徒さんがいて、
理由はわからなかったけど突然席を立つ子もいて、
「どうしたらいいんじゃろう?」とチームで立ち返る機会になりました。
そんなときに上記の「一方的では?」という指摘をしてくれたのが、
他ならぬHibakusha Storiesのキャスリン。
ただ、「伝えたいこと」のボールを投げるのではなくて、
一つ一つ投げるボールがきちんと相手に伝わるかどうかを意識する、という
当たり前なのに意識しきれていなかったことに気づかされました。
なんというか、被爆証言って、
被爆者さんのたたずまいそのものだけで、まず圧倒されたり、
話の内容の衝撃にうちのめされたりすることが多くて、
(少なくともうちが聴いたときはそんな感じで)
「伝え方の工夫」に気が回っていなかった自分がいました。
しっかり「証言会」を形にするのにまず精いっぱいだったのも事実ですが…!
その後の航海中、キャスリンのアドバイスをもとに工夫をしましたが、
実際にキャスリンがファシリテートする証言会をずっと見てみたかった。
活動初日、2校回って、「来てよかった、、!」と思いました。
やっぱり「工夫の仕方」を習うのと、実際を見るのって全然違う。

キャスリンの導入と被爆者・ゲストの紹介、
トルーマン大統領のお孫さんであるクリフトンさんが、自分の活動をお話、
前のめりに証言を聞く準備として、短くワークショップ、
実際に聴く、広島出身の玲子さんの証言、
質疑応答を経て、
最後にうちが「若い世代がなぜこの問題に取り組むのか」スピーチ。
2校ともこの流れでやったけど、
受け答えや質問、相手の反応やそれに対応するこちらの発言も
一つ一つ、違います。

相手の心の中にある「興味」のかけらを拾い上げて、
そこからぐんぐん惹きつけていく感覚。
被爆証言に限らず、色んな「伝える」場で生きる感覚だなと思いました。
大切なのは「伝わる」こと。
もっと大切なのは、ただ「伝わる」のがゴールではないこと。
相手にどうなってほしいのかイメージすること。
でも、その上で自分ができる、「伝える」方法を最大限工夫すること。
話すときに自信を持つ。
相手の言葉を拾い上げながら話す。
笑って楽しむ時間、真剣に聴く時間を使い分ける。
と言うようなテクニカルなことも学びつつ、
やっぱり大切なのは自分自身がその場に向き合う姿勢じゃなあと改めて感じました。
この感動、文章で書くのがなかなか難しい!笑
うちもこの夏に、自分の母校でこういうことやりたい!!!
ニューヨークにいる間に、色んな角度から出来る限り学びとります(^O^)/

おしまい。
Hello ニューヨーク
常夏の島、ハワイにやってきました。
と、言っても滞在時間は5時間。
ここで飛行機を乗り換えて、目的地のニューヨークに向かいます。

「2015年核不拡散条約(NPT)運用検討会議第3回準備委員会」
って、なんだか厳めしい名前ですが、
「核兵器をなくすためにどうやっていこうか!」
って世界各国から偉いひとたちが集まる会議です(ざっくり!)。
議論が盛り上がる会期に合わせて、
偉いひとたちだけじゃなく市民も色々活動します。
今回うちがニューヨークに行くのは、そんな活動の一つ
「Hibakusha Stories」のプログラムに参加するため。
ヒロシマ・ナガサキの被爆者と一緒に、
ニューヨークの若者に生の声を届けるプログラムです。
2015年で終戦から70年。つまり来年は、被爆70周年の年。
生後まもなく被爆したひとでも、もう70歳のおじいちゃんおばあちゃんです。
記憶のはっきりしている当時15歳以上だったひとたちは、もう80代後半。
それでも、精力的に証言活動を行うひとが何人もいます。
このひとたちの声を、もっと広く伝えたい、伝えなきゃ!
と思ったのは震災直前の2011年2月ごろ。
海外に行きたいー!と思って乗船したピースボートの「地球一周の船旅」に
同じく乗船していたヒバクシャのみなさんが、もう、本当に大好きで。
うちはおばあちゃんも被爆手帳を持っとるけん、
うちはヒロシマの「被爆三世」と呼ばれたりする。
でも原爆や核兵器の問題と向き合いたいと思うのは、
そういうバックグラウンド関係なく、
3年前に出会った素敵なじいちゃん・ばあちゃんのおかげです。
さて。
話は変わりますが、その3年前の地球一周で、
ペルーのビジャ・エルサルバドル(以下ビジャ)という街を訪れました。
リマ郊外にある、「スラム」と呼ばれる場所だったけど、
思ったよりも悲惨な貧困の状況は感じられなくて、
むしろコミュニティ運営の仕方や住民の意識は先進的な、不思議なところ。
もちろん、電気や水道なんかの基本的なインフラがままならず、
なんとか材料を寄せ集めて作った家々が連なる様子は、
初めて「途上国」の状況を目の当たりにしたうちには衝撃的じゃったんですが。
丘の上に墓地があって、そこでテロリストの存在に苦しんだ人々の歴史を聞きました。
もといた街に居場所がなくなり、この地にやってきた人々は、
砂の上にむしろをひいて暮らすところからコミュニティを作り始めたそうです。
「あの丘の上の墓地も、もうなくなってると思う」
先週久しぶりに、ピースボートでお世話になったスタッフさんと会った時に、
そんな衝撃的な言葉を聞きました。
都会からどんどん人々が押し寄せて、今も人口が膨らみ続けるビジャ。
広がる居住区に押しのけられるように、たぶんお墓もなくなったんだと思う。
土地区画や共同体の運営などの先進的な取り組みも、
急増する人口になかなか追いつかないそう。
そしてもう一つビジャに大きな影響を与えているのは、
コミュニティ内で広がり始めた貧富の差。
みんなが貧乏だったころは、必要にかられて助け合って、
だからこそコミュニティが機能していたんですが。
「お金があって自分の家族だけで生きていけるなら、助け合う必要はない」。
この話を聞いて、いろいろ考えさせられたんですが、
なにより、「ああ、もう3年が経ったんだ」と思いました。
3年前に初めて世界にあふれる問題を見たとき、
すごく絶望的な気持ちになりそうで、
でも最前線で問題に向き合う人達は格好よくて、
うちには一体何ができるんじゃろか、と頭を抱えたのを覚えてます。
「きっと100回生まれ変わっても、全部の問題にコミットできない!」って。
その時自分が垣間見た「世界の問題」は、
それぞれ、日々状況が変わっていることに改めて気付いたんです。
ビジャは、3年前のビジャのままじゃいられない。
何か解決されて、でもまた新たな問題が現れて、
それが「良い」状況なのか「悪い」状況なのか、捉え方は人それぞれで。
核の問題もそう。
3年前は20000発以上だった世界の核兵器も、数千発単位で減っている。
でも、ヒバクシャは高齢化して記憶の継承はどんどん難しくなり、
核兵器だけでなく原発の問題も3.11以降浮き彫りになって、
今まで核を持っていなかった国にも技術が広がっている。
それが「良い」状況なのか「悪い」状況なのか、捉え方は人それぞれで。
世界にあふれる問題の中で、うちは何に取り組めるんじゃろう。
何に命を燃やせるんじゃろう。
ずーっとフルコミットではないけど、できることを
大学在学中につかず離れず(と言うかついたり離れたり)でやってきた核問題。
一つの問題に取り組むっていうことは、
四六時中ずーっとそのことだけを考えるってことじゃなく、
こんな風に変化を感じながら、自分の生涯をかけて向き合うってことなんじゃ。
って、ビジャの話を聞きながらなんとなく感じました。
何を、どれだけできるかはわかりません。
今見えてるのはこの先10日間のニューヨーク滞在でやりたいこと。
目の前のことから、ひとつひとつ、一歩一歩!
待ってろニューヨークーー!!

と、言っても滞在時間は5時間。
ここで飛行機を乗り換えて、目的地のニューヨークに向かいます。

「2015年核不拡散条約(NPT)運用検討会議第3回準備委員会」
って、なんだか厳めしい名前ですが、
「核兵器をなくすためにどうやっていこうか!」
って世界各国から偉いひとたちが集まる会議です(ざっくり!)。
議論が盛り上がる会期に合わせて、
偉いひとたちだけじゃなく市民も色々活動します。
今回うちがニューヨークに行くのは、そんな活動の一つ
「Hibakusha Stories」のプログラムに参加するため。
ヒロシマ・ナガサキの被爆者と一緒に、
ニューヨークの若者に生の声を届けるプログラムです。
2015年で終戦から70年。つまり来年は、被爆70周年の年。
生後まもなく被爆したひとでも、もう70歳のおじいちゃんおばあちゃんです。
記憶のはっきりしている当時15歳以上だったひとたちは、もう80代後半。
それでも、精力的に証言活動を行うひとが何人もいます。
このひとたちの声を、もっと広く伝えたい、伝えなきゃ!
と思ったのは震災直前の2011年2月ごろ。
海外に行きたいー!と思って乗船したピースボートの「地球一周の船旅」に
同じく乗船していたヒバクシャのみなさんが、もう、本当に大好きで。
うちはおばあちゃんも被爆手帳を持っとるけん、
うちはヒロシマの「被爆三世」と呼ばれたりする。
でも原爆や核兵器の問題と向き合いたいと思うのは、
そういうバックグラウンド関係なく、
3年前に出会った素敵なじいちゃん・ばあちゃんのおかげです。
さて。
話は変わりますが、その3年前の地球一周で、
ペルーのビジャ・エルサルバドル(以下ビジャ)という街を訪れました。
リマ郊外にある、「スラム」と呼ばれる場所だったけど、
思ったよりも悲惨な貧困の状況は感じられなくて、
むしろコミュニティ運営の仕方や住民の意識は先進的な、不思議なところ。
もちろん、電気や水道なんかの基本的なインフラがままならず、
なんとか材料を寄せ集めて作った家々が連なる様子は、
初めて「途上国」の状況を目の当たりにしたうちには衝撃的じゃったんですが。
丘の上に墓地があって、そこでテロリストの存在に苦しんだ人々の歴史を聞きました。
もといた街に居場所がなくなり、この地にやってきた人々は、
砂の上にむしろをひいて暮らすところからコミュニティを作り始めたそうです。
「あの丘の上の墓地も、もうなくなってると思う」
先週久しぶりに、ピースボートでお世話になったスタッフさんと会った時に、
そんな衝撃的な言葉を聞きました。
都会からどんどん人々が押し寄せて、今も人口が膨らみ続けるビジャ。
広がる居住区に押しのけられるように、たぶんお墓もなくなったんだと思う。
土地区画や共同体の運営などの先進的な取り組みも、
急増する人口になかなか追いつかないそう。
そしてもう一つビジャに大きな影響を与えているのは、
コミュニティ内で広がり始めた貧富の差。
みんなが貧乏だったころは、必要にかられて助け合って、
だからこそコミュニティが機能していたんですが。
「お金があって自分の家族だけで生きていけるなら、助け合う必要はない」。
この話を聞いて、いろいろ考えさせられたんですが、
なにより、「ああ、もう3年が経ったんだ」と思いました。
3年前に初めて世界にあふれる問題を見たとき、
すごく絶望的な気持ちになりそうで、
でも最前線で問題に向き合う人達は格好よくて、
うちには一体何ができるんじゃろか、と頭を抱えたのを覚えてます。
「きっと100回生まれ変わっても、全部の問題にコミットできない!」って。
その時自分が垣間見た「世界の問題」は、
それぞれ、日々状況が変わっていることに改めて気付いたんです。
ビジャは、3年前のビジャのままじゃいられない。
何か解決されて、でもまた新たな問題が現れて、
それが「良い」状況なのか「悪い」状況なのか、捉え方は人それぞれで。
核の問題もそう。
3年前は20000発以上だった世界の核兵器も、数千発単位で減っている。
でも、ヒバクシャは高齢化して記憶の継承はどんどん難しくなり、
核兵器だけでなく原発の問題も3.11以降浮き彫りになって、
今まで核を持っていなかった国にも技術が広がっている。
それが「良い」状況なのか「悪い」状況なのか、捉え方は人それぞれで。
世界にあふれる問題の中で、うちは何に取り組めるんじゃろう。
何に命を燃やせるんじゃろう。
ずーっとフルコミットではないけど、できることを
大学在学中につかず離れず(と言うかついたり離れたり)でやってきた核問題。
一つの問題に取り組むっていうことは、
四六時中ずーっとそのことだけを考えるってことじゃなく、
こんな風に変化を感じながら、自分の生涯をかけて向き合うってことなんじゃ。
って、ビジャの話を聞きながらなんとなく感じました。
何を、どれだけできるかはわかりません。
今見えてるのはこの先10日間のニューヨーク滞在でやりたいこと。
目の前のことから、ひとつひとつ、一歩一歩!
待ってろニューヨークーー!!

姉妹、尾道、ふたりたび。
2月13日・14日は、妹と共に尾道・しまなみ海道を小旅行。
実は二人きりで泊まりがけの旅行は初めて。
受験が終わったら旅行行こう!
せっかくだから海外に、東南アジアあたりどっか行こう!
と言ってましたが、ぐっと近場の尾道。笑
うちら姉妹にとって
「行ったことはあるけど、泊まってじっくり過ごしたことはない」尾道。
今回も一泊しかしておりませんが、改めて素敵な街じゃなあと実感しました^^
一日目の13日は、しまなみ海道を途中まで渡って、大三島へ。
大三島はちょうど県境の向こう側。愛媛県今治市内です。
去年ETIC.でインターンをしていたときにお会いした菅さんに、
島内を案内していただきました!

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)でパワーをいただいて、
神社のまわりを散策。
伊勢、出雲と並ぶ由緒正しい神社だそうですよ!
廃校を利用した宿泊施設や、
島に伝わる伝説のヒロイン(鶴姫)像、
見晴らしのいい場所にある美術館などなど、


駆け足で回っていただいたのに盛りだくさんな半日でした!
最後にはみかんやレモンやはっさくや、おみやげいっぱい(・∀・)!
菅さん、本当にありがとうございます、、!!

次回はあたたかい時期に、サイクリングに行きたい!!
急いで生口島にとって返し、妹のお目当ての耕三寺を経由して、
無事お宿のある尾道に帰着。

泊まったのはここ。ゲストハウス「あなごのねどこ」です。
尾道空き家再生プロジェクトの一環で作られた古民家改築ゲストハウス!
「あくびカフェ」というなんとも心安らぐ名前と雰囲気のカフェが併設されてます。
すごーく、楽しくて幸せな時間が過ごせました。
箇条書きしてみると、
・ゲストハウスの店長さんに教えてもらった銭湯&中華屋さんが良い感じだった(^O^)!
(中華屋さんの焼きそばがおいしすぎたー!!)
・銭湯から戻って、他の宿泊者さんたちとこたつで団らん(´∀`)
(大三島でいただいたはっさくをみんなで食べました!)
・夜は畳のにおい&おふとんのぬくもりで快眠 ZZzz....
・朝ごはん(350円)のパンとジャムがおいしかった(^~^)
(商店街のパン屋さんの食パンだそうですー^^)
・生まれて初めて本物の尾道ラーメン食べた!めちゃくちゃおいしいー!!
(迷った末、朱華園に行きました~)
・尾道シネマで映画「ハンナ・アーレント」、見て良かった、、
(東京で見逃してたので、、)
などなど。

尾道の商店街を歩いていてやっぱり素敵じゃな、と思ったのは、
あらゆる年齢層がちゃんと「暮らし」てる感じの商店街じゃったけん。
おばあちゃん向けの服屋さんも、
おじちゃんが好きそうな喫茶店も、
若いお母さんが好きそうなパン屋さんやジャム屋さんも、
若者の集うカフェも。

そして観光の目玉は、千光寺。
今回は行かんかったけど。
いろんな「街づくり」の試みの端々に出てくるデザインが好きじゃった。
もっともっといろいろ学びがありそうな場所でした。
住んでみたらまたいろいろ見え方が違うんじゃと思うけど~
と、大満足で帰宅、、、かと思いきや、最後に妹と
大喧嘩!!!
お互いの存在を真っ向から否定するような言い合いのあと、
話合いを経て、
仲直りしました。そして仲良く帰宅しました。笑
してみて思ったけど、「喧嘩」というものをしたの本当に久しぶりじゃった。
普段は波風立たんように立たんようにしてしまうもので。
ケンカすると確かに傷つけあうんじゃけど、
どんな言い合いしても、つながりは絶対切れないっていう信頼がないと、
成り立たないもんなんじゃろなあ。

最後の最後まで、ほんと「行ってよかったなあ」と思える旅行でしたとさ。
そしてうち運転だいぶうまくなってきたはず!!
事故もなく帰って来れて何よりでした。
ちゃんちゃん。
実は二人きりで泊まりがけの旅行は初めて。
受験が終わったら旅行行こう!
せっかくだから海外に、東南アジアあたりどっか行こう!
と言ってましたが、ぐっと近場の尾道。笑
うちら姉妹にとって
「行ったことはあるけど、泊まってじっくり過ごしたことはない」尾道。
今回も一泊しかしておりませんが、改めて素敵な街じゃなあと実感しました^^
一日目の13日は、しまなみ海道を途中まで渡って、大三島へ。
大三島はちょうど県境の向こう側。愛媛県今治市内です。
去年ETIC.でインターンをしていたときにお会いした菅さんに、
島内を案内していただきました!

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)でパワーをいただいて、
神社のまわりを散策。
伊勢、出雲と並ぶ由緒正しい神社だそうですよ!
廃校を利用した宿泊施設や、
島に伝わる伝説のヒロイン(鶴姫)像、
見晴らしのいい場所にある美術館などなど、


駆け足で回っていただいたのに盛りだくさんな半日でした!
最後にはみかんやレモンやはっさくや、おみやげいっぱい(・∀・)!
菅さん、本当にありがとうございます、、!!

次回はあたたかい時期に、サイクリングに行きたい!!
急いで生口島にとって返し、妹のお目当ての耕三寺を経由して、
無事お宿のある尾道に帰着。

泊まったのはここ。ゲストハウス「あなごのねどこ」です。
尾道空き家再生プロジェクトの一環で作られた古民家改築ゲストハウス!
「あくびカフェ」というなんとも心安らぐ名前と雰囲気のカフェが併設されてます。
すごーく、楽しくて幸せな時間が過ごせました。
箇条書きしてみると、
・ゲストハウスの店長さんに教えてもらった銭湯&中華屋さんが良い感じだった(^O^)!
(中華屋さんの焼きそばがおいしすぎたー!!)
・銭湯から戻って、他の宿泊者さんたちとこたつで団らん(´∀`)
(大三島でいただいたはっさくをみんなで食べました!)
・夜は畳のにおい&おふとんのぬくもりで快眠 ZZzz....
・朝ごはん(350円)のパンとジャムがおいしかった(^~^)
(商店街のパン屋さんの食パンだそうですー^^)
・生まれて初めて本物の尾道ラーメン食べた!めちゃくちゃおいしいー!!
(迷った末、朱華園に行きました~)
・尾道シネマで映画「ハンナ・アーレント」、見て良かった、、
(東京で見逃してたので、、)
などなど。

尾道の商店街を歩いていてやっぱり素敵じゃな、と思ったのは、
あらゆる年齢層がちゃんと「暮らし」てる感じの商店街じゃったけん。
おばあちゃん向けの服屋さんも、
おじちゃんが好きそうな喫茶店も、
若いお母さんが好きそうなパン屋さんやジャム屋さんも、
若者の集うカフェも。

そして観光の目玉は、千光寺。
今回は行かんかったけど。
いろんな「街づくり」の試みの端々に出てくるデザインが好きじゃった。
もっともっといろいろ学びがありそうな場所でした。
住んでみたらまたいろいろ見え方が違うんじゃと思うけど~
と、大満足で帰宅、、、かと思いきや、最後に妹と
大喧嘩!!!
お互いの存在を真っ向から否定するような言い合いのあと、
話合いを経て、
仲直りしました。そして仲良く帰宅しました。笑
してみて思ったけど、「喧嘩」というものをしたの本当に久しぶりじゃった。
普段は波風立たんように立たんようにしてしまうもので。
ケンカすると確かに傷つけあうんじゃけど、
どんな言い合いしても、つながりは絶対切れないっていう信頼がないと、
成り立たないもんなんじゃろなあ。

最後の最後まで、ほんと「行ってよかったなあ」と思える旅行でしたとさ。
そしてうち運転だいぶうまくなってきたはず!!
事故もなく帰って来れて何よりでした。
ちゃんちゃん。
